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感動

「11ぴきのねこ」が変えた人生 ラオスの看板アナ、極貧時代の出会い

絵本「11ぴきのねこ」。ラオス語の翻訳が上からはりつけられている
絵本「11ぴきのねこ」。ラオス語の翻訳が上からはりつけられている 出典: ラオス子ども文化センター提供

目次

 「11ぴきのねこ」(馬場のぼる著)という絵本を知っていますか? 実は、この本で人生が大きく変わった女性が東南アジアのラオスにいます。彼女はいま、ラオス国営放送の看板アナウンサー。本との出会いは日本のNGOなどが運営する、子どものための施設でした。貧しさの中に育ち、幼い弟や妹の食事をつくり、独り身の母の行商を手伝っていたという彼女を変えたのは、なんだったのでしょうか。(朝日新聞ヤンゴン支局長兼アジア総局員・染田屋竜太)

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ラオス国営放送の夕方のニュースを担当する、スニター・ピンマソンさん=2017年12月、ビエンチャン
ラオス国営放送の夕方のニュースを担当する、スニター・ピンマソンさん=2017年12月、ビエンチャン 出典: 染田屋竜太撮影

ラオスの看板アナ 貧しかった少女時代

 ラオスで一番有名なアナウンサーと言われるスニター・ピンマソンさん(30)。平日午後6時半から毎日、ニュースを届けています。

 番組制作も手がけ、記者としてインタビュー取材もするほか、講演会、イベントの司会と引っ張りだこの毎日。

 でも、「子どものころは、こんな姿を思い浮かべることさえできなかった」と話します。

インタビューに答えるスニターさん。はっきり、的確な答えを返してくれた=17年12月、ビエンチャン
インタビューに答えるスニターさん。はっきり、的確な答えを返してくれた=17年12月、ビエンチャン 出典: 染田屋竜太撮影

 第二次世界大戦後、社会主義経済を続けてきたラオス。ソ連崩壊などで市場経済にかじをきりますが、「アジアでいちばん貧しい国」とも言われ、国民は苦しい生活を続けていました。

 スニターさんが首都ビエンチャンの郊外に生まれたのもそんな頃。決して豊かではなかった生活が7歳の時、両親の離婚でさらに厳しくなります。

 そんな家族を支えたのがスニターさんでした。

ラオスはタイやミャンマーに囲まれ、中国とも国境を接する
ラオスはタイやミャンマーに囲まれ、中国とも国境を接する 出典: 朝日新聞社

 暗いうちに1人で起きて、リヤカーで行商に出る母親と一緒に商売の準備。終わったら5人のきょうだいの食事を作り、自らも学校へ。帰ったら家の掃除をし、弟たちを風呂に入れ、夕食もつくります。

 学校が休みの日は、自らリヤカーを引いて市場に漬けものを売りに行きました。

 楽しみは年に一度だけ行ける、近くの小さな遊園地。20キープ(当時約2円)の乗り物に、1人1回だけ乗ることができました。ほんの少しだけ家族みんなが笑顔でいられる時間を、今も忘れることができないといいます。

遊園地で乗り物に乗るスニターさん(右)。家族で遊べるのはほんのわずかな時間だったという
遊園地で乗り物に乗るスニターさん(右)。家族で遊べるのはほんのわずかな時間だったという 出典: スニターさん提供

 働いても働いても楽にならない。9歳の時、いつものように漬けものを売りに歩いていたある土曜日、家の近くの建物から子どもの笑い声や歌声がきこえてきました。

 こっそりのぞいてみると、同い年くらいの子どもたちが絵本を読んだり、踊りをしたり。

 実は、ラオス政府と日本のNGO「シャンティ国際ボランティア協会」が運営する「子どもの家」という施設でした。

1960年代のラオスの様子。「アジア最貧国」と呼ばれる時代もあった
1960年代のラオスの様子。「アジア最貧国」と呼ばれる時代もあった 出典: 朝日新聞社

 「行ってみたい!」

 でも、家族が苦しい思いをしている中、自分だけ楽しんで良いのか……。悩みつつも好奇心を抑えきれず、おそるおそるドアを開けると、「私の世界が一気に広がったように感じました」とスニターさん。

