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人民大会堂からフジロックまで、モンゴリアンロック7人組が疾走中
そのビジュアルは、まるでチンギス・ハーン。民族衣装に身を包み、爆音を奏でるロックバンド「ハンガイ(杭蓋)」が注目されています。ロックになじみのない中国。整備士などで生活費を稼ぎながら活動を続け、オーディション番組から中国全土で人気に。日本のフジロック出演も果たしました。モンゴル民族とロック。異色バンドの「魂の叫び」を聞きました。
「ハンガイ」は2004年、北京で結成されました。バンド名の「ハンガイ」は古いモンゴル語で「桃源郷」。「青い空、白い雲、草原、川、山と林がある世界」という意味です。
メンバーは、中国・内モンゴル自治区と青海省出身のモンゴル族5人と漢民族の2人。ギターやドラムだけでなく、伝統楽器の馬頭琴、三弦なども駆使します。とくに「ホーミー」というモンゴル伝統の歌唱法が魅力的です。
音楽関係者からは「ハードロックとモンゴル民謡をミックスした正真正銘のロック」という評価を得ている彼ら。「強力なリズムにモンゴル風のボーカルが違和感なく融合したワールドミュージック」と言われています。
リーダーの伊立奇さんは、日本のアイヌ音楽とロックを融合している「OKI DUB AINU BAND」(通称:オキダブ)からも影響を受けていると話します。
バンドの道のりは苦難の連続でした。
そもそも、バンド結成した時は、中国でロックという音楽ジャンルが確立されていませんでした。今でも、多くのロックバンドは「アンダーグラウンド」な存在で、当時は特に「変わり者」「不良」などと言われる偏見がありました。
リーダーの伊さんは「最初は本当に観客がいなくて。2、3人くらいの前で歌ったこともあります。それがつらかったです」と話します。
「もらえる出演料も100元(約1600円)くらいでした。もちろん、それだけだと生活ができないので、ほかの仕事で生活費を稼いでいました」
伊さん自身も、11年間の飛行機整備の仕事をしていたそうです。
出演する機会にも恵まれませんでした。バンド結成時、中国にはライブハウスがなく、ロックが演奏できる音響設備もありませんでした。
中国でなかなか表舞台にあがれなかった7人。海外進出など夢のまた夢だったのが「ある偶然」によって、ロンドン公演のチャンスを得ました。
最初の海外公演は2007年。北京で知り合ったイギリス人の紹介でスウェーデンの音楽フェスティバル「ethno」に参加し、地元で評判になりました。そこで、イギリスの音楽フェスティバル「Shetland folk festival」出演の誘いを受けます。
その後、インターネットを通してオランダの音楽会社「Earth Beat」がハンガイに注目。オーナーのジェローム・ウィリアムズ(Jerome Williams)さんがオランダからロンドンまで追い、2009年からプロモーションなどを担うことになりました。
その後、ヨーロッパなどの音楽フェスティバルに出演することが増えました。2011年には、日本のフジロックにもデビューします。
中国でブレークしたのは2015年です。中国で知名度を上げため、テレビの音楽番組「中国好歌曲」のオーディションに出演しました。
民族衣装でステージに上がったメンバー。あきらかに他のバンドとは違う異様な雰囲気。しかし演奏がはじまると、会場は一気に彼らの世界に染まりました。
驚いて顔を見合わせる審査員たち。観客も総立ちとなり、圧倒的なパフォーマンスを見せつけました。見事、トップとなり、中国全土に名前が知られるようになりました。
2017年1月には中国の国会議事堂である「人民大会堂」でのライブも成功させます。
リーダーの伊さんは「自分たちはモンゴル民族の一員、そしてチンギス・ハーンの末裔として、モンゴル文化を誇らしく思っています」と語ります。
一方、伊さんは、多くのモンゴル民族が草原から離れ、自然が汚染されている状況に心を痛めています。
「ハンガイの曲を聞いて、モンゴル民族の気持ちが伝われば、環境問題への関心も高まるはず。今後も音楽を通して、モンゴル文化を伝え、魂を伝えていきます」
<内モンゴル自治区>人口約2400万人、うち漢民族が約1900万人で、モンゴル族400万人(2010年データ)。面積約120万平方キロで、域内の大半が草原と砂漠。近年は砂漠化の進行で草原が減りつつある。モンゴルに接し、かつてはモンゴル族が多い地域だったが、漢民族の流入が増えている。モンゴル族は、内モンゴル自治区以外にも青海省などほかの地域で約200万人が生活している。中国全土には約600万人のモンゴル族がいる(2010年データ)。その数は、モンゴル国の300万人(2015年データ)の倍になっている。
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