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ジンバブエ「殺人暴君」が愛された理由 93歳まで大統領、意外な一面
アフリカのジンバブエで93歳と世界最高齢だった大統領が辞任し、話題になっています。この人、ロバート・ムガベ氏はイギリスから独立した1980年から、37年も国を支配。失政、暴言、汚職、拷問、地位を利用した蓄財、選挙不正、病気の流行、食糧不足とあらゆる問題や疑惑が持ち上がり、「殺人暴君」とも呼ばれました。が、慕われる一面も持っていました。(朝日新聞国際報道部・神田大介)
アメリカの外交専門誌「フォーリン・ポリシー」は2010年、世界の独裁者23人をひどい順にランク付け。ムガベ氏を北朝鮮の金正日総書記(当時)に次ぐ2位に選び、「殺人暴君」と表現しました。
汚職が相次ぎ、反乱を恐れてカネをばらまいたために財政がはたん。失業者があふれ、コレラやエイズがまんえん、農地は荒れ果て、通貨は紙切れに。ムガベ氏を批判した野党の政治家や支持者は、鉄棒で頭を殴られるといった暴行を受け、死者も出ました。数百万人が国外へ逃げ出したとされています。
特に有名なのがインフレのひどさ。2008年には100兆ジンバブエドル紙幣が登場しました。最も値が下がったとき、このお札には日本円で0.3円ほどの価値しかなかったそうです。
同性愛者を「ブタやイヌにも劣る」とののしり、「ジンバブエは私のものだ」と国を個人の所有物のように言い放ち、アメリカの黒人政治家(ライス元国務長官)を「白人のご主人様の言葉を繰り返す奴隷」呼ばわり。発言もめちゃくちゃでした。
私は2013年、横浜を訪れたムガベ氏のインタビューをしたことがあります。当時、既に89歳。第一印象は「小さなおじいさん」でした。
スーツにネクタイ姿でしたが、背筋を丸めてソファの中でちぢこまり、視線を床に落とし、こちらの問いかけにボソボソと小さな声で返答。何を言っているのか聞き取れません。威勢良くスピーチする独裁者のイメージがあったので、とても意外でした。
場所はホテルの一室。取り囲む十数人の側近たちは息を殺していました。
さしもの暴君も寄る年波には勝てないのかと思いきや、話しているうちに調子が上がり、だんだんと声が大きくなっていきました。特にヨーロッパ諸国の批判を始めると、目がらんらんと輝き出し、
「モンスター・ムガベ、いつ死ぬんだとヨーロッパの人々は言うが、私は生きている。ここにいるのはゴーストじゃないぞ」
そう言うと、ガハハハハと笑い出したのをよく覚えています。「引退するとしたら100年後かな」とも言っていました。インタビューを終える頃には背筋もしゃきっとし、体も一回り大きくなったかのように見えました。
ムガベ氏は明らかに、「反欧米」「反白人」を自らのエネルギー源にしていました。2008年にコレラの被害が広がると、「イギリスの陰謀だ」と言い逃れ。失政を批判する野党の政治家を「白人の手先だ」と決めつけ、国民の目をそらしてきました。
この「黒人ファースト」とも言える姿勢こそが、人気を支えてきたと言えます。
ジンバブエは南アフリカ共和国の隣にある国。南アと同じくもとはイギリスの植民地で、少数の白人が大多数の黒人を支配し、黒人を白人から隔離するアパルトヘイト政策が行われてきました。
ムガベ氏の歩みは南アの英雄、ネルソン・マンデラ氏と実はよく似ています。
黒人解放組織のリーダーとして頭角を現し、1963年から74年まで投獄。釈放されるとゲリラ闘争を率いて80年の独立を勝ち取り、そのまま首相になりました。
マンデラ氏も1964年に終身刑となって収監され、釈放されたのは90年。すべての人種が参加する選挙が行われ、南アの大統領になったのが94年ですから、むしろムガベ氏が先駆者と言えます。
