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あいつらと野球がしたいから…「100キロ移動」連合チームの奮闘
全国代表49校が出そろった夏の高校野球。今年の地方大会には部員が少なかったり、統合を予定している学校が一緒に出場する「連合チーム」が、61チーム参加しました。中には学校間の距離が100キロを超えるチームも。さまざまな逆境と戦いながら、グラウンドに立った連合チームの熱戦を振り返ります。
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全国代表49校が出そろった夏の高校野球。今年の地方大会には部員が少なかったり、統合を予定している学校が一緒に出場する「連合チーム」が、61チーム参加しました。中には学校間の距離が100キロを超えるチームも。さまざまな逆境と戦いながら、グラウンドに立った連合チームの熱戦を振り返ります。
全国代表49校が出そろった夏の高校野球。今年の地方大会には部員が少なかったり、統合を予定している学校が一緒に出場する「連合チーム」が、61チーム参加しました。中には学校間の距離が100キロを超えるチームも。さまざまな逆境と戦いながら、グラウンドに立った連合チームの熱戦を振り返ります。
全国61の連合チームの中でも、北海道には10チームが集中しています。そのうち、もっとも学校間の距離が離れているのが「阿寒、標津、羅臼」の3校連合チームでした。標津・羅臼は隣町同士(それでも約46キロ離れています)ですが、羅臼から阿寒までは直線距離で131キロも離れています。
練習は、3校の中間付近にあるグラウンドを借りて行いました。阿寒では部員4人の保護者が、合同練習のたびに車を片道約2時間運転して、子どもたちを練習場所に送り届けました。
チームをまとめた増田樹彦主将(羅臼3年)は、遠く離れた阿寒の部員と連絡をとるのに、あえてメールは使わなかったといいます。「直接会って会話した方がいいと思った」といい、合同練習を6月には6度実施しました。増田主将は「短い期間だったけど、阿寒の選手はフレンドリーでコミュニケーションがとれ、チームとしてまとまった」と振り返ります。
北北海道の釧根地区大会では、見事に初戦を突破。2回戦で敗れましたが、積み重ねた練習の成果を見せつけました。
5つもの高校で連合を組んだのが、岩手県の「前沢、宮古水産、大迫、沼宮内、雫石」です。しかも、この5高校、岩手県内の東西南北に散らばり、所在地の市町村もバラバラ。最も離れている沼宮内と前沢との間は、101キロも離れています。
選手は5校合わせて17人。集まるのは週末に限られ、練習場所の花巻市の大迫高校グラウンドまで行くのに、片道3時間かかる高校もありました。岩手大会の初戦では中盤に力尽きて6回コールド負けを喫しましたが、選手は「出るためではなく勝つために練習してきた」。最後は連合チームでの出場に誇りが持てたといいます。
海を越えた連合チームも奮闘しました。
北海道の奥尻島にある奥尻高校(部員7人)と、半島側にある約95キロ離れた福島商(部員3人)が組んで出場。
南北海道・函館地区大会の開会式では、奥尻3年の伊藤優陽主将が「私たちは多くの方に支えられてこの舞台に立つことができた」と選手宣誓しました。伊藤主将が特に気持ちを込めたのは「感謝」という言葉だといいます。部員不足で単独では出場できず、春に続いて福島商と組んでの出場に「いろんな人たちの支えがなければ、今ここに立っていることもできませんでした」。
一緒に練習できたのは月2回程度と少ないなか、奥尻・福島商は、初戦で八雲を1―0で破りました。2回戦ではラ・サールに敗れましたが、存在感を発揮しました。
2014年春創部の鹿児島特別支援は、3校と連合チームを組み、初めて夏の大会に臨みました。
同校には軽度の知的障害のある生徒が通い、野球部員は2、3年生の4人。特別支援学校の出場は、全国でも初めてのことでした。初戦敗退はしたものの、スタメン出場を果たした特別支援の坂下貴紘君(3年)は4番打者を任され、4打数3安打と大活躍。「全国の野球をしたい特別支援の生徒に勇気をあげられたと思う」とやりきった顔で語りました。
福島第一原発から約3.5キロに位置する双葉(部員2人)は相馬農、新地と連合チームを組んで参加しました。
夏の甲子園に3度出場したことがある古豪ですが、原発事故の影響で生徒数が激減。来春に休校することが決まっています。福島大会1回戦で、0―5で敗れましたが、雨中の全力プレーに大きな拍手が送られました。双葉の松本瑠二君(3年)は「全力でプレーできてよかった。この試合は人生の宝物です」と話しました。
全国61の連合チームは、いずれも地方大会で夏を終えました。しかし、その頑張り、笑顔、涙は、多くの人の胸に刻まれています。
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