地元
「急がば回れ」は本当か? 語源の舞台・琵琶湖で実験してみた
「急がば回れ」。リスクのある近道より、遠回りだけど安全で確実な道を選ぶ方が得策だ、という意味のことわざです。あまり知られていませんが、この言葉が生まれた舞台は、滋賀県の琵琶湖です。本当に今でも「急がば回れ」なのでしょうか。実験した人がいます。(朝日新聞東京社会部記者・原田朱美)
「急がば回れ」は、琵琶湖の交通手段のことです。
湖の対岸に行きたい時、船で横断すれば近くて早いです。直線距離ですからね。
でも、山から吹く突風で転覆する危険がありました。
遠回りでも、湖畔をぐるっと歩いた方が安全です。だから「急がば回れ」。
語源って面白いですね。
「じゃあ、本当に回った方がいいのか、実験しよう!」。
そう思い立った人がいます。京都橘大学の池田修教授。
池田教授は、国語教育のスペシャリストです。
「国語科を実技教科にしたい」と語る池田教授は、書道学習を極めるあまり、カメの甲羅を入手して彫刻刀で甲骨文字を掘ってみたり、「二階から目薬」などのことわざを写真で表現してみたりと、とにかく行動派。
「体験して初めてわかることがある。『言葉って面白いなあ』とワクワクします」と池田教授は言います。
そして今夏に選んだテーマが「急がば回れ」実験でした。
まずは陸路。
7月18日、学生14人と共に歩きました。
出発点は、琵琶湖東岸にある東海道の宿場町・草津。ここが陸路と水路の分かれ道です。
ちなみに、「急がば回れ」は、江戸時代初期につくれらた笑話集「醒睡笑(せいすいしょう)」に書かれていたのが始まりです。
この本の中で、古歌として紹介されています。
「武士(もののふ)の やばせの船は はやくとも いそがば廻(まわ)れ せたのながはし」
「やばせの船」は、「矢橋(やばせ)という港から出る船」のこと。
「せたのながはし」は「瀬田(せた)という場所にかかる橋」。具体的には、琵琶湖の南端から流れ出る瀬田川にかかる「唐橋」です。
つまり古歌は、矢橋から船で行くよりも、瀬田の唐橋を通るルートを選んだ方がいいよ、と具体的に教えてくれています。
陸路実験は、草津から南下して、その「瀬田の唐橋」を渡り、北上して琵琶湖西岸の大津市の港までの約13キロメートル。
江戸時代の人々が歩いたであろう旧道をたどりました。
踏破にかかった時間は、約4時間でした。
「暑くて、しんどくて、いやもう大変でした」と、池田教授は言います。
たしかに、夏の炎天下、4時間歩き続けるのは苦行です。
「何があっても、船がいいです。船が出なければ、船を待ちます」。
池田教授は、早くも断言。
いやいや、転覆するよりマシかもしれませんよ?
そして、いざ水路。
8月5日、池田教授が実験をやると聞きつけ、今度は記者も同行しました。
スタート地点は、草津市の「矢橋(やばせ)港」。さきほどの古歌にあった「やばせの船」です。
つい数十年前まで、ここが琵琶湖を渡る船の発着場だったそうです。
陸路のスタート地点からここまでは、約3㌔メートル。
歩くと1時間弱の距離です。
矢橋で貸しボート業を営む岸学さん(59)は、
「私が子どもの頃までは、友達を手こぎ船に乗せて大津まで遊びに行ってましたよ」。
まるで自転車感覚です。そんなにお手軽なんでしょうか、水路……。
さて、いよいよ実験開始です。
昔の手こぎ船に近い船ということで、カヌー(2人乗り)で渡ります。
挑戦するのは、池田教授と京都橘大学の学生2人を含む7人と、記者。
午前10時4分。岸夫妻に見送られ、出発です。
天気は晴れ。気温はすでに30度超。転覆よりも、熱中症が心配です。
ちなみに、記者はカヌー初体験です。
見るからに非体育会系な貧弱ボディですので、後席に乗る池田教授の推進力が頼みです。
教授、すみません。
人工島「矢橋帰帆島」をまわり、琵琶湖のメインストリートに出ます。
ここまで約1㌔メートル。わずか20分です。
止まると暑いですが、進んでいると、風が心地良いこと……。
対岸に見えるタワー・びわ湖大津プリンスホテルを目印に、こぎます。
このあたりには、北東にある比叡山から「比叡おろし」という風が吹きます。
これが転覆の原因になるのだとか。
ただ、この日の風速は2.7メートル。向かい風ですが、湖上では無風かと思うくらいの弱さです。
こぐのには、全く影響しません。スイスイ進みます。
これくらいが、夏の平均的な風速だそうです。
水の上は、静かです。
パドルが水をかく音が、響きます。
転覆したらどうしようと内心ビクビクしていたのですが、「気持ちいいなあ」「水に手をつけると最高」とみんなで言い合いながら、のんびり進みます。
途中で記念写真なんか撮る余裕もありました。
江戸時代の船便は、自分でこぐのではなく、業者がこいでくれるもの。
おそらく、今回の実験以上に快適に感じられたことでしょう。
「断然!水路の方がいいです!めっちゃ早いです!」。
カヌーをこぎながら叫んだのは、京都橘大学3年の林匠さん(20)。
池田教授のゼミ生で、陸路の4時間を体験した1人です。
すごい笑顔でこいでいます。よほど陸路がきつかったんですね。
そうこう言っているうちに、遠くに見えていたタワーが目の前に。
岸が近くなり、セミの声が聞こえ始めました。
池田教授は、帆船の再現のために「帆」も準備していました。
ただし、手持ち。
「白旗を揚げてるみたいだ」と、全員で大爆笑です。
弱々しい「比叡おろし」を受けて、ジワジワ岸に近付きます。
そして、着岸。ドン。
時計を見ると、午前11時20分でした。
かかった時間は、1時間16分。
結局あやうい場面もなく、落水者はゼロでした。
草津宿から矢橋港までの徒歩1時間を入れると、水路全体で所要時間は2時間と少し。
やはり、時間は水路が勝ります。
水路実験の参加メンバーの意見は、
「急がば近道」。
全員一致でした。
時間だけでなく、快適さが最大のポイントです。
陸路も経験した林さんは、
「水路はラクだし、楽しかった。ただ、陸路の方が『やっと着いた』っていう達成感は大きかったですね。あと陸路は、終わった後のビールがものすごくおいしかったです」と、ニヤリ。
カヌーの「こぎ手」として呼ばれた京都橘大学の4年生・大平真也さん(21)は、
「めっちゃ楽しかったです」と満面の笑み。
大平さんは滋賀生まれ滋賀育ちですが、「急がば回れ」の語源が琵琶湖だとは知らなかったそうです。
「地元の友達に『実験した』って言ったら驚かれそう」と話していました。
今回の水路実験は、琵琶湖でヨットやカヌーの教室を開く「オーパル」の中岡靖雄さんがサポートしてくれました。
「夏と秋は、琵琶湖は穏やかな日が多いんですよ」と中岡さん。
琵琶湖が荒れやすいのは、冬から春。
風が強い時は、転覆の危険があることはもちろんですが、手こぎの船ではなかなか前に進めないそうです。
「冬や春だったら、たしかに『急がば回れ』かもしれませんね」
なるほど。
ということで、結論は、
「急がば近道。ただし夏秋のみ」
でした。
1/18枚