コラム
203さんからの取材リクエスト
ママチャリ、なぜ定番に?
「前カゴ」「嫁入り道具作戦」で大流行!ママチャリのルーツが面白い
誰が「ママチャリ」を発明したのかを調べています。私は大阪で自転車屋を経営しています。仕事がらなぜこれほどまでに日本人はママチャリを選好するのか疑問に思っています。外国には前カゴや荷台が標準装備されたタイプの自転車の割合は極めて低く、各メーカーの主なターゲット層は男性です。日本のように女性用(ママ用)自転車が大勢を占めている国はありません。自転車博物館(堺市)の館長に尋ねると、逆にその分野を研究している人は日本に一人もいないのであなたが研究すべきだと言われました。調べると1960年年代前半の「ミニサイクル」と呼ばれる女性用自転車がママチャリの始祖にあたるというところまではすぐわかるのですが「いつ、誰が」「どこのメーカー」がというところまではわからないままです。古書や当時の資料をみても詳細は謎のままです。今ならまだ当時の開発に関わった方がご健在だと思いますので、ぜひ調査をお願いいたします。 203
今や不動の人気を誇る「ママチャリ」。町中には、車体の前後にカゴを据え付け、買い物袋や子どもを運ぶ人たちがあふれています。「自転車といえばママチャリ」という認識は、どのようにして広がったのでしょうか?調べてみると、女性ならではの視点が大きく関わっていることが分かりました。実は奥深い、そのルーツをご紹介します。(withnews編集部・神戸郁人)
自転車博物館(堺市)によると、自転車が欧州から日本に伝わったのは幕末期です。大変な高級品で、当初は一部の富裕層が、娯楽用に購入する程度だったといいます。
明治期には、荷物の運搬などに利用されるようになったものの、所有者の大半は男性。当時の自転車は「ダイヤモンド型」と呼ばれ、車高が高く、大きくまたいで乗るタイプが主流でした。比較的体格が小さい女性にとっては、運転しづらい形と言えます。
その上、家でつつましく暮らす「良妻賢母」が理想とされた時代性も相まって、女性用自転車の開発はなかなか進みませんでした。
1909(明治42)年ごろ、通学に自転車を利用していた、ある女学生の手記が残っています。そこには、自転車に乗る女性への風当たりの強さが、赤裸々につづられていました。
一方で、自転車を乗りこなすはかま姿の女性が、広告に描かれることも。さっそうとしたイメージが人気を呼んだ側面もあったようです。
こうした状況は、戦時中に武器の製造などに女性が動員され、その社会的地位が高まったことで、徐々に変化していきます。
転機が訪れたのは1950年代です。オートバイの流行などで、それまで好調だった国産自転車の輸出量や販売数の伸びが鈍化。自転車業界では危機感が高まりました。
打開策となったのが、女性を巻き込むことでした。自転車文化センター(東京都品川区)によると、56年の女性用自転車の所有率は、全国平均で8.6%。各社はこの層に働きかけ、売り上げにつなげる戦略を描いたのです。
先陣を切ったのが、当時、高いシェアを誇っていた山口自転車(現在は解散)でした。「美容や健康維持におすすめです」。魅力的な宣伝文句とともに、同年、女性用自転車の先駆け「スマートレディ」を売り出しました。
画期的だったのは、従来は無かった、取り外し可能な前カゴをつけたことです。それまでは、自前で用意した買い物カゴを設置する人も多く、主婦層を中心に人気が爆発しました。
乗りやすいよう、サドルやハンドルを低めにした点や、当時としては手頃な価格設定も話題に。注文が殺到したことから、他社も「嫁入り道具に最適な品」と銘打って、新製品の販売に乗り出しました。
「『結婚する娘に一台ほしい』と、親御さんがひっきりなしに訪ねてきたよ」。大正時代から続く「サイクルショップアライ」(東京都荒川区)の3代目店主、新井茂さん(80)は、そう懐かしみます。
新井さんによると、かつて同区には、自転車関連の工場がひしめいていました。部品の溶接などを分業し、生産に手がかかっていたため、高値がつくものも多かったそうです。自転車を嫁ぎ先に持ち込むと、「良家の娘」というステータスになったといいます。
「嫁入り道具と言えば、和洋だんすや白物家電、そして自転車だった。まだまだ貧しい時代だったから、財力があると思われたい人が多かったんだろうね」
高度成長期に入ると、郊外型団地が増えます。多くの場合、敷地内の通路は狭く、駐輪場の大きさも限られていました。スーパーマーケットの普及などを背景に、生活圏が広がったこともあり、自転車にはより高い機能性が求められるようになりました。
60年代には、より小型の「ミニサイクル」が登場しました。大きな前カゴや、サドルの高さを調節できるハンドルが標準装備され、見た目も現在の自転車とほぼ同じ。この時点で、ママチャリの原型が完成したと言えます。
利用者を増やそうと、女性向けの乗り方講習会も、各地で開かれました。参加者の多くは、20~30代の主婦たちです。中には、かっぽう着姿で駆けつける人も。こうして、自転車は日常の足として受け入れられるとともに、女性を象徴するアイコンとなっていきます。
61年に約126万台だった女性用自転車の生産台数は、88年になると約480万台に(自転車文化センター調べ)。共働き世帯が増える90年代には、電動アシスト自転車の販売が始まります。育児中のお母さんたちを中心に人気を呼び、製造はさらに盛んとなりました。
ところで、ママチャリはなぜこれほど根付いたのでしょうか?同センター学芸員の谷田貝一男さん(67)は「交通手段の発展史にヒントがある」と語ります。
谷田貝さんによると、自転車が生まれた欧州では、早い時期に自動車が普及。自転車はサイクリングといった、レジャーでの利用が一般的となりました。今も売れ線は、マウンテンバイクやクロスバイクなどのスポーツタイプといいます。
日本の場合、交通網の整備が比較的遅く、近距離の移動手段として自転車の需要が高まりました。その結果、通勤や通学を始め、生活に密着した使い方がメインに。さらに、女性を購買層に取り込んだ結果、車体のカラーや装備も充実。ママチャリの誕生につながったのです。
ここ数年は、海外でもママチャリ人気が高まっているといいます。スポーツタイプより安価で運転しやすく、子ども用のカゴやイスつきなのが好評だとか。イギリスやアフリカでは「Mamachari」の名前で親しまれているそうです。
「ママチャリは、女性の意見を採り入れることで、暮らしを豊かにする機能を獲得しました。世界的に見ても、多様性を備えた自転車だと思います」
女性の視点を大切にし、独自の進化を遂げたママチャリ。どんな姿になっていくのか、これからも楽しみです。
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