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住所非公開…謎の「黒電話博物館」 収集した数「670台」私費で建設
小学生でもスマホを持つ時代の到来で、居場所を失っている固定電話。黒電話や公衆電話といったアナログな電話ばかりを集めた博物館があると聞き、のぞいてきました。(朝日新聞大阪社会部・宮崎園子)
大阪市住吉区の住宅街。民家の敷地の一角に、真っ白で新しい2階建ての建物が突然現れます。
知る人ぞ知る「てれふぉん博物館(ミュージアム)」。呼び鈴を押すと「館長」の稲谷秀行さん(55)が出迎えてくれました。
博物館の入り口でまず感動。電話機のダイヤルをデザインに施したドアがありました。階段脇の壁には黒電話をあしらったステンドグラスがはめ込まれています。大阪出身の作家、緒方修一さんの作品だそうです。
おめあては2階の展示室へ。コの字形のショーケースにずらりと電話機が並んでいます。
稲谷さんの説明が始まりました。
日本の電話交換業務は、1890(明治23)年に横浜で始まりました。そのとき導入された「ガワーベル電話機」は、電話を発明したグラハム・ベルの受話器に、イギリス人のガワーが考案した送話器を搭載したもの。
1902(明治35)年、日本電気(NEC)製の「グースネック共電式壁掛電話機」は、にゅっと伸びた棒の先端に送話器がついた形が、ガチョウのようなので、この名前になったとか。
古い黒電話や公衆電話がびっしりと並ぶ展示室。なぜ、こんなに集めたのでしょう。
稲谷さんが、ある電話機を指さしました。沖電気(OKI)製「イ―661自動式卓上電話機」です。
出会ったのは1985年ごろ。何げなくながめていた雑誌「ポパイ」の片隅に載っていたのを見つけたそうです。
「なんとなくこれ、カブトムシに見えませんか?」
漆黒のたたずまいに、すっかり心を奪われたといいます。
「カブトムシ?」
黒電話が並んだショーケースを少し離れたところから見てみると、確かにカブトムシのように見えなくもない!
ひと目ぼれした「イ―661自動式卓上電話機」を探し回り、東京・原宿の骨董市で発見したそうです。
ほかの黒電話にも興味がわき始め、古い壁掛け式や公衆電話もほしくなって……。
気づけば、その数670台ほど。正確な数はわからないそうです。
置き場所に困り始めた5年ほど前、「博物館構想」が浮かびました。
大学の通信課程で学び、「日本における電話機の変遷について」と題した論文で2012年、学芸員の資格を取得。そこまでしても踏み出せずにいた稲谷さんの背中を、大学の恩師が「人生は一度」と押して、決意が固まりました。
実家の敷地の空き地に2階建ての博物館を建設。2013年11月、友人ら数人を招いてオープニングセレモニーを催し、テープカットまでしました。実家に住む母親に「んなもんつくったら、アホやいわれる」と最初は難色を示されましたが、近所の人たちは珍しがって見に来てくれました。
展示品はえりすぐりの電話機140台のほか、電話帳や電話機の取り扱い説明書、ポスター、電話関連の資料など。関連の書物だけでざっと2500。稲谷さんのイチオシは、電話を発明したベルが友人に宛てた自筆の書簡だそう。専用のケースで展示されていました。
NTT広報室によると、固定電話の契約数は年々減っています。
ピークは1997年の6322万件で、2016年3月期には2272万件まで落ちこんでいます。
モバイルの台頭で減り続ける電話機たち。
ジリジリと誰かを呼び立てていた忙しい現役生活を終え、ショーケースに収まるその姿から、この1世紀あまりの社会の変化が透けて見えます。
昭和恐慌時、不景気で電話が売れない中、メーカー側が仕事を確保するために作った商品「教育用オモチャ電話」、戦中の樹脂不足の影響を受けた木製電話機。高度成長期の昭和30年代に登場した「ボースホーン」は、職場で向き合う2人が使いやすいようにダイヤルが二つ付いています。
それぞれの時代に、それぞれの電話機がありました。
稲谷さんが古い電話帳を取り出しました。
「見てください、この厚さの違い」。
1945年秋、終戦直後の薄い電話帳の横に、1949年の分厚い電話帳が。
「戦争で全部なくなったのに、電話に携わる人たちの並々ならぬ努力で、すぐに復興した。すごいことですよね」
いまとなっては、スカイプで地球の裏側の人とも、いとも簡単につながることができる。SNSですぐにやりとりできる。
でも、少し時代をさかのぼれば、電話が唯一の手段だった時代があったのです。
「こういう電話機たちが、興味をもたれなくなるのは、さびしいですね」
幼いころ、大工の父親あてにかかってくる電話に応対するのがいやで仕方なかったそうです。
「むしろ電話は嫌いやったんですけどね。なんでこんなことをしているのか、自分でもようわかりません」
稲谷さんは東京在住。大学進学で上京し、いまも会社を経営しています。
東京と大阪を行き来する生活ですが、近く、拠点を大阪に戻す予定です。
博物館のオープンから3年、訪問者はまだ両手におさまるほど。
「電話に興味がある人や詳しい人たちと、もっとつながりたいですね」
「NTT情報文化センタ」(閉館)の初代所長で、龍谷大学教授も務めた「電話のプロ」、押田栄一さん(84)は展示を見て感心していました。
「たった一人でこんな博物館をつくったことが驚きだし、電話に携わった人間としてうれしい。携帯が当たり前の時代、先達がどんな苦労をして、いまにつながったかを知ることは意味がある。古い電話機で通話の体験ができたら、なお楽しい」
「てれふぉん博物館」は見学無料。
住所は非公開、不定期開館のため、見学したい人は、博物館のブログ(http://telephone-museum.seesaa.net/)内のアドレスへメールを送ると、折り返し、稲谷さんから、見学できる日や場所などが返信されます。
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