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原発事故を観光するのは罪ですか? 好奇心でもいい、まずは現地へ
「新シェルターに覆われる前に、チェルノブイリ原発の4号機が見てみたい」。そんな思いで、夏休みの旅の行き先をウクライナに決めた。教科書は「チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド」(ゲンロン出版)。悲劇の地を巡る旅のことを「ダークツーリズム」と呼ぶという。けれど、ただ「観光する」ことには、なんとなく後ろめたさを感じてしまう。楽しんではいけないのだろうか?
そもそも私が、原発問題に興味を持つようになったのは、中学2年生の時にさかのぼる。茨城の実家は、核燃料加工会社JCO(東海村)のすぐそば。
死者を出した臨界事故があった日、私たちは学校を途中で帰された。原子力が何かもよく分かっていなかった私だったけれど、家でテレビのニュースをつけたら、事故のことばかりやっていてとても怖かったのを覚えている。
加えて、東日本大震災と福島の原発事故。父の実家は福島の中通りにある郡山市だ。事故発生の翌日から1週間、取材で福島に入ったこともあって、ひとごとではないと感じていた。
チェルノブイリは、1986年4月26日、大きな原発事故が起きてしまった場所だ。当時、私はまだ1歳にもなっていない。
30年経って、現地はどんな風になっているのか、自分の目で見てみたい、と考えていた。
首都キエフでは、数社がチェルノブイリへのツアーを提供している。ネットで検索して一番始めに出てきた「チェルノブイリツアー」を選んだ。名前やパスポート番号などを入力し、前金をペイパルで送金して、手続きは終了。簡単なのに拍子抜けした。ただ、「長袖・長ズボンで参加を」という注意書きもあり、やっぱり気は引き締まる。
実際に4号機を間近で見られるんだ、と思うと、「不謹慎」と言われそうだが、わくわくする気持ちがあった。
当日は、絶対に遅刻したくない、と、7時半集合なのに目覚ましをかけて5時50分に起床。カメラやガイド、メモ帳も準備しながらも、期待と後ろめたさが胸のなかで交差する。
ただ、実際に参加してみると、雰囲気はとってもゆるい。ポーランド出身のガイド・ジョニー(25)も陽気。電子タバコを手に、私たちに「Comrade!(同志)」と呼びかけてくる。
参加者は私を含め13人で、ドイツ・スペイン・スイス・オーストリア・ウクライナ人が数人ずつ。アジアからは私だけだった。
参加の動機はさまざまで、「ゴーストタウンに興味があって」「私はちょっと放射能が怖いって言ったんだけど、彼が興味があるって言うから」。
アーティストのドイツ人は、次の作品のモチーフにしたいそうだ。スイス人の若者2人は、白い防護服を持参して、シャツにスウェットパンツ姿のガイドに「僕なんて何度もこの服を着てガイドしてるよ」と笑われていた。
30kmのチェックポイントを通過すると、バスに乗って、廃虚やソ連のレーダー、チェルノブイリ市の看板など、スポットを巡っていく。
スポットごとに、時たま冗談をまじえ、ガイドが説明をしてくれた。参加者も、思い思いに写真を撮ったり談笑したりしている。
それでも、ツアーがピリッとした空気に包まれることが何度もあった。
廃虚となった幼稚園のそばの木の根もとに、ジョニーが「ガイガーカウンターを当ててみて」と言う。
すると、さっきまで通常の線量だったはずが、警告音が鳴るまでに急上昇する。「この根もとにまだ放射性物質が残っているようだ」
4号機のそばまで行くと、事故炉を覆う「石棺」がさびているのが分かった。30年で、それをさらに覆うシェルターが必要になった。事故は現在進行形なのだ。
かつて大きな街だったプリピャチは、まるで深い森のよう。人がいないと、こんなに街はさびれて、自然にのまれていってしまうのだと感じた。
ツアー中、参加者のひとりから何げなく、「福島って人が住めるの?」と聞かれ、言葉に詰まった。
「難しい所もあるけれど、県は広いから」と説明しても、伝わっているのかもどかしかった。福島にも来て、現状を知ってもらえたらいいのに。
福島にも、原発から20km圏内へのツアーを行うNPO法人「野馬土」がある。2013年から1万人が参加したそうだ。
8月中旬に同行したツアーでは、津波に遭った浪江町請戸地区や帰還困難区域、富岡町の仮設焼却場、線量の上がる福島第一原発の前を車で巡った。
ボランティアでガイドをする大貫昭子さんは「参加者は、感想を口にするというより、言葉をなくしていく」と話す。
5年経っても、まだ被害の爪痕が生々しくて、震災の被害をうけたままの建物を見たり、帰還困難区域で道沿いの家や交差点に柵が建てられているのを見たりすると、同じ日本で起きていることとは思えないと感じた。
奈良県から家族4人で訪れた参加者も、汚染土砂の入った山積みのフレコンバッグを前に、無言になっていた。大学生は「テレビやニュースで見ていたのと、実際に見るのでは、印象が全然違って驚いた」と話す。
ガイドしてくれた大貫さんによると、ツアーの参加希望者は多く、今年は11月までに2千人が予約しているという。
そして、「ツアーに参加したほとんどの人が、感想というより言葉をなくしていく」と話す。
事故後、Jヴィレッジを取材した以外は20km圏内を訪れたことがなく、「どんな状況なのか」と気になっていた。けれど、この復興状況では、地元の人に「観光に来たよ」とは、とても言えない…というのが正直な感想だった。
被災の爪痕が残り、確かに「観光」はそぐわないようにも感じるが、観光学者の追手門学院大・井出明准教授は「現地を訪れると、悲しみの心への刺さり方は全く違う。ダークツーリズムをもっとポジティブに捉えてもいいと思う」と話す。
私も、気軽に参加してみてほしい、と願ってしまう。たとえきっかけが好奇心だったとしても、自分の目で見れば、感じることや学べることがあるからだ。
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