IT・科学
骨髄ドナー「痛いんでしょ?」の誤解を解くには…経験して感じたこと

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高校生の頃、先生が「骨髄ドナーは痛い」と話したことが印象に残っていて、これまで骨髄バンクのドナー登録をしてこなかったという男性。骨髄提供の術後の痛みを「筋肉痛ぐらい」と振り返る経験者が多いことを知って、ドナーに登録しました。すると、すぐに「適合通知」が届いて……。骨髄提供までの体験について、聞きました。(朝日新聞withnews・水野梓)
骨髄ドナーは、ボールペンくらいの太い針を使うから、とても痛いんだぞ――。
会社員の金子篤史さん(33)は、高校生の頃に先生がそう語ったことが忘れられなかったそうです。
コロナ禍になってから献血に通っていましたが、そのときもドナー登録はしませんでした。
「献血ルームで『骨髄バンクのドナー登録はいかがですか』と案内していた方がいらっしゃったことがあったんですけど、そそくさとその前を通り過ぎていました」
しかし、骨髄バンクの担当者が、バンクの現状やドナー経験者について紹介するポッドキャストを聞いて、考えが変わったといいます。
骨髄バンクのドナーは55歳で〝引退〟が決まっていること。
現在のドナーの登録者は、半数超が40代を超えていて、このままでは大量のドナーが引退してしまうということ。
さらに、骨髄の提供時には全身麻酔をかけ、術後の痛みも人それぞれで「筋肉痛」と表現する人が多いこと――。
金子さんは「術後にすぐ歩けるようになるとか、退院した翌日から仕事復帰する方もいらっしゃると聞いて、『そんなに痛くないんだ』と初めて知りました」と言います。
「今まで大きな病気をすることもなかったんですが、この年になると『誰でもそういうわけではない』と感じることも増えてきました。そんな体を使って誰かを救うことができるかも、というのは素敵なことだなぁと思いました」
そこで金子さんは2024年3月、献血の時にドナー登録をしたといいます。
2025年3月現在、骨髄バンクにドナー登録をしている人はおよそ56.2万人います。
しかし、白血病などでドナーを待っている人の2人に1人が移植を受けられないのが現状です。
造血幹細胞の移植には、白血球の型(HLA)が一致する必要があり、血縁関係がない人では数百から数万人に1人の確率だからです。
そのため、ドナーのなかには、一度も適合通知が来ないまま「引退」する人も多いといいます。
幸いにも患者とドナーの型が一致したとしても、ドナー側が仕事を休めないなどの理由で提供に至らないケースもあります。
金子さんの場合は、登録の5カ月後に、骨髄バンクから「適合しました」というショートメッセージを受け取ったそうです。
「え、適合?こんなにすぐ来るんだ」とびっくりしたという金子さん。
すぐに「提供できる」と登録して、説明や問診、採血などの手続きに進んでいったといいます。
「ポッドキャストで聞いていたので不安はなかったですし、過去に起きた事象についても、その対策とあわせてきちんと話してくれたので信頼感が上がりました。『痛い』と誤解していた針の太さについても、実はボールペンの太さではなくてボールペンの芯ぐらいだと聞きました」
しかし、数カ月後に「患者さん側の都合」で手続きが止まったそうです。
「『コーディネート終了』という連絡がきました。終了の主な理由には、ほかに適したドナーが見つかったり、患者さんの病状の変化で治療方針が変わったり……といったことがあるようですが、明らかにはされていません」と説明します。
しかし年が明けた2025年1月、金子さんのスマホにはふたたび「適合しました」というショートメッセージが届いたそうです。
金子さんは「2度目の方が驚きましたね」と話します。
1度目に提供できなかったことに「残念」という思いもあったという金子さん。今回こそ提供して患者さんの役に立ちたいと思ったそうです。
「健康には自信がありましたが、『絶対に風邪はひけないな』と思いましたし、ふだんつけないマスクをつけたり、野菜ジュースを飲んだりしてそなえていました」と語ります。
金子さんのパートナーが同席して、本人と家族の意向を立会人のもとで確認する「最終同意面談」や、さまざまな検査・手術の準備を経て、3泊4日の骨髄提供の入院に進みました。
提供の前日は、「病室が4人部屋だったこともありますし、やっぱりいろいろ考えてしまって眠れなかったですね。でも当日は、麻酔をかけられたらすぐに意識がなくなって、気づいたときには手術が終わって、病室でした」といいます。
痛みについては、「寝返りを打ったり腰をベッドにつけたりしたときに痛みはありましたが、鎮痛剤をもらうほどではありませんでした」と話します。
看護師から「骨髄は無事に患者さんに届きましたよ」と言われたときは、肩の荷がおりたようなホッとした気持ちになったそうです。
また、病院のスタッフからも「金子さんのおかげで、1人の患者さんを救うことができます」と言われたときは、「自分のやったことを改めて認識させてもらったというか、すごくずしんときました」と振り返ります。
「提供の翌日には歩いてもいいと言われたので、病院の食事では足りなかったところもあって、コンビニでちょっと高いスイーツとかを買って食べましたね」と思い返します。
腰の違和感は1カ月もすると、まったく気にならなくなったそうです。
金子さんが自身のドナー体験を振り返ると、やはり大変だったのは仕事の調整でした。
幸いにも、上司や同僚は理解があり、「シフトが決まる前なら調整する」と話してくれていました。
「それでも、お医者さんの都合で検査の日程が限られていたり、2時間だけの検査でも丸一日有休をとらなきゃいけなかったりしたのは大変でした」
企業のなかには、ドナーになる人が有給休暇を消化しなくてもいいように「ドナー休暇制度」を設けているところもありますが、金子さんの会社にはありませんでした。自身の有休を消化したり、欠勤したりして対応したそうです。
一方で、自治体や団体が独自に設けているドナーのサポートの仕組み「ドナー助成制度」には「助けられた」といいます。
若い世代のドナー登録が喫緊の課題となっていますが、金子さんは「ドナー休暇制度や助成など、提供しやすい環境づくりはとても大事」と指摘します。
さらに、「職場の人にドナー体験のことを話すと、ほとんどの人から『すごく痛かったんでしょう』と言われました。この誤解をなんとか解かないと、若いドナーは増えないと思います」と語ります。
もし3度目の適合通知がきたら、どうするのでしょうか?
金子さんは「1年、お休みの期間が必要ですが、人生で骨髄提供と末梢血幹細胞提供を合わせて2回までできます。なので、自分はもう1回通知が来たら、ぜひ提供したいです」と言います。
「今回のドナーの経験で、職場の人や、医療スタッフ、骨髄バンクの人たち、さまざまな人たちの尽力で骨髄提供ができるんだとわかりました。非常に貴重な経験をさせてもらったと思っていますし、『ドナーは選ばれし勇者』と番組で聞いていましたが、まさにその通りだなと思っています」
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