感動
こんなハロウィーンがあってもいいよね…帰らぬ同級生を思い、街頭に
渋谷やお台場でのハロウィーンイベントほどではないが、今年も10月28日夜、埼玉県所沢市のJR東所沢駅前に10人ほどの仮装した女子大生らが現れる。2012年から続くこのイベント。その背景を探ると、一人の少女と母の存在があった。
これまで毎年参加してきた「さやちゃん」こと角田彩さん(20)、「あべち」こと安倍千晶さん(20)、「ゆい」こと栗栖結衣さん(19)に会った。3人とも埼玉や東京にある大学に通う小学校時代の同級生だ。
さやちゃんは音楽を学び、あべちはラクロス部のマネジャー、ゆいはチアリーディングに情熱を注ぐ。3人ともタイプは違うが、その中心にいてつないでいるのが、「ちゃん」こと清川千里さんだ。
しかし、今、輪の中に、ちゃんはいない。
2010年のハロウィーン直後、中学1年生でこの世を去った。病気が見つかってから8カ月だった。
「ママ、家にお友達呼んでハロウィーンパーティーやりたい」が口癖だった。ただ、小学生のちゃんは、チアリーディング、バレエ、ピアノと習い事が多く、この時期はバレエの発表会直前で母親の慶子さん(54)は聞き流していた。
ちゃんに病気が見つかったのは、小学校の卒業式目前。骨肉腫だった。学校に通えなくなった。
ピアノ教室が一緒だったさやちゃんは、自分の母親に「何か隠していることあるの?」と尋ねた。その時、母親から「骨の病気」「もう治らないかもしれない」と言われたことを今でも覚えている。
「同じ成長痛だと思っていました。『急いで病院に行って』と言えなかったのが、ずっと心残りなんです」
地方の大学病院で入院治療をしていた時、夜行バスで母親と一緒にお見舞いに行ったことがあったが、ショックで言葉が出なかった。
「どうやって振る舞ったらいいか、余計なことを言ったらいけないのではないか、考えてしまった」
そんなさやちゃんにも、お礼とともに自宅に残した愛犬のプーちゃんを一緒に遊ばせて欲しいと手紙を書いていた。さやちゃんは、今もその手紙を大切にしている。
ゆいは、中学校入学前、ちゃんから「入学式に行けないけど、制服着て写真撮りたい」と電話があり、撮影会をしたことを覚えている。中学校にはほとんど通えず、5月には治療のために地方の大学病院に転院。その直前、家族同士で東京ディズニーリゾートに泊まりがけで行き、一緒の部屋で過ごした。
1日目は車いすでも楽しんでいたが、その日の夜、ホテルで過ごしていると、抗がん剤治療の影響でちゃんの髪の毛がまとまって抜けた。親友に見られたちゃんはショックだった。翌日、ちゃんの表情から笑顔が消えた。ゆいは、「見られたくなかったのかな」と感じた。
母親の慶子さんは、帰宅後、ちゃんが自分の部屋にこもり、ゆいにこんな内容の手紙を書いていたことを覚えている。
「髪が抜けてしまったり、やせていったりするけど、こんな自分が嫌なら友だちをやめてもいい。けど、大好きだよ」
ちゃんが、人生で唯一、ハロウィーンパーティーができたのは、亡くなる3日前。「家に帰りたい」というちゃんの願いをかなえようと、東京都内の小児病院で主治医だった森尚子さんがサポートし、自宅に戻った翌日だった。
慶子さんは、千里さんに「一時帰宅」と伝えていたが、実際は自宅でのみとりのためだった。病院から、チアリーディングに一緒に通っていたゆいのママ、栗栖奈緒美さん(47)にメールをした。
「今から家に帰るからパーティーしよう」
「ハロウィーンまで待っていられないので明日」
「少しでも意識があるうちに」
奈緒美さんからは「大丈夫、行くよ」と返事があった。
リビングに置かれたベッド。ちゃんは酸素吸入器を枕元に置き、ケーキやピザを少し食べた。呼ばれたのは、ゆいの家族だけ。ゆいたちは、枕元でストッキングゲームをして楽しませたり、おしゃべりしたりした。気に掛けていたネコの「タラちゃん」やイヌの「プーちゃん」の写真も撮影した。
翌30日、慶子さんはちゃんがブログにパーティーの様子やプーちゃんが仮装した写真をアップしていないことに気づいた。
「ちゃん、ブログアップしてないじゃん」
「もう手に力が入らないから、打てない」
ちゃんは11月1日、自宅で息を引き取った。ちゃんの最期の言葉は「ちゃんは悪くない」だった。
母親を通じてちゃんの死を知ったあべちは、「えっ」と絶句した。
「中学校に行っても、ちゃんのことを考えると涙がでてきた。事情を知らない友人は、『何、何』って言うけど、人には言えない……」
慶子さんも心に引っかかることがあった。ハロウィーンパーティーを開いてあげることはできたが、「一時退院」という「うそ」の説明をしてしまったことだ。
それぞれ、ちゃんに対する心残りがある。
さやちゃん、ゆい、あべちたち同級生が集まるハロウィーンパーティーは、2011年から慶子さんの呼びかけで始まった。最初は「お線香をあげる時、しんみりしちゃった」(あべち)、「そんな軽い気持ちで行っていいのかな」(さやちゃん)と感じていた。
仮装が始まったのは2年目から。「せっかく集まるなら意味あるものにしたい。この子たちにも命を身近な問題として感じてもらえたら」と慶子さんが声をかけ、仮装して町内をパレードして小児がん患者の治療薬開発の募金を呼びかけるちらしを配り、翌年からは街頭募金を始めた。ウィッグを付けたり、全身タイツ姿になったり、衣装は毎年取り合いだ。
午後6時30分から1時間30分ほど街頭募金をした後、ちゃんの自宅でパーティーをする。唐辛子やわさびを入れたたこ焼きを誰かが食べる「ロシアンたこ焼きゲーム」などをして楽しむ。今では、わざわざ改札口を出て募金する人もいるほどだ。ちゃんを知らない人たちにも、輪が広がっている。
同級生も年が明ければ成人式。慶子さんは昨年のパーティーの最後に、今後も続けるかちゅうちょしていると打ち明けると、さやちゃんがこう言った。
「大人になってもやりたい」
それにあべちが続いた。
「集まれる限り、集まろうよ」
あべちにとっては、「ハロウィーンでは、みんな渋谷に行っているけど、地元の友だちと集まる方が楽しい」「私的には地元で毎年ハロウィーンやるのが当たり前」になっていた。
そして、大学生になったさやちゃんやゆいたちは、ちゃんの命日という意味だけではなく、娘を失った慶子さんのグリーフケアといった意味合いも込めるようになった。ゆいは「ちゃんママのためにも、できる限りハロウィーン・パーティーは続けていきたい」と話す。
「みんな私のことを『ちゃんママ』と呼んでくれる。千里の姿は見えないけど、ハロウィーン・パーティーに同級生が集まってくれるから、今でも千里のママでいられる」。慶子さんは感謝している。
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