連載
#24 ことばマガジン
「ほっこり」、地域によってはまったく違う意味に! その理由とは?
いつごろから東京でも「ほっこり」という表現が使われるようになったのでしょう?
【ことばをフカボリ:7】
いつごろから東京でも「ほっこり」という表現が使われるようになったのでしょう。そのことばを聞くだけで、身も心もほぐれていきそうです。ところが北陸のある地域では、「ほっこり」の意味の違いから会話にならなかったというケースがありました。その地域の人は、どんな時に、どんな意味で使うのか。周辺の地域も含めて探ってみました。(朝日新聞校閲センター・佐藤司/ことばマガジン)
福井県南部の病院でのことでした。「今日は、ほっこりした」。病院スタッフの一人が患者から聞いたそうです。
「ほっこり」の表現について、「現代用語の基礎知識」は2010~13年版で取り上げ、「落ち着く」「温かい気持ちになる」と解説。柔らかな語感から、癒やし系の意味を想像する人も多いのではないでしょうか。
その病院スタッフも同じように思ったそうです。苦痛や気分が「和らいだ」と受け取り、「よかったですね」と声をかけたところ、患者は首をかしげるばかりだった、と言います。
原因は「ほっこり」の意味にありました。「都道府県別 全国方言辞典」は、この地域のことばで「疲れる」を表すと説明します。患者は疲れていたので「ほっこりした」と言ったようです。
県南部の医療機関では「診察を受けるまで長く待たされた患者」「リハビリ運動を終えた患者」から「ほっこり」という表現を聞くことがあると言います。
地元の人に尋ねると、「体力のいる農作業や山仕事を終えた時」「会議が長引いても何も決まらなかった時」などに「ああ、ほっこりした」と思わず口にするそうです。
なぜ「ほっこり」が疲れる意味になったのでしょう。京都学園大学の丸田博之教授(日本語史)は、福井と滋賀の両県などで「大いに」という意味でも使われていたことに着目。「ほっこり疲れた」という表現が、後に続く語を省いた「ほっこり」だけで、「非常に疲れた」状態も表すようになった可能性を挙げます。
実際に両県の一部では「非常に疲れた」意味で使われているようです。滋賀県の湖北地方に住む元長浜城歴史博物館長の吉田一郎さんは「少し疲れた時には『せんどした』、とても疲れた時には『ほっこりした』」と疲れた程度に応じて使い分けていると話します。
福井県南部は明治初期、滋賀県の一部だったこともあり、湖北地方とことばや生活習慣が似ていると吉田さんは指摘します。
丸田さんが文献を調べると、上方では江戸後期に「疲れる」とほぼ同じ意味で使われていたと言います。さらに現代の一例として、京都市内の女性(90)から聞いた話を紹介。その女性は「明治生まれの母は『疲れる』意味で言っていた」としたうえで、自分自身は「『疲れたがほっとする』意味で使う」と話し、その娘さん(58)は「『ほっとする』意味で使う」と答えたそうです。
それでは、若い世代ではどうなのでしょう。京都女子大学の山中延之講師(日本語史)は、「ほっこり」の意味について、同大に通う学生にアンケートをしたところ、多くが「心にぬくもりを感じる」といった精神的な温かさを表す語だと回答。特に「かわいいもの」を見た時に「ほっこりする」と表現する学生が目立ったと感想を漏らします。
どんな時に「ほっこり」を使うかは、地域や世代で違うようです。文脈や表情から、意味を読み取る必要がありそうです。
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