地元
「親戚にも住所、教えきらんとよ」熊本地震、アイデンティティの危機
今も約4万人が避難生活を送る、熊本地震の被災地。住まいを失った被災者が直面する「アイデンティティの危機」に目を向ける専門家がいます。街や家はただ生活するための器ではなく「私は私である」というアイデンティティ(自己同一性)を支えています。そして、それが傷つくことが、大きな心の負担になると言います。今、現地では、どんな支援が必要なのでしょうか?(朝日新聞熊本総局・池上桃子)
被害の大きかった益城町で被災し、現在は熊本市内のアパートで1人暮らしをする石井光廣さん(59)にとって、地震前の住まいは別れた家族との唯一の接点でした。
「離婚したのは5年くらい前かな。妻が娘2人を連れて出て行った。別れても父親は父親だけん、これからも必ず会わせるよと言ってたけど、そのうち連絡が取れんようになって、もうずっと会ってない」
それでも、石井さんにとって子どもの存在は心の支えになっていました。
「子どもが大きくなったら、もしかしたら自分の意志で訪ねてきてくれることがあるかもしれないと思ってた。それが希望だった」
ところが、地震で大きな被害を受けたそのアパートは解体され、もう姿はありません。娘と自分をつなぐ接点も、再会の可能性もなくなったと感じています。
今のアパートは、行政が民間賃貸住宅を借り上げて被災者に提供する「みなし仮設住宅」(借り上げ型仮設住宅)です。
「連絡先も分からない。こっちのみなし仮設に入ってることを伝える手段もない。もう諦めてるけど、子どもに会えないのは何よりつらいね。娘が会いに来る夢、今でも見ることがあるよ」
被災後、飲酒量が格段に増えたという石井さん。ワンルームの部屋には、4リットルのウイスキーのボトルが2本置いてありました。地震前は20日ほどかけて1本飲んでいたようですが、地震後は2週間ほどで空けてしまうようになったと話してくれました。
「とにかく先が見えん。何を目標に生きていったらいいのか。あの家に住んでいることが、どこかで心を支えていたんだと思う」
付き合いのあった近所の人も被災後は居場所が分からなくなり、職場と家を行き来するだけになった生活に寂しさを募らせ、つい酒に手が伸びます。
親身なボランティアとの出会いがあり、アルコール量にコントロールに取り組んでいます。趣味のペーパークラフトを活かして、ボランティア主催のイベントで作品を展示したり、子どもたちに教えたりして新たなつながりを作ろうと奮闘中です。
2016年4月14日、16日に2度の最大震度7を観測した熊本地震では、県内で約4万棟の家が全半壊し、最大で18万人が避難しました。
家屋の倒壊などで亡くなった直接死は50人、地震後の体調悪化で亡くなった「災害関連死」は200人を超え、現在も約4万人がプレハブや木造の仮設住宅(建設型仮設住宅)や、行政が借り上げた賃貸住宅「みなし仮設住宅」で暮らしています。
近頃は、更地になっていた土地に建てられたばかりの真新しい家を見ることも増え、少しずつ生活再建が進んでいることも感じます。
一方で、災害公営住宅が整備されるにはまだ時間がかかり、今後も数年間は仮暮らしが続く人もいます。
その中で、石井さんのように、元々の地域から離れ、慣れ親しんだ暮らしを失った寂しさを募らせる人がいます。
石井さんにとって家は、単に雨風を凌ぎ眠る場所ではなく、離れて暮らす娘とのつながりであり、明日に向かって生きていく力を生むものでした。
こうした心の支えを失うことを、「アイデンティティ・クライシス」と呼んで注視している専門家がいます。
熊本学園大学の高林秀明教授(地域福祉論)は、熊本地震の直後は避難所の運営に関わり、その後もプレハブ仮設住宅や、みなし仮設住宅の被災者の交流支援や悩みの聞き取りをしてきました。
地震から半年後の2016年10月から翌年3月にかけては、被害の大きかった益城町のみなし仮設住宅の入居者を戸別訪問しました。
その時、予想以上に、生活や健康の問題を抱えている人が多かったと振り返ります。
「狭いプレハブの仮設住宅に比べ居住環境は良いはずなのに、みなし仮設では元々住んでいた地域を離れ、コミュニティから切り離されて孤立感を抱く人が少なくない。周囲に知り合いがおらず、ボランティアの支援や行政からの情報も届きづらいのです」
高林教授は、訪問を続けるうちに、災害によって住み慣れた家や地域、仕事、家族生活や友人関係を失い、アイデンティティの危機に陥る人がいることに気づきました。
自宅を失い、2LDKのアパートに3世代6人で暮らし始めた家庭の女性は、地震後に認知症が悪化した義理の母の世話をしながら、自営業の手伝いと家事に奮闘していたそうです。
「その女性は、狭い住宅の中で家族との関係が変化し、日々のストレスからうつ状態に陥っていました。『毎日がまるで家政婦のよう』という言葉に、アイデンティティを保つことのできない苦しみを感じました」
高林教授の言う「アイデンティティ」とは、どんなものなのでしょう?
