連載
#36 平成家族
「不妊原因は自分」知る恐怖 身近になる「妊娠力」検査、戸惑う男性
技術の進歩や不妊治療への意識の高まりで、「妊活」という言葉が当たり前になった平成時代。スマートフォンで精子の活動を見られるツールや、結婚前後のカップルが妊娠に必要な検査をする「ブライダルチェック」など、「妊娠力」を調べられる方法がより身近になってきています。一方で不妊の原因が自分にあると特定されれば「家族崩壊につながる」と恐怖を感じ、ためらう男性もいます。その思いを明かされた妻の気持ちとは。妊娠に向き合う家族の今を追いました。(朝日新聞記者・山本恭介、福地慶太郎、見市紀世子)
スマートフォンの画面に映し出される映像を、埼玉県志木市の永井太郎さん(38)はドキドキしながら、じっと見つめました。
「あれ、おかしい……」
映像は、オタマジャクシの形をした無数の精子が元気に泳いでいる、はずでした。実際は動いている精子はほとんどおらず、数も少ないように見えました。
永井さんが使ったのは、自身が働く性具メーカー「TENGA」が2016年に開発した精子検査キット「TENGAメンズルーペ」。
スマートフォンのカメラに特殊な拡大鏡をセットし、プレートに垂らした精液をかざすことで自身の精子の状態を簡単に観察できる商品です。精子の動きを目視し、サイトの計算式に当てはめると、世界保健機関(WHO)の基準と比べることができます。
精子を見た永井さんの頭には、妻(37)の言葉が浮かびました。
「子どもがなかなかできないけど、あなたは何か行動している?」
共働きで、仕事優先の生活をしてきた永井さん夫婦。互いに30代も半ばにさしかかった頃、子どもを作ることを決意しました。ですが、それから2年ほど、子どもはできませんでした。
夫婦は互いに思うことがありましたが、言えませんでした。それは「私が(自分が)不妊の原因かも」というもの。
永井さんが言えず、自分から調べることをためらったのには、漠然とした恐怖心がありました。自身の精子が不妊の原因だと分かったら、家庭が壊れるのではないか――。その不安から逃げ、このままでも何とかなるだろうと考えて日々を過ごしていました。
夫婦の妊活への意識の差は広がっていきました。
妻は生理の日から、妊娠しやすいタイミングを計算していましたが、永井さんは「仕事で疲れた」と断ることも。妊娠のために努力する妻と、関心の薄い夫。妻は、永井さんが傷つかないような言い方で検査を促しましたが、永井さんは動きませんでした。妻は、そんな永井さんへの信頼感が薄れていきました。
そんな頃に社内で使用を勧められたのが、精子検査キットでした。妻からは何もしないと思われていた永井さん。心の中では何かしないといけないと思っていたため、調べることを決意しました。
スマートフォンで見た自身の精子が基準以下かもしれないと不安に思った永井さんは、妻に内緒でインターネットで調べた泌尿器科に行きました。
永井さんの精子を見た医師は「あなたが不妊の原因になっているかもしれません」と言いました。精子の運動率の低さを指摘されたのです。
結果を聞いた永井さんは、吹っ切れました。
「もやもやしていた原因の一つが分かって、逆に気持ちが楽になった。子どもができないことに向き合おう」
検査後のある晩。妻は「結婚式をしていない私たちには、子どもという証明もない」と言い出し、けんかになりました。
「実は……」
永井さんは妻に、病院に行ったことと、精子の運動率が低いという検査結果を伝えました。
「(自分が原因だったら)家庭が壊れるのでは」との不安は妻の反応で払拭されました。妻は「仕事ばかりで、そういうことには興味がないと思っていた」と逆に喜んでくれました。
妻は「やっと第一歩が踏み出せたと安心し、不妊治療に取り組む同志として夫への信頼を取り戻した」と思ったそうです。
2016年秋、不妊治療のクリニックへ通うことを決めました。
排卵周期に合わせて性交渉を持つタイミング法を約10回試しましたが妊娠せず、濃縮した精子を子宮へ入れる人工授精も試みましたがうまくいきませんでした。
「今回もできなかった。ごめん」と妻は自分を責めました。永井さんは精子の活動をあげるとされる食事やサプリメントを摂取し、生活習慣も改めました。妻の通院にも付き添い、できる限りのことはしました。
2回目の人工授精をした昨年秋。採取した精子の運動率もよく、妊娠することができました。
妻は「もしあのまま夫が子どもができないことを認めず、調べたり、行動したりしていなかったら、離婚していたかもしれない。パートナーとしては、現状に一緒に向き合って、真剣に語れるほうが格好良いと思います」と振り返ります。
永井さんも「妊活を女性任せにしてはいけない。もっと早く向き合うべきだった」と今は感じています。2人の子どもは7月に生まれてくる予定です。
