MENU CLOSE

地元

閉店から9年、くいだおれ太郎は現役バリバリ 焦土に生まれた歴史

営業最終日を迎え、店頭に立つ「くいだおれ太郎」(手前)と「くいだおれ次郎」=2008年7月8日
営業最終日を迎え、店頭に立つ「くいだおれ太郎」(手前)と「くいだおれ次郎」=2008年7月8日 出典: 朝日新聞

目次

 7月8日は、「くいだおれ太郎」で有名な大阪・道頓堀の飲食店「くいだおれ」が閉店した日です。「永いこと ありがとう」と言って、お別れをした「くいだおれ太郎」ですが、今も、フルーツパーラーができたり、一日署長をしたりと現役バリバリです。「くいだおれ太郎」の歴史を振り返ります。

【PR】手話ってすごい!小学生のころの原体験から大学生で手話通訳士に合格
【画像】両手もげて、胴体まっぷたつ…これが「呪いのカーネル・サンダース人形」
 

焼け野原の道頓堀に誕生

 「くいだおれ太郎」は、飲食店「くいだおれ」の店先で「看板息子」として活躍しました。

 戦後間もない1949年に焼け野原の道頓堀に生まれた「くいだおれ」。開店の翌年の1950年、「これからは子どもが大事なお客様」という思いから、「くいだおれ太郎」が誕生します。

 電気仕掛けの看板人形がどこにもなかった時代。「くいだおれ太郎」は、評判を呼んで、お店は大繁盛しました。

道頓堀川を挟んで両側に広がった大阪歓楽街道頓堀の焼け跡=1945年8月29日
道頓堀川を挟んで両側に広がった大阪歓楽街道頓堀の焼け跡=1945年8月29日 出典: 朝日新聞
戦後間もない1949年に焼け野原の道頓堀で開店して以来、「くいだおれ」は大阪の街や人々を優しく見つめてきた。開店翌年、「これからは子どもが大事なお客様」と、軒先に「くいだおれ太郎」を登場させ、店頭に設置した米国製のテレビは黒山の人だかりになった。
2008年4月9日:笑ってお別れやで 看板息子、惜しまれ「定年」 「くいだおれ」閉店へ:朝日新聞紙面から

阪神優勝に予防線「わて泳げまへんねん」

 そんな「くいだおれ太郎」は、時代のさまざまな事象を映し出してきました。

 1989年の昭和天皇崩御の際には、白黒の喪服姿に。1995年には大リーグに挑戦した野茂英雄投手の応援で米ロサンゼルスへ向かったこともあります。

 阪神タイガース優勝が近づくと、「わて泳げまへんねん」と言って川に投げ込まれないよう先手を打ちました。

 2002年のサッカー・ワールドカップではユニホーム姿に着替え、関空開港ではオーストラリアへの第一便で海外旅行も経験しました。

阪神戦のを観戦に訪れたくいだおれ太郎=2008年7月3日
阪神戦のを観戦に訪れたくいだおれ太郎=2008年7月3日 出典: 朝日新聞
89年の昭和天皇崩御の際には、白黒の喪服姿に。95年には大リーグに挑戦した野茂英雄投手の応援で米ロサンゼルスへ向かった。
2008年4月9日:笑ってお別れやで 看板息子、惜しまれ「定年」 「くいだおれ」閉店へ:朝日新聞紙面から
それからの人生。阪神が優勝を争えば「わて泳げまへんねん」と言って川に投げ込まれないよう先手を打ち、関空開港ではオーストラリアへの第一便で海外旅行。大阪らしいユーモアで常に話題を提供し、いつしか大阪を代表する顔になっていた。
2005年5月12日:(勝手に関西世界遺産)くいだおれ人形 井上章一:朝日新聞紙面から

リストラの危機

 道頓堀かいわいは江戸時代以降、文楽などの芸能が栄え、料亭がひしめき合う「大坂商人」の社交場でした。しかし、1980年代以降、芝居小屋の廃止が相次ぎ、風俗店やパチンコ店が進出。細い路地に料亭が並んでいた近くの法善寺横丁は火災で姿を変え、老舗の高級料亭の閉鎖も相次ぎました。