ただ、ここからが違います。マンデラ氏は黒人と白人の融和を重視し、黒人の権利の拡大に努める一方で、「逆に黒人に支配されるのではないか」と心配する白人をなだめることにも力を注ぎました。
ムガベ氏も当初は白人と協力。農地を買い上げ、黒人に分配する政策を進めました。ところが、財政の悪化が厳しくなった2000年、「独立戦争を戦った者(黒人)には農地を確保する権利がある」と発言。武器を持った黒人グループが白人の所有する農場に押し入り、白人に暴力をふるったり、殺したりする事件が相次ぎました。
ジンバブエ政府も、白人から農地を強制的に取り上げる動きを強めていきます。
南アフリカは現在、アフリカから唯一G20(世界の主要な20カ国)に名を連ねる経済力を持ち、2010年にはサッカーのワールドカップをアフリカで初めて開催するなど、地域大国としての歩みを着実に進めています。一方で、白人の経営する農地で黒人の労働者が働くという社会の構造は変わらず、人種間の格差は今も大きく開いたままです。
ジンバブエの農地は、その大半の所有が黒人に移りました。ところが、中には農業をよく知らない人たちも多かったため、うち捨てられる農地が続出。かつてはトウモロコシや小麦を豊富に産出して「アフリカの穀物庫」と呼ばれ、タバコや綿花も盛んにつくられましたが、収穫量は土地の接収後に半減したと言われます。
また、マンデラ氏は大統領を1期5年ですぱっとやめました。アフリカ諸国には長期独裁政権が多く、あるべき姿を自ら示したと言われています。37年にわたって権力の座にしがみつき、政権を腐敗させたムガベ氏とは対照的です。
それでもムガベ氏は国内で今なお一定の支持を集め、国外でもアフリカ全域で広く尊敬されています。南アにも「マンデラよりムガベの方がいい」という人がいたほどです。
アフリカ諸国は長らくヨーロッパの植民地で、アメリカもあわせ、黒人は差別され、奴隷として働かされてきました。1960年ごろから各国は相次いで独立しましたが、ヨーロッパの旧宗主国は今なお強い影響力を持っています。過去への反省から多額の援助が欧米からアフリカにされていますが、援助に頼るから真の独立ができていないという指摘もあります。
これに対し、やり方が荒っぽいとは言え黒人が自らの手で社会をつくり、欧米からは援助どころか経済制裁を受けながらも、深刻な内戦に陥るわけでもなく、それなりに安定しているのがジンバブエです。
世界銀行の調べでは、2016年のジンバブエのGDP(国内総生産)は195カ国中112位と真ん中くらいで、ラオスやジャマイカ、モンゴルよりも上。南アフリカの38位には遠く及びませんが、アフリカ諸国では上位です。
ジンバブエを訪れた人の多くが、「意外に落ち着いている」「報道の印象と違う」と言います。首都ハラレには高層ビルやショッピングモールが立ち並び、途上国としては街も清潔で、治安も安定しています。国民の識字率は9割近くあり、これはアフリカではトップクラス。教育を重視したムガベ氏の功績です。
広いアフリカですが、ジンバブエは他に類を見ない存在だと言えます。欧米からはひどく嫌われていますが、そもそもジンバブエの土地は黒人のものだったはず。単純にムガベ氏を悪の独裁者と切り捨てることはできません。
とは言え、ムガベ氏の退陣が決まると、ジンバブエの首都ハラレには大勢の市民がくりだし、喜びの声を上げました。失政や暴力で国が疲弊しているのは事実。賛否両論のある人物だということでしょう。
なお、新たに大統領となったムナンガグワ氏は、ムガベ氏の長年の側近。冷酷で抜け目ない性格だと評され、付いたあだ名は「ワニ」だとか。どうにも不安がぬぐえませんが、善政をお願いします。
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