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感動

「本当に浅はかだった」広島・赤松選手、がん闘病を発信し続ける理由

2017年のカープ連覇。シーズン中の出場はならなかったが、菊池涼介選手と肩を組んでファンにあいさつした=2017年9月18日、甲子園球場
2017年のカープ連覇。シーズン中の出場はならなかったが、菊池涼介選手と肩を組んでファンにあいさつした=2017年9月18日、甲子園球場 出典: 朝日新聞・上田潤撮影

目次

 広島カープの赤松真人選手(35)が、前例のないがんからの1軍復帰を目指しています。「2人に1人ががんになる」と言われても、どこか他人事だったという赤松選手。がん治療についての取材をできるだけ受け、病気について発信を続けています。「独りで乗り越えていくにはつらい病気」ということが、誰よりも身にしみた日々。それでも1軍をめざす理由を聞きました。

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がん治療や1軍復帰への思いを語ってくれた赤松真人選手=2018年1月15日、広島県廿日市市
がん治療や1軍復帰への思いを語ってくれた赤松真人選手=2018年1月15日、広島県廿日市市 出典: 朝日新聞・上田幸一撮影

同世代の「胃がん」にショック

 赤松選手の病気が発表されたのは2016年12月末のことでした。25年ぶりのリーグ優勝を成し遂げ、広島や全国のカープファンがわいた直後のことです。

 今年33歳の私は赤松選手と同世代。「胃がん」という病名を聞いてショックでした。

 2005年に阪神入団、2008年から広島でプレーし、試合終盤の代走や守備固め、チームのムードメーカーとして欠かせない存在だった赤松選手。カープファンとして、その活躍を追いかけていた一人でもありました。

 競争の厳しいプロ野球の世界。そんな中、突然、チームから離れることになったのです。

「1年前は考えられなかった」

 そんな状況の中、赤松選手はスポーツ紙のインタビューに答えたり、ブログを書いたりして発信を続けていました。赤松選手の言葉に触れるたび「自分なら、こんな風に病気に立ち向かえるだろうか」と考えさせられました。

 日本では、がんは2人に1人がかかります。でも、若い年代では、自分のこととして考えにくいのも事実です。病気のつらさ、1軍復帰をめざす赤松選手の姿は「がんとともに生きる」ヒントがあると感じ、取材を申し込みました。

 取材日の今年1月15日、広島県廿日市市の大野練習場。この日、合同自主トレがスタートしました。赤松選手も、丸佳浩選手やドラフト1位で入団した中村奨成選手らとランニングやノックなどで汗を流しました。

 その後のインタビュー。赤松選手は、やわらかく笑いながら語りました。

 「チームメートと野球ができることが、本当にうれしいですね。1年前は考えられなかったんで」

「本当にたまたま見つかりました」

 赤松選手は「自覚症状もなくて、本当にたまたま見つかりました」と明かします。

 例年、健康診断を受けている医療機関で妻が胃カメラの検査を受けることになったため、「ただ待っているのもな」と考え、自身も受けることに。すると胃がんが分かりました。

 国が指針で定める胃がんの検診の対象者は50歳以上です。

 それでも赤松さんは「あのとき検査しなかったら、40歳まで生きられなかったんじゃないですかね」と振り返ります。

自主トレでランニングする赤松真人選手(中央)=2018年1月15日、広島県廿日市市
自主トレでランニングする赤松真人選手(中央)=2018年1月15日、広島県廿日市市 出典: 朝日新聞・藤田絢子撮影

他人事だった「がん」浅はかだったな

 当初は、悪いがん細胞でもないと説明を受け「胃を少し切って、それが治ればチームに合流できる」と考えていました。

 そもそもがんは「他人事」だったと言います。

 父が肺がんになっても「生活習慣を見直して、早く治さないと」と励ましていました。

 「今なら、ひどいことを言っていたな、と思います。『2人に1人ががんになる』というのを新聞で知って、『自分だけはならない』と考えていたのは浅はかだったな、と思いました」

