IT・科学
「なんでも電子書籍でいいのか?」文学フリマが百年後も愛される理由
電子書籍が浸透する中、紙だけでなくTシャツや下着など、様々な「物」で文学を形にする人たちがいます。年に数回、各地で開かれる「文学フリマ」では、小説や短歌、評論など、プロアマ問わず作者自身が出店者となって作品を販売します。ピースの又吉直樹さんの『火花』を生むきっかけとなった「文学フリマ」。事務局代表の望月倫彦さんは「なんでも電子書籍にすればいいというものではない」と語ります。
文学フリマは、評論家・大塚英志さんの呼びかけで2002年に1回目が開かれました。
「既成の文壇や文芸誌の枠にとらわれず『文学』を発表できる場を提供し、作り手と読者が直接コミュニケートできる場をつくる」。そんな思いから始まりました。
GW最終日の5月7日(日)、「第二十四回文学フリマ東京」が開かれました。
会場の東京流通センター(東京都大田区)には、1階と2階あわせて770のブースが並び、小説、詩、短歌、評論、写真集、旅行記、マンガなど多岐にわたる作品が出品されました。
この日は出店者、来場者あわせて約3500人が訪れました。
自分の作品を届けたい人、新しい表現を求める人の熱気で会場はあふれていました。
あくまで「物」にこだわる表現者たち。一方で時代は電子書籍の流れが加速し、スマホで何でもすませる人が増えています。
そんな状況について、代表の望月さんはどう受け止めているのでしょうか。聞いてみました。
――パンツやTシャツ、たくさんの表現方法がありました
「電子書籍が広がる中で、見過ごされている一つのテーマじゃないかなと思っています」
「例えば、詩集や句集を電子書籍にしたとき、それは作品として同じものなのでしょうか。テキストデータになって改行の位置や行間がかわり、ページの概念がなくなったときに、デザインされた詩集や句集、いろんなとじ方で作られたものと同じ作品と言えるのかという問題があると思います」
「電子書籍は新しい表現方法だと思うので、いろんな実験をするのはよいと思いますが、なんでも電子書籍にすればいいというものではないと思います」
――新たな才能を発掘する場にもなっていますね
「なるべくしてなったと思っています。文学フリマの名前が良い具合に知られて、でも陳腐化していない。文学フリマで話題になったというのが、『好事家(こうずか)が認めた』というような響きになってきていると思っていました」
――最近は、本が読まれなくなっているとも言われます
「個人的には組版や装丁も含めて読書体験だと思うし、Amazonがどんなに便利だとしても、古書店で探していた本と偶然出会う喜びは格別です」
「ただ、今の若い世代は電子書籍を抵抗なく読みこなす感覚を身につけるでしょうし、電子書籍での読書が当たり前になれば、絶版や入手困難とは無縁の新しい活字文化が生まれる期待もあります」
「紙の本を愛好して守っていきたい気持ちと、電子書籍の未来に期待したい気持ちと、相反する思いがありますね」
――文学フリマは今後どのような場になってほしいと思いますか
「文章を書くのが好きなアマチュア、本を作るのが好きな人たちにとって、ブログで書いていればいいかというとそうではありません。書いて、人に読んでもらうという行為には、それだけでは完結できないものがあると思っています」
「本は自分の作品を形にする意味で表現活動なので、少なくとも文学フリマに出れば紙の本を誰かに届けることができる、そういう表現の場として守っていきたいです」
「50年、100年のスパンで文学フリマを続けていくことによって、小説だけではなく、詩歌でも評論でも、日本の文学が何か変わったと言われるようにしたいと思っています」
開催地・開催回によって異なりますが、東京会場は1ブース5500円で出店できるそうです。一般入場は無料で、自由に見て回れます。
2014年には、文学フリマを全国各地の有志で開催できるように「文学フリマ百都市構想」が掲げられました。大阪、金沢、福岡、札幌など、各地に広がってきています。
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