不妊の原因に男性が関係するケースは、約半数とされています。しかし、妊活の意識については、夫婦で差があります。
リクルートライフスタイル(東京)が、不妊治療を経験した約20組の夫婦と約10カ所の治療施設にヒアリングしたところ、不妊を疑い始めた当初は、先に女性だけが医療機関を受診するケースがほとんど。男性の精液を調べるのは、妊活を始めてから、だいたい1年半~2年半後でした。
同社の入澤諒さんは「時間が経つほど、女性は妊娠しにくくなるのに、男性の動き出しが遅い。女性が基礎体温を測ったり、排卵日を調べたりするように、男性も精子をセルフチェックする文化ができれば、早めに治療できるかもしれない」と話します。
そうした考えから同社は2016年、精子の簡易測定キット「Seem(シーム)」を発売しました。
自分で採取した精液をレンズにつけ、専用アプリをダウンロードしたスマートフォンのカメラで撮影します。精子の濃度と運動率を測定でき、結果をWHOの基準値と比較します。
同社が簡易測定キットのテスト販売で利用者33人にアンケートをしたところ、11人は利用後に医療機関を受診。「妊活の話題が増えた」「妊活に協力的になった」と答えた人もいました。
一方、入澤さんは「問題がある男性が簡易測定キットの結果で安心してしまい、医療機関の受診を妨げることにならないように注意した」と話します。
そこでアプリでは、「あくまで簡易チェックで、医療機関の検査の代わりにはなりません」「不明点や疑問点があれば、医療機関に相談してください」と表示しています。
男性はどうして、動き出しが遅くなりがちになるのでしょうか。
入澤さんは「『精子がいなかったら、おしまい』と不治の病のように怖がっている男性が多いと思う。無精子症でも、手術を受けて妊娠できるケースもある。早めに気づくことが、選択肢を広げるのだと知ってほしい」と話しました。
夫婦そろって検査に行ったからこそ、「早く動けた」と語る女性もいます。
東京都の伊藤ひろみさん(35)は5年前、結婚直後に夫(32)が社内の留学制度で選ばれ、パリに同行するため自身の会社を退職しました。「子どもを持つ良いタイミング」と考えました。不妊の心配などがあったわけではなく、何の気なしに夫を誘い「ブライダルチェック」を受けたそうです。
ブライダルチェックでは、精液検査や子宮のエコー検査などから分かる妊娠力について調べました。その結果、夫が無精子症で、自然妊娠が難しいことが分かりました。男性不妊のクリニックを探し、精密検査や治療を始めてから、留学をしました。
留学先でも、英語で意思疎通ができるロンドンまで電車で通いながら、不妊治療を続けました。子どもを授かり、2016年4月に日本で長女を出産しました。
「もしあのとき検査を受けていなかったら、自己流の妊活をして半年や1年、時間を多く費やしていたかも」と振り返ります。
伊藤さんは出産後、不妊治療の経験を生かし「自分に何かできないか」と考えました。自分自身、不妊治療の中で孤独を感じていたからです。
男性不妊は、日本では専門クリニックや医者が多くなく、患者のブログも当時はほとんどありませんでした。情報が圧倒的に少ないのが現状です。つらい気持ちを共有できる人もおらず、夫を責めるわけにもいかないという、気持ちにさいなまれていました。
「自分に原因がなくてもこんなにつらいなんて。同じ境遇の人を見つけて、愚痴を言えるだけでどれだけ救われるだろう」
17年2月に不妊治療の情報サイト「コエル」を立ち上げ、今年3月には「コエル」で不妊治療の仲間と知り合えるマッチングサービスを始めました。
居住地や年齢、病院名、治療内容を匿名で登録し、「2人目不妊」など当てはまるタグを選ぶと、仲間のプロフィールを見て友達申請ができるようになります。相手に承認されると、直接メッセージのやりとりができます。
男女問わず登録できますが、約160人の会員のうち、男性はまだ5人程度といいます。伊藤さんには、「夫が検査をなかなか受けてくれない」という相談も多く寄せられるそうです。
ブライダルチェックは性病検査が中心の場合が多いそうですが、女性はホルモン値を調べる血液検査や、子宮や卵巣の状況を見るエコー検査、男性は精液検査をして、「妊娠力」も調べるメニューがある場合もあります。
自己負担が数万円かかりますが、自治体によっては助成をしているところもあるそうです。伊藤さんは「早めの検査で時間を節約できました。もっと男性にも理解が広がってほしい」と願っています。
この記事は朝日新聞社とYahoo!ニュースの共同企画による連載記事です。家族のあり方が多様に広がる中、新しい価値観とこれまでの価値観の狭間にある現実を描く「平成家族」。今回は「妊娠・出産」をテーマに、6月29日から公開しています。
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