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「ニート25才」が立候補で得たもの 衝撃の選挙ポスターから1年…
選挙の時、世間に強烈な印象を残す泡沫(ほうまつ)候補っていますよね。「上野竜太郎」という名前をご記憶の方は多いのではないでしょうか。昨春の統一地方選挙で千葉市議選挙に立候補し、「ニート 25才」というポスターがネットで注目を集めました。上野さんはいま、何をしているのでしょうか?
上野さんが住む、千葉市内のファミリーレストランで待ち合わせました。先に来ていた上野さんは、穏やかな笑顔で迎えてくれました。
「今は、認知症の人たちが入所するグループホームで働いています」
昨年上野さんが立候補した千葉市議選挙では、斬新な選挙ポスターが話題になりました。顔写真はなく白地に黒色の縁取りで、書かれているのは「ニート 25才 上野竜太郎」の文字だけ。
かなりのインパクトを与えました。
「不必要なものを取り除いたらあの形になりました。自分の現状をわかりやすく表すのは25歳とニートだなと。ある程度話題になることは予想していました」。意外と戦略家です。
そもそもいきなり選挙に出たのはなぜでしょうか。
中学から不登校となった上野さんは、音楽の専門学校へ進みますが、そこも1年余りで行かなくなり、実家に引きこもっていました。これではいけないと20歳の時に始めた青果店のバイト先で、労働問題に出くわしました。
残業代が正しく払われず、タイムカードに記載しない残業は当たり前。従業員たちは過労死のニュースを見て「自分たちの方がもっとひどい」と笑っていました。「おかしいと思って。労働問題を解決できるのは政治家しかないとその時は考えていて、その頃からいつか選挙に挑戦したいと考えはじめました」
ただ、その後はまた引きこもりに戻ってしまいました。気づけば25歳。そんな時、地元で千葉市議選があることを知りました。25歳は、ちょうど立候補できる年齢です。
とはいえ。投票にすら行かない人がいるのに、いきなり選挙に出るのは、かなりハードルが高かったのではないでしょうか。
「いえ。迷いはまったくなかったです。元々無職で仕事を辞めるリスクがないですし、家庭ももっていないので、困らせる人もいない。どうせ出ても泡沫としかみられないから、選挙にお金をかけなくていい。生活は元々不安定なので、出ない理由がなかったんです」
すがすがしいくらい、きっぱりとした理由です。
アルバイト時代に「いつか選挙に出る時のために、何となく」お金をためていました。50万円の供託金を払えるお金はありました。ただ、今までで一番高い買い物は「中学生の時に買った4万円の模造刀」だそうですので、高額なのは間違いありません。
「供託金を没収される不安はなかったですよ」と、上野さんは言います。過去の千葉市議選の選挙結果を調べると、供託金を没収された人は以外に少なかったそうです。しかも20代の若者なら、さらに没収の可能性は低くなると予想したそうです。ますますもって、戦略家です。
公約は、「ニートの社会復帰支援」「政務調査費のインターネット公開」「ひとり親世帯の支援」など、自分の経験やこれまでニュースで見聞きした知識を元に作りました。ただ、立候補の動機になった、肝心の労働問題には触れていません。
「働いていない負い目があって、労働問題を語ることはできませんでした」
いざ立候補の手続きをする時、住民票を手に入れたことも新鮮な体験でした。
市役所に住民票の送付依頼を郵送して、実際に手元に送られてきた時「ちゃんとできた」ことがうれしかったそうです。「役所という公的機関に『正解です』と花まるをもらった感覚で、大人になったと思う瞬間の一つでした。単に住民票を取っただけなんですけどね」と、照れくさそうにふり返ります。
「人生の中で目標を設定して到達したことはなかった」という上野さんにとって、選挙に向かって準備をすること自体が、自信を与えてくれる体験だったそうです。ひきこもり、社会から遠ざかっていた上野さんにとって、立候補は、社会とのつながりを取り戻す作業だったのかもしれません。
選挙にかかった費用は約8千円。ポスターのコピー代や粘着テープ、拡声機の購入代などです。
低予算で選挙を行ったのは「今後立候補しようと思う人に、これだけの低予算で立候補できると、情報の一つとして示したかった」からだと言います。もちろん当選することが目標でしたが「落ちても意味のあることをしよう」と思ったそうです。
選挙活動で、拡声機は3回使いました。「畑の横と、空き地と、路上と。誰も足を止めてくれませんでしたが」。
あとはポスターを自転車で貼ってまわりました。自分の立候補がネットで話題になるにつれ、「頑張れ」「面白いことするね」と、好意的な声をかけられるようになったそうです。
「ニートだから話題になるとは思ってましたけど、面白がる声の3倍は批判がくると覚悟していました。『ふざけるな』『働け』とか、言われるだろうなと。だけど、好意的な声が多くて驚きました」
結果は、予想を超える1399票もの投票がありました。定数10人、候補者15人のうち、13番目の得票数です。落選はしましたが、読み通り、供託金の没収はされませんでした。
「面白半分の票もあると思いますが、僕への肯定とも受け取れ、自信になって慰められました。これまでは自分を変えないと世の中では生きていけないという気持ちがありましたが、選挙結果を見て『自分を変えずに生きていこう』と思えました」
「選挙は僕の人生にとって大きな勲章の一つです。これから何があっても応援していただいた言葉を思い出して、『あの時できたんだから今日もできるはずだ』と未来の僕は思うはずです」
選挙の後、すぐに仕事探しを始め「人手が足りない業種で、働きながらスキルを蓄積できる」と介護の仕事を選びました。認知症の方たちの生活の介助をするなどしています。
上野さんが、政治家になる以外にも声を上げる方法があると知ったのは、選挙後。今では関心のある問題を取り上げたシンポジウムにも足を運ぶようになったそうです。
まず行ってみたのは女性参政権70年に関したシンポジウム。選挙への興味がなくなったわけではないですが、今後は「選挙に限らず色んな方法を試してみたい」と話しています。
「これまで立候補できないと思っていた人に、僕の立候補で選挙に出られることを伝えられたら目的は達成できた。世の中を変えられたわけじゃないけど、少しは民主主義に貢献できたのかなと思っています」
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