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ロヒンギャの人々が「日本に感謝」する理由 それでも「他人事」?
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難民は、日本だと「遠い国の話」に思えてしまいます。本当にそうでしょうか? ミャンマーから逃げて難民になった少数派イスラム教徒ロヒンギャを取材すると、口々に「日本はずっと私たちを支えてくれた」と言ってくれます。群馬県には約200人が住んでいるロヒンギャ。なぜ、日本に好意的なのでしょう? ロヒンギャ難民が日本と「全然関係ある」理由についてお伝えします。(朝日新聞ヤンゴン支局長兼アジア総局員・染田屋竜太)
日本に約200人のロヒンギャが住んでいる地域があることを知っていますか? 群馬県の南東部にある、館林(たてばやし)市です。1990年代、当時の軍事政権による迫害によって逃げ出したロヒンギャが日本にたどり着き、その後もネットワークを頼ってこの地域に集まったと言います。
アブル・カラムさん(54)は2000年に日本にやってきました。ミャンマーでは、就学や就職で「差別を受けた」とカラムさんは話します。友人のつてで館林にやってきて、日本で結婚し、今は4人の子どももいます。2007年に難民認定され、自動車などのリサイクル工場で働いています。
今回のロヒンギャ難民問題についてどう思っているのでしょうか。「スーチーさんの批判はしたくない。彼女は問題解決の方法を考えているはずだ」。逆に、「軍は早くロヒンギャへの迫害をやめるべきだ」と口調を強めます。
昨年8月、ロヒンギャの武装組織が警察組織を襲い、これに対して始まった治安部隊の掃討作戦により広がった難民問題。欧米メディアなどは当初、実質的なリーダーであるアウンサンスーチー国家顧問を名指しで批判しました。
イギリスのBBCは昨年、「国際社会で孤立した、かつての人権ヒロイン」と題してスーチー氏の姿勢を批判する記事を出しました。私も取材、執筆していて、「なんでスーチーさんは何もしないの?」という意見をよく目にします。
しかし、今回、ロヒンギャを迫害したとされる治安部隊は内務省や防衛省の管轄下にあります。そしてこれらの大臣は国軍のトップ、最高司令官が指名することが、軍政時代に作られた憲法で定められているのです。そのため、スーチー氏が軍や警察に自分で命令したり、動かしたりできないのが実情なのです。
とはいっても、「スーチーさん、どうにかして」という思いを持っている人は多いはず。そんなアウンサンスーチー国家顧問に今年1月、河野太郎外相がミャンマーの首都ネピドーに会いにいきました。実はスーチーさん、実質的リーダーの「国家顧問」の他、「外務大臣」も兼ねています。これは「外相会談」となりました。
集まった日本、ミャンマーのメディアの注目は、ロヒンギャ問題について2人が何を話し合ったか。会談後の記者会見で許されたのはミャンマーメディア2問、日本メディア2問だけ。日本メディアの質問はロヒンギャ問題に絞られ、河野大臣は、「日本政府は問題解決のためにミャンマーを全面的に支援する」と述べました。
会談では河野大臣から、日本政府は、ロヒンギャが住む西部ラカイン州発展のための約3億円の支援に加え、国際機関を通じた約22億円の追加の支援の予定があることをミャンマーに伝えています。
河野大臣はその後、ラカイン州を訪れ、ヘリで上空から視察するなどした後、焼け落ちたロヒンギャらの村を見て、「事態は深刻だ」と報道陣に話しました。
私がこの記事を書くと、「この期に及んで何が支援だ」と、また厳しい声がネット上などに書き込まれているのを目にしました。確かに、「ロヒンギャを迫害している」と責められているミャンマー政府に財政的な援助をして「全面的に支援する」というのは、釈然としないものが残ります。
そもそも、国際社会がミャンマー政府への批判を続けていた際、国連などで次々と「ロヒンギャへの迫害をやめなさい」といった決議が採択されましたが、日本は「賛成」でも「反対」でもなく、「棄権」票を投じていました。
日本はあくまでもこの問題は「ミャンマーの国内的な問題であり、解決はミャンマー政府に委ねるべきだ」という考え方です。
一方、こういった決議に「反対」してミャンマー政府を完全に擁護していたのが、中国。ミャンマー政府の安全保障に関わるある幹部は、「中国が味方についてくれているから、国連でこれ以上問題が大きくなることはない」と語りました。
