お金と仕事
戦力外「恥ずかしくない」 引退後起業、元プロ野球・小杉陽太の1年
10月に入り、プロ野球では選手の去就が注目される時期になりました。長年球団に貢献した選手は、現役引退を表明してセレモニーが行われますが、「戦力外通告」を受けて球界を去る選手も多いのが実情です。「戦力外=クビ」という暗い印象を受けますが、横浜DeNAベイスターズの元投手・小杉陽太さん(32)は「恥ずかしいことではない」と言います。昨年に引退後、株式会社「l'unique」(リュニック)を立ち上げた小杉さんに、この1年を聞きました。(朝日新聞スポーツ部記者・井上翔太)
――プロ野球選手を引退し、起業してから、1年が経とうとしています。
「何とか生きてますよ(笑)。スタートはイベントだったけど、もともとは広告業をしていて、今は動画の事業にシフトチェンジの準備をしています」
――起業して最初に手がけたのは、DeNA時代の同僚でもある下園辰哉さんのトークショーでした。
「仕事という以上に、ファンの人に対して、下園さんと接点を持てるような場所にしたい、というのが始まりでした。人と人とが交わる熱量が、ストーリー性を生むというか」
――イベントの後、どうやってビジネスを広げていったのでしょうか。
「スタートはイベントだったけど、もともとは動画事業がやりたかったんです。自分がやりたいと思ったことを線上に乗せていったら、最後に動画があった」
「たとえば広告動画を作って終わり、ではなく、フェイスブック、ツイッター、インスタグラムなどのSNSに投下して、共感してもらう。今はテキストを見て判断するよりも、映像とか音声で直感的にとらえてもらった方が、消費者にとって分かりやすいので。ブランディングで終わるのではなく、実際の購買行動などのコンバージョンは、その先にありますから」
――この1年間はどんな活動を?
「今年は人に会うために、時間もお金も使った。それは自分への投資だと思っていて。業界に関係なく貴重な時間をいただいて、話を聞いて、人脈を広げて。特にIT系の人と会う中で『デジタルは面白い領域だ』と感じましたね。ストーリー性や作り手の思いが可視化されているかも重要です」
「おかげさまで、今までなら考えもしなかった業界からの仕事が増えてきました。スキンケア商品を開発からプロデュースしたり、ブライダル業界や食品業界の方と意見を交わしたり。少しずつですが、自分の面積が広がってきました。本業とは違う畑でまた自分を成長させていきたい」
――プロ野球選手だった頃から、ビジネスマインドはあったのですか?
「元々あって、さらに枝葉がついてきたって感じですね。最初のきっかけは春季キャンプ中のミーティング。南場さん(オーナー)や池田さん(当時の球団社長)が、どんな戦略で観客を増やすかといった話をされていた。DeNAという会社は、ビジョンがしっかりしていて『こうしたい』という思いを最初に言うんです」
「そのミーティングの中では『ずっと最下位だったかもしれないけど、5年以内には絶対クライマックスシリーズに行くんだ』という話もあった。言い方は違うけど、観客数を増やすという目的を考えると、根本的には同じこと。そこに『面白いな』と共感しました」
――プロ野球の若手選手に対するセカンドキャリアアンケートでは、64%が「引退後に不安を感じている」。希望進路は11年連続で「高校野球指導者」。現役時代から、いろんなことにアンテナを張っていた方がよいのでしょうか。
「現役を終わった後のことを考えるのは、恥ずかしいことでも何でもない。終わりは必ず来るので。そこからコーチとか球団職員として球界に残れる人は、わずか。だからそれ以外で『自分がやりたいこと』は、ちょっとずつでいいから、絶対に考えた方がいいと思う。選択肢はいっぱいある」
「ただ何をやりたいかが決まっていない状態で、ふらっと社会に出ると失敗しやすいと思います。『こんなはずではなかった』と。あとはプライドを捨てることです(笑)」
――今の仕事で、元プロ野球選手だから良かったこと、苦労したことは?
「苦労したことは……今のところは、ない。ないかな。得したことの方が多いですね。仕事になったこととは、また別の話で『元プロ野球選手で面白いね』と言われて人脈も広がったし、紹介してくれた人もいる。生粋のベイスターズファンで、知っていてくれる人も。名刺を渡したり、パソコンをいじったりすることもすんなり身になったし。情報を吸収すればするほど知識が増えて、いろんな話もできるようになるし。もともと新しいものが好きだから」
【取材後記】戦力外通告を受けた後、「野球をしない人生」に悩む選手は多いです。昨年10月に日本野球機構(NPB)が若手選手を対象に行ったアンケートでは、希望進路について「一般企業の会社員」は2位。1位は「高校野球指導者」。3位「大学・社会人の野球指導者」、4位「社会人・クラブチーム現役」、5位「プロ野球の指導者」と続きます。
プロとして日々、本気で野球に取り組んだことで「自分には野球しかない」という思いもあるようです。ただそれは裏を返せば、特別な場所で生きてきたからこそ、他では身につけることのできない能力がすでに備わっていたり、新たな可能性が広がっていたりするのだと感じます。小杉さんの仕事ぶりは、それを実証しているのではないでしょうか。
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