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倒産「牛丼太郎」元社員、「丼太郎」で挑む復活 仲間4人で切り盛り
かつて存在した「牛丼太郎」という牛丼店チェーン。1杯200円の安さ、BSE流行時にも採算度外視で牛丼を出し続けるなど、個性的な経営で東京都内で約10店舗を展開。ところが、大手チェーンとの競争に敗れて倒産しました。この「牛丼太郎」が復活する可能性が出てきました。
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かつて存在した「牛丼太郎」という牛丼店チェーン。1杯200円の安さ、BSE流行時にも採算度外視で牛丼を出し続けるなど、個性的な経営で東京都内で約10店舗を展開。ところが、大手チェーンとの競争に敗れて倒産しました。この「牛丼太郎」が復活する可能性が出てきました。
かつて存在した「牛丼太郎」という牛丼店チェーンをご存知でしょうか。1杯200円の安さ、BSE流行時にも採算度外視で牛丼を出し続けるといった、個性的な経営で東京都内に約10店舗を展開。人気漫画「めしばな刑事タチバナ」でも紹介されるなど、コアなファンを獲得しました。ところが大手チェーンとの競争に敗れ、3年前に倒産してしまいました。この「牛丼太郎」が、復活を遂げる可能性が出てきたというのです。そのカギを握る1軒の店を取材しました。
東京メトロ・茗荷谷駅(文京区)。駅前を歩くと、すぐに「牛丼激戦地」が見えてきます。
約50メートルの間に牛丼店が3軒。「なか卯」と「松屋」が隣り合い、さらに赤い看板に「丼太郎」と書かれた牛丼店が並んでいます。この聞き慣れない名前の店、のぞいてみるとカウンター20席が仕事帰りのサラリーマンらで埋まり、なかなかのにぎわいです。
食券の券売機に書かれた、牛丼並の値段は290円。なか卯より60円、松屋より90円安い。さらに、カレー(並270円)や納豆丼(並220円)など低価格メニューが並びます。
店先の看板は故障していて、夜になっても光りません。夜闇に包まれると、まるで目立たなくなります。
さらによく見ると、丼太郎の看板は、先頭の文字が赤色のテープで覆い隠されています。隠された文字は「牛」。この看板は倒産した「牛丼太郎」のものを、そのまま使っているのです。
丼太郎の運営会社「丸光」の佐藤慶一社長(51)は、調理の合間に「商品には自信を持ってたし、店を続けて欲しいというお客様も多かったからね」と語ります。
牛丼太郎の倒産が決定的になった2012年7月、佐藤さんたち社員3人で「丸光」を立ち上げました。佐藤さんは元工場長、ほかの2人も店舗運営部長や経理部長の経験があります。
牛丼太郎は1970〜80年代に、吉野家で副社長を務め、創業期の松屋で顧問も務めた「牛丼界のカリスマ経営者」が率いていました。
2000年ごろには大手チェーンの価格競争に真っ向から挑み、一時は牛丼1杯200円まで値下げ。
さらに、03年にBSE(牛海綿状脳症)が発生し米国産牛肉が不足したときには、大手が次々と販売を停止するなか、豚肉を混ぜることで牛丼販売を続けました。しかし、店内で「当店の牛丼には、豚肉も使用しています」と告知したところ、来店者から不満の声が続出。
そこで、今度は高価な国産牛肉に切り替えて、牛丼販売を頑なに続けました。「うちは牛丼屋だから、牛丼を売らないと」。そんな経営者の思いからだったといいますが、値段は変えなかったため、利益が激減した捨て身の策でもありました。
こうしたカリスマ主導の経営が破綻したのを見て、佐藤さんたちは「今度は仲間で相談しあいながら、店を作れないか挑戦したい」という気持ちが湧いてきたといいます。「レシピや運営ノウハウは、3人の頭にみんな入っている。力を合わせれば、何とかやっていけるだろうと考えました」と振り返ります。
しかし、開店への道のりは険しいものでした。
調理器具や丼は、牛丼太郎で使っていたものを安く買い取ることができましたが、倒産で迷惑をかけた食材の仕入れ先からは、ほとんど取引を断られました。
店名を変えたのも、以前とは別会社であることを知ってもらうための苦肉の策でした。佐藤さんは「新しい看板を作る資金も無かった。とりあえず、『牛』を隠せば違うかなと看板にテープを貼った。あとでちゃんとやればいいかと。それが未だに続いているんだけどね」と苦笑いします。
牛丼太郎の店もそのまま使い続けられないか交渉しましたが、一部のビル所有者からは「運営会社が変わったのだから」と賃貸契約の結び直しを求められました。提示された家賃は、それまでの倍。さらに数百万円の敷金も必要でした。佐藤さんは「それが当たり前の対応なのだと思います。でも、当時の私たちにそんな資金は用意できなかった」。
苦境を救ったのは、牛丼太郎が主に牛肉を仕入れていた会社でした。「長年お世話になったから」と、佐藤さんたちとも格安で取引を続けてくれたのです。
さらに、牛丼太郎・茗荷谷店の入居ビルのオーナーも、「あなたたちには、頑張って欲しい」と敷金も取らずに店舗を貸し続けてくれました。佐藤さんは「周りの助けがなければ、店の立ち上げは難しかった。本当に助けられました」。
その結果、牛丼太郎・茗荷谷店は一日も店を休むことなく、経営を引き継ぐことができました。佐藤さんは「お客様は店が『丼太郎』に変わったことすら、気付かなかったんじゃないでしょうか」と言います。
現在3人のほかにも牛丼太郎の元社員が参加。計4人で交代しながら、バイトを雇わず、毎日深夜まで営業しています。
4人全員が牛丼づくりにたずさわって20年以上のプロ。激戦地の中にありながら、開店4年で、店舗の客数は牛丼太郎時代より約2割増えました。牛丼太郎と同じ値段で、変わらぬ「濃いめ」の味わいを守っています。「牛丼は簡単に出せるものと思われがちですが、プロの技だからこそ出せる深い味がある。大手チェーンとの差別化は十分できると考えています」。
佐藤さんは最近ようやく、テープを貼ったままの看板のことも考えられるようになったといいます。「看板をそろそろ新しく作り替えたい。まだ決めてはいませんが、店名を『牛丼太郎』に戻してもいいと考えています。倒産直後と違い、今なら戻しても仕入れ先を失う心配はありませんから」と明かします。
会社倒産にめげず、味や安さを守ってきた佐藤さんたち。名実ともに「牛丼太郎」が復活する日を目指して、今日も牛丼をよそっています。
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