 人通りが減る中、「人形なんて古くさい」と経営コンサルの注文がつき、銀行も融資の条件に「人形を外して下さい」と迫られたこともありました。

 それでも「人形があるから、うちは家族で安心して来られる店なんだ」という創業社長の精神で、リストラの危機も乗り越えました。

新型インフルエンザ拡大時は、ビーチバレー大会をマスク姿で観戦した「くいだおれ太郎」=2009年5月21日
新型インフルエンザ拡大時は、ビーチバレー大会をマスク姿で観戦した「くいだおれ太郎」=2009年5月21日 出典: 朝日新聞
けれど日本は豊かになり、オシャレな横文字のお店が流行に。芝居以外に娯楽も増えて、道頓堀に人が集まらない。「人形なんて古くさい」と経営コンサルが口々に。銀行も融資の条件に「人形を外して下さい」。けれど、「人形があるから、うちは家族で安心して来られる店なんだ」。創業社長の精神で、リストラの危機も乗り越えた。
2005年5月12日:(勝手に関西世界遺産)くいだおれ人形 井上章一:朝日新聞紙面から

2008年に閉店、経済効果は16億円

 しかし、2008年、「くいだおれ太郎」の「雇い主」である「くいだおれ」が閉店するという事態に直面します。

 「これ以上合理化したくないし、やり方も分からない。先代からも『ようやった』と言われると思う」(山田昌平社長)というのが理由でした。

 当時、「くいだおれ太郎」の経済効果を調べた関西大学の宮本勝浩教授(理論経済学)は、人形を見に来た観光客らが大阪・ミナミで使う金額などを加え、少なく見積もって計16億7025万円に上ると試算しました。

群衆が詰めかけた「くいだおれ」の店頭で、閉店のあいさつをする女将の柿木道子会長ら=2008年7月8日
群衆が詰めかけた「くいだおれ」の店頭で、閉店のあいさつをする女将の柿木道子会長ら=2008年7月8日 出典: 朝日新聞
山田昌平社長は創業者の故・山田六郎氏の長男で、柿木会長は次女。山田社長は会見で、生前の六郎氏から「お前一人で経営したら3年でつぶれるから、兄妹で力を合わせなさい」と言われたエピソードを披露。「あれから30年。これ以上合理化したくないし、やり方も分からない。先代からも『ようやった』と言われると思う」と述べた。
2008年4月10日:孝行息子と「楽しい時」 大阪・道頓堀の「くいだおれ」閉店、会長が会見:朝日新聞紙面から
関西大学の宮本勝浩教授(理論経済学)は9日、7月に閉店する「くいだおれ」の看板人形が、地元商店街などにもたらしている経済効果の試算を発表した。宮本教授によると、同店の年間来店者数は約35万人。42人に聞き取り調査したところ、約3割の13人が人形目当てで来店していた。店で1人当たり平均2500円の食事をすると推定。人形を見に来た観光客らが大阪・ミナミで使う金額などを加えると、少なく見積もって計16億7025万円に上るとしている。
2008年4月10日:孝行息子と「楽しい時」 大阪・道頓堀の「くいだおれ」閉店、会長が会見:朝日新聞紙面から

1年後に復活、今も現役バリバリ

 その後、「くいだおれ太郎」は、復活します。2009年7月、旧店舗近くで再びお目見え。お祝いには、当時の橋下徹・大阪府知事らが駆けつけました。

 実は、閉店後も各地のイベントに引っ張りだこの「くいだおれ太郎」。最近では、2017年4月、フルーツパーラー「たろうずパーラー」が誕生。大阪名物のミックスジュースなどを、「くいだおれ太郎」が宣伝しています。

 2017年6月には、大阪府警南署の一日署長を務めた「くいだおれ太郎」。「ミナミの街、毎日見守っておりまっせ」と、通行人にチラシ入りのティッシュを配っていました。 

一日警察署長を務めたくいだおれ太郎(右)と元女将の柿木道子さん=2017年6月1日
一日警察署長を務めたくいだおれ太郎(右)と元女将の柿木道子さん=2017年6月1日 出典: 朝日新聞
大阪・道頓堀の名物人形「くいだおれ太郎」が1日、府警南署の一日署長を務めた。外国人の不法滞在や不法就労の防止を呼びかけるキャンペーンに合わせ、「ミナミの街、毎日見守っておりまっせ」と、通行人にチラシ入りのティッシュを配った。
2017年6月2日:「見守ってまっせ」 くいだおれ太郎、南署で一日署長:朝日新聞紙面から

関連記事

PICKUP PR

PR記事

新着記事

CLOSE

Q 取材リクエストする

取材にご協力頂ける場合はメールアドレスをご記入ください
編集部からご連絡させていただくことがございます