「個人の行為を支える力であり、目の前の出来事に対応し、将来の生き方を規定する主体的な力」と高林教授は説明します。
「被災体験は生活を断絶し、長年培ってきたアイデンティティに影響を与えますが、現在の復旧復興の施策は、こうした部分にまでは対応していません」
「うつ状態に陥った女性も、せめてもう少し広い家に移れないか行政に相談しましたが、当初は認められませんでした。災害後、被災者の生きるよりどころをいかに支えていくのかは大切な視点だと考えます」
熊本県菊陽町で被災した鹿子木ハツエさん(74)。大きな日本家屋の一軒家が全壊し、前の家から車で15分ほどのアパートに移りました。石井さんと同じ、「みなし仮設住宅」です。
「炊事場に野菜を持ち寄って、近所の奥さんたちと漬けものをつけたり、ごちそうを作るのが楽しみだった。今は、アパートのキッチンで自分が食べるものをちょこちょこ作るだけ。これまでの気前のいい私じゃなくなったみたい」
昨年11月、鹿子木さんの住むアパートを訪ねました。玄関を開けると、板張りの短い廊下のあとにダイニングキッチンと居間がある、ごく一般的なアパートの一室。夫と2人で暮らすには十分な広さで、住み心地はむしろ良さそうに思えます。
でも、鹿子木さんは「新しい住所は親戚にも教えきらんとよ」と言います。
「前の生活と、あまりに違うとるから。何もかも小さくなって、『ままごとのような』生活になった。何も悪いことはしとらんのに、人に見られたくない。あれから時間が経って熊本のことなんて忘れられたけど、私には全然地震は終わっとらん」
鹿子木さんが涙ぐみながら話してくれた悩みは、災害に遭ったことのない人が聞くと、違和感を覚えるかもしれません。
でも、アイデンティティの危機という視点を持った時に、抱えている痛みの大きさが分かる気がしました。
住み慣れた家への愛着や、地縁的なつながりは、鹿子木さんの日々の暮らしの活力だったのだと思います。
これが突然の災害で断絶され、元の生活との落差に苦しんでいます。ふさぎ込むことが増え、生活再建にも歩み出せずにいると話してくれました。
「小さくてもまた家を建てるべきか、災害公営住宅に入ろうか…」
家を訪ねた日、「お昼食べていかんね」と、うどんを作ってくれた鹿子木さん。コンロとシンクの間でねぎを刻んでいる背中は、どこか寂しそうに見えました。
被災者支援において、アイデンティティ・クライシスの視点を持つことの意義について、高林教授は次のように話します。
「東日本大震災などの過去の災害と比べて亡くなった人の数が少ないという理由で、熊本地震の被害を軽視する人に会ったことがあります」
「確かに被害程度は比べものにならず、国からの予算のつけ方も違うのは事実です。でも、今まで起こった中で同じ災害というのは一つもなく、被災者ひとりひとりの痛みも比較ができるものではありません」
「地縁的なつながりや日常を失うことが心に与えるインパクトの大きさも認識されるべきです」
熊本に赴任し、取材を始めてもうすぐ2年。
被災地で話を聞いていると、「自分の被害のことを話すのは申し訳ない」という人に出会うことがあります。
家族を亡くした人に比べれば、家を失った人に比べれば、お年寄りだけの世帯に比べれば「自分は大したことないから…」。そんな負い目を持つ人たちです。
災害の被害を語る時、私たちは被災者の数や犠牲者の数、経済的な損失など数字に表せるものでその深刻さを図ろうとします。
心の問題を語る上でも、PTSDやうつ、不眠など、名前のつく症状に注目しがちで、言葉にしづらい苦しい気持ちを見落としてきたのかもしれません。
傷ついたアイデンティティに寄り添うことは、災害を乗り越えようとする人たちを少しでも理解し、支えるために必要な視点ではないかと感じています。
1/22枚