連載
#1 東京150年
150歳になった「東京」最初の人口は86万人!羽田空港は、まだ海の中
2018年、今年は江戸が東京になって150年の節目の年です。この間、人口は16倍の1376万人に増え、海岸線は沖合に向かって拡大を続けています。この間、東京がどう変わっていったのか、その変貌ぶりをまとめました。
江戸を東京と改称する詔書がでたのが1868(明治1)年7月になります。当時の東京は「東京府」と呼ばれていました。1871(明治4)年の廃藩置県まで、東を小菅県、西を品川県に囲まれた非常に狭いエリアでした。
その後、1878年に伊豆諸島が、1880年に小笠原諸島がそれぞれ東京府に編入。1889年には15区からなる「東京市」が誕生しました。4年後には三多摩地域が神奈川県から編入されたことで、現在の東京都のエリアとほぼ同じ大きさになりました。東京府と東京市が廃止され「東京都」になるのは1943年のことです。
エリア拡大とともに、人口も増えました。1872(明治5)年、東京の人口は約86万人でしたが、1932(昭和7)年には約567万人に。現在は1376万人が暮らす大都市へと変貌しました。1872年当時と比べると、実に16倍となりました。
海岸線も大きく変化しました。この150年間で東京湾の埋め立てが進み、沖合に向かって拡大を続けています。
1907(明治40)年ごろの地図を見てみると、現在の羽田空港がある大部分はまだ海の中でした。また、隅田川や多摩川の流路は現在とほぼ同じ形ですが、洪水対策として1930(昭和5)年に完成する荒川放水路はこの時期、姿を現していませんでした。
最後に暮らしに関する値段を見ていきましょう。日本最初の鉄道が新橋-横浜間で開通したのが1872(明治5)年9月。当時の運賃は上等、中等、下等に分かれており、下等は37銭5厘でした。同じ頃、大人1人1回の入浴料は1銭5厘。そばの値段は5厘(=1868年)でしたから、鉄道運賃の高さが際立っていますね。
今後も東京150年をめぐる話題をお伝えしていきます。
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