 見たこともないような本が並び、ラオスの伝統音楽や踊りが教えられていました。

ラオスもタイやミャンマーと同じく仏教国。毎年、11月の満月の日に、「タートルアン」というお祭りが開かれる
ラオスもタイやミャンマーと同じく仏教国。毎年、11月の満月の日に、「タートルアン」というお祭りが開かれる 出典: 朝日新聞社

日本のNGOとの出会いが転機に

 そこで見つけたのが「11ぴきのねこ」です。

 おなかをすかせた猫たちが大きな魚をとるために頭を使い、力を合わせてチャレンジする……。

 「とにかく猫たちの絵がかわいくて、協力してがんばる様子も応援したくなった」とスニターさん。たちまち夢中になりました。

 なんと高校生になるまで、自分を元気づけるためにこの絵本を開いていたそうです。

 この出会いは彼女を大きく変えました。

 仕事の手が空くと施設に行き、本を読みふけるように。次第に、自分よりも小さな子どもたちに読み聞かせをしたり、催しで司会者を務めたりする機会も増えました。

 「自分は必要とされている」と感じるようになったといいます。

「子どもの家」での1枚。前列右から2番目がスニターさん
「子どもの家」での1枚。前列右から2番目がスニターさん 出典: ラオス子ども文化センター提供

 「11ぴきのねこ」を読み聞かせるとき、どうすれば猫たちの気持ちが伝わるか、何度も何度も考えました。

 「人に何かを伝える、その原点には絵本があった」と彼女は振り返ります。

 学校が終わってから飲食店で働いたり、行商を手伝ったりしてお金を稼ぎ、高校、大学まで進学。そのうち、イベントなどで何度も人前に立ってしゃべる機会が増えました。「得意ではない。でも、自分なりに精いっぱいやって喜んでもらえるのがうれしい」と言います。

 そんなスニターさんが職業としてテレビのアナウンサーを選ぶのは、自然なことでした。

1960年代には、内戦で難民となる子どもたちもいた
1960年代には、内戦で難民となる子どもたちもいた 出典: 朝日新聞社

次の世代に夢を継ぐ

 スニターさんはいま、過密なスケジュールの合間を縫って、週末に子どもたちに読み聞かせをする時間を持っています。

 昨年、自らも「子どもの家」を立ち上げたのです。

 以前から自分で施設を開くことが夢だったそうです。でも、今は仕事もあるし、両立は無理ではないか……。

自ら立ち上げた「子どもの家」で英語を教えるスニターさん。「教えるのって難しい」と笑みを浮かべる=17年12月、ビエンチャン
自ら立ち上げた「子どもの家」で英語を教えるスニターさん。「教えるのって難しい」と笑みを浮かべる=17年12月、ビエンチャン 出典: 染田屋竜太撮影

 迷う背中を押したのが、夫のシビエンカム・タマボンさん(35)でした。「やりたいことはすぐ行動に移すべきだ。何でも協力する」。

 昨年6月、夫が経営する会社の部屋の一部を使って子どもたちが集まれる場所をつくりました。

時には伝統の踊りも教えます。子どもたちは楽しみながらも振りを覚えるのに真剣=17年12月、ビエンチャン
時には伝統の踊りも教えます。子どもたちは楽しみながらも振りを覚えるのに真剣=17年12月、ビエンチャン 出典: 染田屋竜太撮影

 10畳ほどの3部屋は、踊りや音楽、読書、勉強と用途を分け、毎週末、子どもたちが学んだり遊んだりできるようにしています。

 仕事やイベントがない日はスニターさんは子どもの家で子どもたちに本を読んだり、一緒にごはんを食べたりしています。

 「ここで子どもたちと過ごしていると、本当に幸せだと感じられる」とスニターさん。

今でも「ラオス子ども文化センター」に残る「11ぴきのねこ」。数え切れない子どもたちが手にしたといいます
今でも「ラオス子ども文化センター」に残る「11ぴきのねこ」。数え切れない子どもたちが手にしたといいます 出典: 同センター提供

 運営のための利用料は月に20万キープ(約2,600円)ですが、生活に余裕のない家庭の子もいます。

 「払えるだけでいい。ここに来続けてもらうことの方が大事」

 はしゃいだり、熱心に絵本を読んだりする子どもたちを見て、スニターさんは目を細めていました。

 成功をつかんだスニターさんですが、「たまたま周りにきっかけをもらっただけ」と言います。

 自分の人生を変えた子どもの家と絵本。「今度は、子どもたちにそんな機会を提供できる人になりたい」と笑顔で話しました。

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