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パンダの繁殖、どんだけ大変? 上野は騒ぎすぎ…ではない歴史的理由
日本中で話題を集めた上野動物園のパンダの赤ちゃん。2000年以降、15頭のパンダの赤ちゃんが誕生している和歌山のアドベンチャーワールドの担当者は「何回やっても、やっぱり大変」と言います。「騒ぎすぎ?」という声もありますが、日中の交流に関わる中国人からは「上野は特別」という意見も。パンダの赤ちゃん誕生の難しさ、そして、注目される理由について話を聞きました。
日本でパンダの繁殖に最も成功しているところは、和歌山白浜のアドベンチャーワールドです。2000年以来15頭のパンダの赤ちゃんが誕生しています。生存率もきわめて高いことから、世界でも有数のパンダの繁殖実績を誇っています。
パンダの繁殖は難しいのでしょうか? 担当者に聞いてみると……。
アドベンチャーワールド経営企画室の高濱光弘さんは「何回やっても、やっぱり大変です」と話します。
高濱さんは「パンダの繁殖は、交配(交尾)から出産、成長までのすべてにおいて難しい」と言います。
メスの発情期が短く、オスとメスの相性とタイミングを測るのが、特に難しいそうです。
運良く妊娠・出産に至っても、困難は待ち受けています。
上野のパンダの赤ちゃんの場合、生後1週間の体重は178グラム、鼻先からしっぽの付け根までの体長は16.4センチしかありません。そのため、赤ちゃんの健康状態の確認、母乳(特に初乳)を飲んでいるかどうかをチェックするだけでも一苦労です。
赤ちゃんが誕生した季節によって室温や湿度の調整も気を配る必要があります。
かなりデリケートなパンダですが、アドベンチャーワールドが繁殖の際に大切にしていることは何でしょうか?
まず「パンダの日々の健康管理」。繁殖の時期だけでなく、普段から主食の「竹」をきちんと食べることや、適度な運動をさせるよう心がけているそうです。
特に母親になるパンダには体調管理を徹底し「できるだけ美味しい竹を与える」そうです。
また、出産前後には、母パンダの様子をきちんと把握し、不測の事態に備え、赤ちゃんパンダを移す保育器も準備するそうです。
上野のパンダは日中友好のシンボルでもあります。中国人はどのように受け止めているのでしょうか?
日本パンダ保護協会の創設者で現在、副会長の顔安(イエン・アン)さんは「上野は特別な存在」と語ります。
1997年に知人と一緒に「日本パンダ保護協会」を立ち上げた顔安さん。現在、会員は2000人以上いて、黒柳徹子さんが名誉会長を務めています。動物園関係者らが会員で、日中両国のパンダに関する技術・人材の交流などに取り組んでいます。
来日して30年近く経つ顔安さんは、四川省宜賓市出身です。故郷には「竹海」(海のような竹林)があり、パンダの生息地として有名です。顔さんにとって、小さい時からパンダは身近な存在でした。
まだ、小学生だった1960年代。地元の四川省の市場でパンダの赤ちゃんが50元で売買されたことを覚えているそうです。当時の物価で50元は2ヶ月分の給料で高価ではありましたが、ペット扱いの動物だったそうです。
地元の小さいサーカスなどでは、パンダによるパフォーマンスもあったそうです
現在は中国政府がパンダ保護区の警備と管理を強化していますが「今も、パンダを狙う密猟者がいます」と話します。
「他の動物園でパンダの赤ちゃんが誕生し、順調に育つことは、もちろん喜ばしいことです」
そう言う顔安さんですが、上野はやはり特別な思いがあるそうです。
「上野動物園のシンシンが5年ぶりに無事出産し、赤ちゃんも健康で育っている。その喜びは、感情に訴えるものがありますね」
上野動物園は1882(明治15)年に開園した日本初の動物園です。1972(昭和47)年、日中国交正常化を記念し、ジャイアントパンダのカンカンとランランが来園。当時は、上野動物園や大阪市、仙台市などが争奪戦を繰り広げたそうです。
前園長の小宮輝之さんは朝日新聞の取材に「上野は都立だが国民の動物園」と答えています。第2次大戦で仙台市動物園が焼失するなど、敗戦直後は上野から北に動物園がない時代があったそうです。
戦時中の1943年、東京都長官の命令で「猛獣処分」が行われ、クマやライオン、トラなどのほか、人気者のゾウが殺されたこともありました。
そんな歴史を背負った上野動物園のパンダ。顔安さんは「上野のパンダは、やはり日中友好の歴史、期待、希望を背負っています。パンダという生き物の範囲を超え、特別な存在なのです」と話しています。
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