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閉店から9年、くいだおれ太郎は現役バリバリ 焦土に生まれた歴史
7月8日は、「くいだおれ太郎」で有名な大阪・道頓堀の飲食店「くいだおれ」が閉店した日です。「永いこと ありがとう」と言って、お別れをした「くいだおれ太郎」ですが、今も、フルーツパーラーができたり、一日署長をしたりと現役バリバリです。「くいだおれ太郎」の歴史を振り返ります。
「くいだおれ太郎」は、飲食店「くいだおれ」の店先で「看板息子」として活躍しました。
戦後間もない1949年に焼け野原の道頓堀に生まれた「くいだおれ」。開店の翌年の1950年、「これからは子どもが大事なお客様」という思いから、「くいだおれ太郎」が誕生します。
電気仕掛けの看板人形がどこにもなかった時代。「くいだおれ太郎」は、評判を呼んで、お店は大繁盛しました。
そんな「くいだおれ太郎」は、時代のさまざまな事象を映し出してきました。
1989年の昭和天皇崩御の際には、白黒の喪服姿に。1995年には大リーグに挑戦した野茂英雄投手の応援で米ロサンゼルスへ向かったこともあります。
阪神タイガース優勝が近づくと、「わて泳げまへんねん」と言って川に投げ込まれないよう先手を打ちました。
2002年のサッカー・ワールドカップではユニホーム姿に着替え、関空開港ではオーストラリアへの第一便で海外旅行も経験しました。
道頓堀かいわいは江戸時代以降、文楽などの芸能が栄え、料亭がひしめき合う「大坂商人」の社交場でした。しかし、1980年代以降、芝居小屋の廃止が相次ぎ、風俗店やパチンコ店が進出。細い路地に料亭が並んでいた近くの法善寺横丁は火災で姿を変え、老舗の高級料亭の閉鎖も相次ぎました。
人通りが減る中、「人形なんて古くさい」と経営コンサルの注文がつき、銀行も融資の条件に「人形を外して下さい」と迫られたこともありました。
それでも「人形があるから、うちは家族で安心して来られる店なんだ」という創業社長の精神で、リストラの危機も乗り越えました。
しかし、2008年、「くいだおれ太郎」の「雇い主」である「くいだおれ」が閉店するという事態に直面します。
「これ以上合理化したくないし、やり方も分からない。先代からも『ようやった』と言われると思う」(山田昌平社長)というのが理由でした。
当時、「くいだおれ太郎」の経済効果を調べた関西大学の宮本勝浩教授(理論経済学)は、人形を見に来た観光客らが大阪・ミナミで使う金額などを加え、少なく見積もって計16億7025万円に上ると試算しました。
その後、「くいだおれ太郎」は、復活します。2009年7月、旧店舗近くで再びお目見え。お祝いには、当時の橋下徹・大阪府知事らが駆けつけました。
実は、閉店後も各地のイベントに引っ張りだこの「くいだおれ太郎」。最近では、2017年4月、フルーツパーラー「たろうずパーラー」が誕生。大阪名物のミックスジュースなどを、「くいだおれ太郎」が宣伝しています。
2017年6月には、大阪府警南署の一日署長を務めた「くいだおれ太郎」。「ミナミの街、毎日見守っておりまっせ」と、通行人にチラシ入りのティッシュを配っていました。
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