 ただ、「抗がん剤治療がつらい」という知識だけはありました。リンパ節への転移が判明し、医師から「抗がん剤治療が必要だ」と言われたときが一番ショックだったそうです。

1軍復帰に向け、調整を続ける赤松真人選手=2017年9月1日、広島県廿日市市
1軍復帰に向け、調整を続ける赤松真人選手=2017年9月1日、広島県廿日市市 出典: 朝日新聞・上田幸一撮影

「強制的にインフルエンザにされてる感じ」

 抗がん剤は、再発率や生存率を聞いて、半年間に点滴と飲み薬を併用する治療を選びました。

 治療が始まったその日に、がくっと体調が落ちる。「強制的にインフルエンザにされてる感じです」

 赤松選手は「このしんどさを『分かってくれ』って言っても、そりゃあ分からんわって話じゃないですか。でも、妻は分かろうとしてくれてた。なのに、自分が当たってしまうこともあった。妻には感謝しかありません」と振り返ります。

2016年、日本シリーズ初戦に勝利して体をぶつけ合う赤松真人選手(左)たち
2016年、日本シリーズ初戦に勝利して体をぶつけ合う赤松真人選手(左)たち 出典: 朝日新聞・上田幸一撮影

「生きてるー?」菊池涼介選手からのLINE

 働く世代にとっては、がん治療と仕事の両立や、治療後の就労など、さまざまな問題があります。

 赤松さんは「会社員の知人から、仕事が休めないので抗がん剤治療をしながら働くと聞きました。自分は治療に専念できたので、もっと頑張らなければと思っていました」と話します。

 そして、がんを「独りで乗り越えていくにはつらい病気」と表現しました。

 治療中には、カープの菊池涼介選手が、LINE電話でこまめに連絡をくれたそうです。

 「『生きてるー?』ってかけてくるんです。その確認いります?って思いますよね(笑)。でも励みになりましたね。テレビ電話なんで、元気な姿を見せようとして振る舞うと、そのあともちょっと元気なんですよね」

「結果を残して。そこから1軍に」

 2017年の1年間は1軍の試合でプレーできず、連覇を見守る立場でした。

 いまだに手足には抗がん剤の副作用のしびれが残り、胃が半分しかないため食事の量にも気を遣います。「やりすぎもよくない」という調整も試行錯誤です。

 1軍復帰を望むファンの声も多く聞こえますが、赤松選手はたんたんと語ります。

 「1軍で活躍することが、同じ病気の人やけがと闘う人にとっても、いちばん勇気を与えられると思っています。でも、がんだからといって、僕だけ特別にジャンプアップして1軍、というわけにいかないんで。まずは2軍にいって、そこで結果を残して。そこから1軍に復帰したいなと思っています」と冷静に見つめます。

闘病発信、テレビに映る「プロ野球選手」だから

 やわらかい語り口の中に、赤松選手の芯の強さや野球への真摯な思いがひしひしと伝わってきて、私が励まされるような思いでした。

 赤松選手がなぜ、がん闘病について発信を続けるのか。そこには、自分がテレビに映る「プロ野球選手」という仕事をしているからこその思いがあるそうです。

 「『赤松頑張ってるやん、それなら僕も、わたしも頑張ろう』と思ってくれたらうれしいですね」

「カムバック賞」は……

 仕事に打ち込んでいる現役世代にとって、自分ががんになることは想像しにくいかもしれません。私もそうでした。
 がんの正しい知識を持って、自分のこととして考えておくことが大切だと感じます。国立がん研究センターのがん対策情報センターのサイトにある「がんと仕事のQ&A」は「診断されたらはじめに見る」と銘打ち、参考になります。

 インタビューの終わりに、けがや病気から復帰した選手に送られる「カムバック賞」に話を向けると、赤松選手は笑いながら言いました。

 「狙ってとるものじゃないですけどね。でも、1軍復帰したら、もらえるんじゃないですかね」

      ◇

 2人に1人がかかる「がん」。患者さんがさらに生きやすい社会とは。最適な治療法はどう選べばいいのか。皆さんと一緒に考える企画「がんとともに」。インタビューのコーナーでは、がんを取り巻く状況を改善しようと尽くしてきた患者さんや医療スタッフを随時、紹介します。

「がんとともに-ネクストリボン」に関するページ です。

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