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小6で母自殺、バイトして進学…だからこそ言いたい「見えない貧困」
経済的な理由で進学をあきらめなくてはいけなくなった高校3年生の女子生徒が「貧困の現状を知って」とあるイベントで訴えました。それをNHKがニュース番組で紹介しました。放送後、「捏造だ」「本当の貧困ではない」などの批判や中傷がネット上で相次ぎました。いったい貧困とは何なのでしょうか? 小学校6年生のとき母を自殺で失い、奨学金とアルバイトで進学、いま子どもの貧困対策センター「あすのば」事務局長を務める村尾政樹さん(26)に聞きました。
アルバイトと奨学金で大学に進んだあすのばの村尾さんが指摘するのは「子どもの貧困」の見えにくさ。お金だけの問題ではなく、子どもの「生きづらさ」や「困りごと」にも目を向けなければとらえられないものだと語っています。
――貧困はお金だけの問題ではないとは、どういうことでしょうか?
「僕は11歳のとき自殺で母を亡くしました。子ども3人と重い障害があるおばを抱えた父は、家族を養うために朝4時半起床、夜10時帰宅と、朝早くから夜遅くまで働くしかありませんでした」
「当時、世帯所得という意味では貧困ではなかったかも知れません。しかし定時帰宅すれば上司に『慈善事業ではない』と言われるなど、父の雇用環境は厳しかった。幼かった弟は母を亡くした翌年に児童施設に入りました」
「僕個人について言うと、父から『進学費などは自分で』と言われていました。アルバイトでお金をため、携帯代なども自分で払っていました。振り返れば『生きづらさ』を抱えた『見えない貧困』状態だったと思っています」
――所得の高低だけでは見えないものがあると。
「母子家庭のお母さんで3つの仕事をかけもちしている方もおられます。ひとり親でトリプルワーク。見かけの所得としては貧困に入らないかもしれない。しかしその生活環境は過酷です。子どもを支えるためにトリプルワークをしなくても済む社会にするのも子どもの貧困対策だと思います」
「子どもの貧困は『所得』の問題と切り離せないが、お金だけではとらえられない。そこから生じる『困りごと』に関わる問題なのだと思います。『貧』の部分は経済的なアプローチ、『困』の部分は福祉的なアプローチ、その両輪が必要です」
――そうした貧困問題の深刻さについての理解は広がっているでしょうか
「認知は広がっていますが、理解が伴っているかといえば課題があると思います。イベントなどでアンケートをとると、『実感がない』と答える人もまだ多いのです」
「背景の一つは、子どもたちの住む世界の分断が進んでいることかも知れません。東京都内のある区で子どもの貧困の講演会がありました。小学生の多くが私立中学に進学するという裕福なイメージのある区です。しかし一方で、公立中学に進んだ生徒の約3割は就学援助を利用しています」
「早期に進路がわかれ、親子とも同じような経済状況の家庭としかつながりがなくなってしまう。私立中学に進むグループでは貧困を実感する機会が乏しくなるのだろうと感じます」
――支援が必要な貧困の線引きをどう考えるべきでしょうか。
「生活保護など政策的な意味での貧困ラインは、税金による公的支援の基準ですから、線引きをする必要があります。時代にあわせ、そのラインが適切かどうか常に検証をする必要もあると思います」
「一方で個々の子どもや若者の支援で言えば、『貧困探し』や『苦労比べ』をしないのが一番だと思っています。先ほど言った『困りごと』は常に主観なものをはらみ、その『困りごと』を比べるべきではないからでです」
「簡単に比較や選別をせず、子どもが困っていると思ったら、まずそこに寄り添う姿勢が重要だと思います」
「大人の目線で本当に貧困なのか、貧困でないのかをまず論じるのではなく、まず困りごとに耳を傾ける。そういう社会のあり方が求められます。そうでないと子どもたちの声、本当の貧困の実態は見えてこないと思うのです」
「そして、その声や実態の『見える化』を通して、子育てにお金のかからない、またはお金がなくても困らない社会を構築することが必要です」
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