連載
#91 イーハトーブの空を見上げて
オシラサマが見てるから「悪いことはできねえ」生活に密着した守り神

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#91 イーハトーブの空を見上げて
Hideyuki Miura 朝日新聞記者、ルポライター
共同編集記者農家の土蔵を移築して造ったという、小さなお堂の入り口をくぐると、なぜか涼やかな風が吹く。
岩手県遠野市の歴史博物館「伝承園」にある「オシラ堂」には、約1千体のオシラサマが納められている。
その昔、美しい娘が飼い馬に恋をした。
激怒した父親は馬を木につるして殺し、悲しんだ娘が馬の首にすがりつくと、首は空高く舞い上がって娘を天へと連れていってしまった――。
民俗学者・柳田国男の「遠野物語」でも紹介された民間信仰を一目見ようと、今も多くの観光客らが「オシラ堂」に足を踏み入れる。
語り部の立花和子さん(78)は「娘は死後、父親の枕元に立ち、蚕を授けて育て方を教えた。それが養蚕の由来になったとも伝えられています」。
良いことを伝えてくれる「オシラセ神」としても信仰されているという。
北東北に広く分布するオシラサマは、各地でその特徴が大きく異なる。
材質も桑の木だったり、竹だったり。
娘や馬の顔が彫られているものもあれば、布で頭をすっぽりと覆われているものもある。
名称も「オッシャサマ」や「オシラガミ」、「オシラボトケ」や「オコナイサマ」と様々だ。
昨年5月16日、青森県弘前市の久渡(くど)寺を訪ねると、「オシラ講大祭」が開かれていた。
津軽地方におけるオシラサマ信仰の中心地。
オシラサマを寺院に持ち寄ってまつる数少ない習俗として、国の「無形の民俗文化財」に指定されている。
大祭の日の朝、青森県西部や秋田県北部からやってきた約150人の参拝者らは、自宅から持ち出したオシラサマを背負って急な石段を上る。
「位を上げる」ため布に御朱印を押してもらい、おのおの衣装を着せて祭壇にまつる。
青森県内では近世以降、女性たちが中心となり、家や集会所にイタコなどを呼んでオシラサマをまつってきた。
久渡寺の須藤光昭住職(51)は「津軽のオシラサマ信仰は、生活に密着しているのが特徴。人々はオシラサマをまるで家族の一員のように扱ってきた」と話す。
岩手のオシラサマが小柄で赤や黄の布に覆われているのに対し、津軽のオシラサマは等身大で、きらびやかな装飾や衣装を身にまとっている。
祈禱(きとう)では護摩がたかれ、太鼓とほら貝の音が鳴り響く中、参拝者たちは両手を合わせて祈りを捧げる。
「オシラサマには、これまでに何度も助けてもらったんです。本当ですよ」と青森県内からやってきたという60代の主婦が小声で話す。
弘前市で暮らしながら獅子舞などの研究しているルーマニア人研究者のイリナ・グリゴレさんは「女性たちが、まるで赤ちゃんのようにオシラサマを布にくるみ、胸に抱えてやってくる。人々が『目に見えないもの』を大切にして生きていることがわかる」と見つめる。
帰り際、妻に付き添って寺に来た年配の男性が言った。
「オシラサマは色々ちゃんと見てるんだ。妻はだませても、オシラサマが見てると思うと、たたりが怖いから、悪いことはできねえんだ」
悪事への抑止も、女性たちが願う「家の守り神」の御利益なのかもしれない。
(2024年5月、2025年2月取材)
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