国連安全保障理事会の常任理事国である中国が「拒否権」を発動すれば、強い力を持つ「安保理決議」は否決されます。そんな思いが、ミャンマー側にあるのです。
今、中国はミャンマーで石油パイプラインなど大きな開発をして、経済的な進出を進めています。中国が中心になってヨーロッパまでを結ぶ「一帯一路」の経済圏にもミャンマーはがっつり入っています。そんな中、国際的な非難にさらされているミャンマーを擁護するというのは、経済的な見返りを期待する意図がありそうです。
一方、日本政府としてもそんな状況を見過ごすわけにはいきません。中国がミャンマーに近づいて恩を売ることで経済開発などに影響するという見方もあるのです。
日本政府の人も公には言ってくれませんが、中国の動きを警戒した「棄権」票。つまり、ミャンマー政府との接点を中国政府が独り占めしないようにするという側面もあるといえます。
こうなったら、日本の代表者にきいてみましょう。今年3月にミャンマー大使になった丸山市郎氏に話を聴きにいきました。丸山氏は4度目のミャンマー勤務。ミャンマー語に堪能で、軍政時代からの知り合いも多いです。
私は、「日本は国連決議などで『棄権票』を投じてきた。人権侵害に対して『ノー』と言えないのではないか」と質問しました。
丸山大使は、「この問題の解決のため、我々が協力しようとしても、ミャンマー政府や国軍、警察が我々の言葉に聞く耳を持たなくなったら、会わなくなったら何もできない。こちらの助言を聞いてもらう関係を築いておくことが重要だ」と言います。
さらに、「ミャンマー政府側についている中国の動きを警戒してのことではないか」とぶつけました。
これに対して丸山大使は、「あれだけ長い国境を接している中国と、ミャンマー政府は好き嫌いを別にしてつき合わざるを得ない。ただ、日本はこれまでミャンマーの経済発展、民主化を考えて支援してきた。そこは中国と区別すべきだ」と答えました。
立場上、あまり中国を刺激する発言ができないのは理解できます。でも言葉の端々から、「我々は中国とは違う」という意識を感じました。
丸山大使は、「日本の対応が批判されたことは、軍事政権下でもあった」と話します。
1988年から続いた軍事政権時代。欧米などが経済制裁を下す中、日本は援助を続けていました。欧米からは「軍事政権に塩を送る行為」に対して批判されました。
当時もミャンマーに勤務していた丸山大使は、「日本が軍事政権と一定の関係を持ってつき合ったことは『生ぬるい』と国内外から言われた。だが、軍事政権が民主化するためにいろいろな形で話していく必要がある」と語ります。
「本当に国の成長や発展を望むなら、将来に備えた支援が必要だ」
確かに、取材をしていると、ミャンマーの人たちの日本に対する感情は特別です。取材相手で「私はメディアが苦手だが、日本のメディアなら受けようと思った」という人も、1人、2人ではありません。彼らは「日本はずっと私たちを支えてくれたからだ」と言います。もちろん、彼らは軍関係者ではなく、一般の人たちです。
もちろん、「国益」という考えもあるでしょう。「これからどんどん発展していくミャンマーに対して良い関係をつくっていくことは、日本企業が進出しやすい土壌をつくる」(日本企業関係者)という意味もあるはずです。
記者としては、70万人近くの難民を出した点については、ミャンマー政府を厳しく批判するべきだと思います。一方で、今求められているのは、彼らが安心して帰還すること、その後も安全にミャンマーで暮らすこと。
ロヒンギャが戻る予定のミャンマー政府ラカイン州を何度か訪れましたが、立派な「受け入れ施設」はつくられたものの、多くが村を焼かれた難民がどう暮らしていくのか、明確なプランはなく準備はほとんど進んでいませんでした。
日本としてできるのは、安全な帰還のために何が必要か、ミャンマー政府に提案していくことではないかと思います。
はっきり言ってミャンマー政府の広報は非常につたないです。もっと説明すれば良いのに、ちゃんと言わないから、国際機関などから「隠している」と疑われることもありました。
ロヒンギャ難民と日本とのつながりを考えれば考えるほど、決して他人事として片付けられなくなってきます。将来の経済的な利益を見越した中国と向き合い、何より、難民という大変な状況にいる人たちが、日本に対して親近感を持ってくれること。難民を「自分ごと」として考えるきっかけを、発信していきたいとあらためて思いました。
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