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「音楽と政治」論争の不毛感 「EXILEは?」欠落した体制側という視点
いよいよ始まるフジロック。「SEALDs」奥田愛基さんの参戦で盛り上がった「音楽に政治を持ち込むな」論争について、「そんなやりとりは非生産的だよ」と気鋭のポピュラー音楽研究者は待ったをかけます。なぜなら「音楽こそ政治」だからです。「だったらエグザイルの存在は?」「学校で合唱することも政治?」。大阪市立大学の増田聡准教授(ポピュラー音楽研究)が一連の騒動をクリアカットに読み解きます。
――国内最大の野外ロックイベント「フジロックフェスティバル」に、奥田さんの出演が決まると、「音楽に政治をもちこむな」という言葉がネット上にあふれました。
「これは『政治を持ち込むな』ではなく、ロックフェスのプログラムに左派的な政治主張を持ち込むなという反応ですよね。それがこういったスローガンに言い換えられて共感を呼んでいるのが興味深い。音楽と政治を区分し、異なる領域に位置付けたい欲望が社会に広がっているんでしょうね」
「でもそれについての私のスタンスはすごいシンプルで、『音楽とは本質的に政治的なもの』ということになります。『音楽に政治を持ち込むな』というのは、『線路に電車を持ち込むな』と同じくらい無意味な主張と感じられます」
――それはロック、引いてはポピュラー音楽が、元来、反骨精神を内包し、反体制、反商業主義的な歴史を持っていて……という論ですか?
「反商業主義や反体制的であることがイコール政治的、ということではありません。音楽は本質的に〈政治的〉なのですが、本質的に〈反体制的〉なのではない。体制に異論を唱える主張ばかりを『政治的』とみなして区別する見方がそもそも偏っているのです」
――体制に協力する音楽の存在が欠けていると
「今回メディアは、ロックの反体制的歴史をことさら取り上げ、『だから音楽に政治を持ち込め』と結んでいた。そのような議論に欠けているのは、体制順応的な音楽もまた政治的なものであるという認識です。政府のイベントに協力するエグザイルだって極めて政治的ではないですか」
――「政治を持ち込め」派の主張も不十分だったわけですね?
「『持ち込め』派と『持ち込むな』派は、どちらも政治的な音楽と非政治的な音楽が区別できると信じている点で等しく、また反体制的なものだけに政治性を背負わせている点でよく似ています。私が言いたいのは、音楽は根源的な水準で、そのまま様々にミクロな政治性に満ちている、ということです」
――どういうことですか?
「エルビス・プレスリーの歌の歌詞にはあからさまな反体制的なメッセージはありません。そもそも彼はとても保守的な人ですし。でもビートに乗って腰を振るしぐさや、彼の黒人的な歌唱法やサウンドは、1950年代の米国社会の文脈において、極めて政治的なインパクトを与えました。アメリカ大衆の人種観に決定的な影響をもたらしたのです」
――日本だと?
「日本なら、65年に来日したベンチャーズのエレキサウンドが、青少年にエレキブームを巻き起こし、当時は『不良化につながる』『社会秩序への脅威』とみなされました。担い手当人の意図にかかわらず、音楽がいやおうなく政治的な機能を果たすことはしばしばあります。70年代のカーペンターズは、一見とても『非政治的で安全』な音楽と思えますが、同時代の冷戦期のソ連に持っていったらどうでしょうか」
――聞く場所によっても政治性を持つわけですね?
「フランスの思想家ジャック・アタリは、ある社会的空間のなかで、どの音を選び誰に聞かせるかという行為自体が潜在的な政治性を持つ、と指摘します」
「学校現場で特定の曲を選んで合唱することや、カーステレオで何を流すかすらも、『人々を空間の中で特定のかたちに秩序付ける』という点で政治的な振る舞いなのです。そういった意味で、音楽と政治を切り離すことができないという端的な事実を、まず最初に私たちは確認しておく必要がある」
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