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「甲子園優勝」記者が忘れない木内監督の「教え」 愛あるせっかち
この夏、全国高校野球選手権大会は「第100回」の大きな節目を迎えます。常総学院(茨城)のメンバーとして、2003年夏の甲子園で全国優勝を経験した私は先日、当時の木内幸男監督(86)との対談会に、高校の先輩で元巨人の仁志敏久さんらと一緒に参加させてもらいました。人前で話すことは、あまり得意ではない記者…。何日も前から緊張していましたが、それを解きほぐしてくれたのも、木内監督のある教えでした。
第85回大会の出場を決めた高校3年の夏、出場校に30分間だけ認められている甲子園球場での事前練習で、チームはエラーを連発。帰りのバスの中で木内監督に言われたのが「緊張していることを認めろ」でした。
「自分があがっていることを受け入れたら、もうそれ以上は緊張しない」という意味だと解釈しています。
対談会の数日前にこれを思い出し、冒頭で「緊張しています」と打ち明けました。それ以降、「平常心に戻る」とまではいきませんが、変な汗はかきませんでした。15年も前に言われたことが、年月を経て、生きてくるとは。
私の高校時代、すでに木内監督は70歳代でした。練習ではバックネット裏の部屋から、マイクを使って指示を飛ばします。改善した方がいいところを選手に指摘することが大半ですが、たまに本筋とは全く関係ないことも発していました。
「日本―チュニジア、2―0で日本!」
野球の練習中に、サッカーW杯日韓大会の結果なども伝えていました。
他にも、ノックの手伝いをしている控え選手に向かって「そのグラブの色、高校野球で使えるの?」。顧問の先生の携帯電話が着信すると「先生、ブルブル鳴ってるよ」。監督の声はグラウンド中に響き渡ります。
ちなみに「マネジャー、お茶」と言うときもありますが、そのマイクは、マネジャーがいる部屋にはつながっていないため、近くにいる誰かが、マネジャーに伝えに走っていました。
試合中も、ベンチで常にしゃべっています。
「あいつはさっき変化球を打ったから、今度は真っすぐを待ってるよ。ほれ見ろ、変化球見逃しただろ」
選手たちは木内監督の考えを知りたいので、なるべく近くに座って聴き入ります。監督の言葉を黒板に書く書記係もいました。
守備が終わってベンチに戻ってくると、黒板をチェック。試合後のミーティングにも生かされます。
「お前はもうこの打席でヒットは期待できないから、スクイズだ!」と相手チームにも聞こえるぐらい大声で言われ、バッテリーにバットに当たらない球を投げられて失敗……なんてことも、ありました。
対談会では、木内監督が急に「井上の悪口を一つ言いますと」と切り出しました。
「こいつはね、俺に代打を出してくれって言ってきたんですよ。そんなヤツは初めて」
おそらく高3夏の甲子園2回戦。智弁和歌山戦を言っているのでしょう。二塁を守っていた私は、相手の左投手がまったく打てず、2打席凡退。確かに代打を出されてホッとしたのですが、自分から「代打を出してくれ」とは言っていません。
そもそも、そんなこと言ったら、2度と試合に出られなくなる。
事実とは違うので、そのまま進行する司会者を遮って、否定しました。
「いや、それ、言ってないんですけど…」
ですが、木内監督は認めません。やりとりが面白かったらしく、会場は笑いに包まれましたが、最後は隣にいた仁志さんが「もう、そういうことにしましょう」。これにて一件落着……?
木内監督は頑固でせっかちですが、そこで言い返しても大丈夫な雰囲気があります。最後に「今の仕事に生かされている木内監督の教えは?」と聞かれ、こう答えました。
「全体練習が短くて(平日は約3時間)監督のせっかちな性格もある。どうすれば、効率よく練習できるか。特に練習の合間を短くすることは意識させられてきました」
「例えばノックと打撃練習の合間。ネットを張ったり、球を用意したり、投手の球を受ける捕手の準備をしたり、いろんな仕事がある。すると自然に『どこが足りないか』を自分たちで探して、率先して動くようになるんです」
「仕事は自分で探すもの」。野球を辞めた後でも、今に生きる考え方です。
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