感動
ギネスになった「ジャンケンポン」 「まんが界の至宝」を支えた言葉
4コマまんがの連載回数がギネス世界記録に認定された「ジャンケンポン」。その回数はなんと1万5千回を超え、創刊50年を迎えた朝日小学生新聞で今も連載中です。作者の泉昭二さんは84歳。ささいな出来事や世の中の動きをユーモアたっぷりにえがく作品には、親子2代のファンも数多くいます。「まんが界の至宝」と呼ばれるにふさわしい偉業をなしとげた裏側には、多感な時期に戦争を経験したことや、まんがを教えてくれた先生の言葉がありました。
しっかりものの女の子「ジャン」と活発な男の子「ケン」の小学生2人と、幼稚園児の男の子「ポン」の3きょうだいの日常をえがいた「ジャンケンポン」は1969年9月から、ほぼ毎日、連載を続けています。
毎日新聞の「まっぴら君」が作った1万3615回の記録をぬき、2016年12月15日の新聞で1万5千回をむかえたのをきっかけに、朝日小学生新聞がギネス世界記録に申請。通し番号がなかった特別号なども含めると、16年11月24日の新聞で1万5千回を達成したことが認められました。
ジャンケンポンが「世界一」として認められたのは、ギネス世界記録の「ひとつの4コマまんがとして最も多く発行された回数」という分野です。記録達成を受け、東京・築地で3月、ギネス公式認定員から公式認定証が泉さんに手渡されました。
お祝いで集まった読者の親子約100人の前で、泉さんは「緊張するといいものができないので、毎日楽しみながら続けてきました」とあいさつ。「回数を考えながらかいてきたわけではないので、びっくりしています」と「世界一」の感想を話しました。
3きょうだいのほのぼのとした日常のほかにも、50年近い連載では「大阪万博」「石油ショック」「消費税導入」など世の中の動きをユーモアたっぷりに取り上げることもあります。
「ファミコンブーム」の回では、ケンがゲームをやりすぎないように指がでない手袋をお母さんが作るというオチが。まんがのアイデアについて、泉さんは「新聞をよく読みます。あとは、人の動きをよく観察し、アイデアを練っています」と話します。
小学校入学前から、まんがを描きはじめたという泉さん。当時は戦時中で、戦車や飛行機をよく描いていたそうです。13歳の夏に東京で終戦を迎え、多感な時期に戦争を経験したことや、8人きょうだいの末っ子だったことが、3人きょうだいのジャンケンポンが織りなす平和であたたかいまんがにつながっています。
泉さんはその後、働きながら大学を卒業。会社員生活を送った後、33歳から東京デザインカレッジまんが科に通いました。この学校で先生からある言葉をかけられます。
「まんがは人を楽しませるもの。だから自分も楽しまなきゃだめ。苦しまないで楽に描きなさい」
「そういう気持ちでやってきたから、ここまで続けてこられた」と振り返る泉さん。この言葉が、前人未到の記録を後押しする力になりました。
世代を超えて愛されるジャンケンポン。お祝いの会では、漫画家のちばてつやさん(日本漫画家協会理事長)から祝福のメッセージが届きました。
ちばさんは「一作一作つくるのは骨が折れるしものすごく難しい」と連載の苦労に触れた上で、「84歳を過ぎてもお元気で、しかも『楽しんで』子どもたちのために『ジャンケンポン』をえがき続けておられる泉昭二さんは、今や日本のまんが界の至宝だ」と最大級の賛辞を送りました。
ギネス世界記録を達成し、気になるのは今後の連載です。泉さんは「目標はあと何回、と言おうと思いましたが、それを言っちゃうとかけなくなってしまうので、目標はありません。これからも、ただ毎日毎日続けるだけです」と話しました。
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