話題
権力が人の心を壊す時 「袴田事件」カメラマンが触れてしまった闇
1966年に発生した、いわゆる「袴田事件」から半世紀。袴田巌さん(80)は2014年3月、48年ぶりに釈放されました。昨秋から断続的に取材したカメラマンが見つめた知られざる袴田さんの「内なる世界」とは。
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1966年に発生した、いわゆる「袴田事件」から半世紀。袴田巌さん(80)は2014年3月、48年ぶりに釈放されました。昨秋から断続的に取材したカメラマンが見つめた知られざる袴田さんの「内なる世界」とは。
1966年に発生した、いわゆる「袴田事件」から半世紀。同年に逮捕され、その後死刑判決を受けた袴田巌さん(80)は2014年3月に釈放されました。びっしりと書かれたノートの文字。口をついて出る妄想の世界。カメラマンとして取材を続けながら感じたのは、権力が人の心を壊しうるという恐怖感でした。ファインダー越しに見つめた袴田さんの「内なる世界」をご紹介したいと思います。(朝日新聞映像報道部・時津剛)
私が初めて袴田さんに会ったのは、2014年3月の釈放から1年半余り経った2015年12月。ご本人、そして同居する姉のひで子さん(83)をこれまでに取材した静岡総局の記者と共に、秋晴れの日、浜松市のご自宅を訪ねました。
せんべいを手土産に(その時、袴田さんが甘党とは知らず)、東京から浜松まで、袴田さんに関する資料を読みながら、いったいどういう人物なのか、どういった生活を送っているのか、あれこれ想像しながら新幹線に揺られていたことを思い出します。
ご自宅は浜松駅から車で5分ほどのところ。タクシーを降りたとき、「立派なご自宅だな」というのが正直な感想でした。
階段を上りきった3階の呼び鈴をならし、玄関ドアを開けるとひで子さんが出迎えてくれました。廊下を進んだ右手の居間に「彼」はいました。斜光線が差し込む中、椅子に座り、小刻みにうちわをあおぎながら、まっすぐ壁に視線を向けていました。来訪者にはあまり興味を示していないようでした。
ひで子さんに取材の趣旨を伝えた後、「今後何度か伺うので撮影もさせてほしい」と袴田さんに話しかけました。「ああ、そうですか」という短い返事のあと、浜松の天候などについて彼は話し始めました。
しかし……。続いて口をついて出るのは妄想の世界のことで、内容を理解することはできませんでした。長期の拘禁による症状なのか……。初めての経験に、相づちを打つことしかできませんでした。
ある日、袴田さんが日課にしている散歩に同行しました。
強い秋風が吹く中、私の存在など忘れたように、浜松駅周辺を黙々とあてどなく歩き続ける。
時折ふっと視線を宙にさまよわせ、指を頭上に突き上げ何かをつぶやく。
私は彼の影のようにつきそい、シャッターを切り続けました。支援者の話では、指を突き上げるポーズには何か意味があるようだということでしたが、その意図するところは本人にしか分かりません。
私が一番衝撃を受けたのは、デパートでの出来事でした。
売り場をずんずんまっすぐ進んだかと思うと、行き止まりの壁に胸がぶつかるくらいのところで急停止。しばらくの間、のっぺりした壁を眼前に立ち止まっていました。そして百八十度きびすを返すと、また歩き続けました。
「独房の中をずっと行ったり来たりしていたからねぇ」とひで子さんは話します。狭い無機質な空間を行き来する袴田さん。想像するだけで、すっと鳥肌がたつようでした。権力が、一人の人間の心を破壊しうるという事実。えたいのしれない恐怖も感じました。
ひで子さんによると、釈放から時間が経つにつれ、笑顔も出るようになったといいます。
しかし、「(自分は)ハワイの王」などといった言動は今も見られ、拘禁症状による妄想の世界に生きていることに変わりはありません。
「釈放されても心は獄中のままだ」という支援者の言葉が重く響きます。
死の恐怖から逃れるように作り上げた「内なる世界」と釈放後の「現実の世界」。袴田さんは今、この二つの世界のはざまを漂っているのかもしれません。
再審の行方は不透明なまま、今もただ時間だけが過ぎ去っています。80歳という年齢を考えると、早期の再審開始が望まれます。これからも、この過酷な運命を生きた一人の男性の人生を、見続けたいと思っています。
◆キーワード〈袴田事件〉
1966年6月、静岡県清水市(現静岡市清水区)のみそ製造会社の専務宅が全焼し、一家4人の遺体が見つかった事件。従業員で元プロボクサーの袴田巌さんが強盗殺人などの疑いで逮捕された。一貫して無実を訴えたが、80年に死刑が確定。その後、再審請求を繰り返し、2014年3月に静岡地裁が再審開始と釈放を決定した。検察が即時抗告し、東京高裁で再審開始をめぐる審理が続いている。
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