グルメ
担々麺を「汁あり」に変えた、伝説の料理人 本場中国にも逆輸入
中国からの観光客が増え続ける日本。最近では、日本でしか味わえない「中華料理」も中国人に注目されるようになりました。すっかり国民食になった担々麺も、実は日本生まれ日本育ち。辛さや胡麻の風味が効いたスープに絡まった麺は、中国四川省にある本場「汁なし」の担々麺とは全然違います。しかし、そのおいしさから、本場中国からの逆輸入も始まっています。「汁あり」に変えたレシピを発案したのは、伝説のあの料理人……陳建民氏でした。
日本版担々麺の誕生秘話や改良などについて、「四川料理の父」と呼ばれる陳建民氏のまな弟子である赤坂四川飯店本店の料理長・鈴木広明(ひろあき)氏に聞きました。
陳建民氏は1919年四川省富順県生まれ。10歳の時から料理の世界に入り、四川省で修行を積み、その後料理を学び作りながら雲南省、重慶、武漢、南京、上海、台湾、香港を経て、1952年(昭和27年)に来日しました。
日本で四川料理の普及に尽力し、担々麺・麻婆豆腐などの看板メニューを開発し、普及させ、「四川料理の父」とまで呼ばれています。そして息子の陳建一さんは料理の鉄人などの番組に出演、さらに孫の陳建太郎さんは四川省に留学し、三代目として家業を受け継いでいます。
陳建民氏の弟子である鈴木料理長は、「建民師父は料理の作り方などを隠したりせず、弟子たちに何でも教えてくれました」と話します。実際、担々麺などのレシピも公開されています。
こうした建民氏の姿勢について「人に教えないと、料理が広がらないという信念を持っていたからでしょう。また、建民師父は、自分で料理を試作して、弟子たちに味見をさせていた。かなりチャレンジ精神が豊富でした」と鈴木料理長。このようなチャレンジ精神が、日本で多様な「四川料理」を生み出した原動力になったのでしょう。
担々麺の誕生には、苦労もありました。四川料理は基本的に唐辛子の辛さと山椒のピリピリ感が大事だとされています。四川本場の担々麺は汁なしで、かなりスパイシーなので、建民氏が来日した1950年代には、当時の日本人にまだ受け入れられませんでした。
この時、悩む夫に奥様の陳洋子(愛称:洋子ママ)さんがアドバイスします。
「日本人はスープが好きで、お味噌汁とか、毎日欠かせないのです。スープのある麺のほうがいいですよ」
洋子ママのアドバイスを受け、チャレンジを重ね、スープのある麺が開発されました。スープを入れることにより、味がまろやかになります。芝麻醬(ゴマだれ)は香味をいっそう高めます。
麺に関しても、小麦粉に卵を入れるなどのこだわりがありました。さらにスープの味の配合も工夫され、いろいろ試行錯誤の末に、現在の担々麺にたどり着いたのです。
四川料理の日本化の成功の裏には、洋子ママの存在と愛情が大きかったと料理長も感心しています。
陳建民氏が日本に持ち込んでから半世紀以上経った担々麺。時代とともに、料理にも変化がありました。
まずは、調味料の変化です。かつて中国大陸との物資交流があまりなかった時代に、豆板醬などの調味料を、建民氏自身が作りました。そして1990年代に入り、中国では市場経済を導入し、山椒・豆板醬・唐辛子味噌など、四川省から輸入できるようになりました。
その調味料の使い方を勉強するために、陳建一さんが本場四川省の料理人と交流し始めました。三代目の陳建太郎さんも四川省・成都に留学し料理を学んだことで、両者の関係がさらに深まりました。今では、勉強会なども開催するようになりました。
5~6年前からは、四川省の方から「麻婆豆腐や担々麺の作り方を教えて欲しい」と言われるようになり、勉強会の際に、四川飯店の麻婆豆腐や担々麺の作り方を披露しているそうです。調味料の交流から、料理人の技の交流へ。そして日本育ちの麻婆豆腐や担々麺は、四川料理の本場に逆輸入されるようになっています。
日本の担々麺は、本場の汁なしが「辛すぎた」ため、スープを入れてまろやかにし、日本人向けに改良されたわけです。一方、近年の四川料理ブームで、日本でも辛さを好むのに自信がある方も出ています。
赤坂四川飯店には、汁なしの本場に近い担々麺もあります。料理長によると、汁なしの担々麺は10年ほど前から提供し始めて、近年はやはり人気が高まっています。
「汁なし担々麺は山椒がよく効いて、ピリ辛ですが、スパイシーが好きな人はぜひ食べてください」と料理長が愛のメッセージを送りました。
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