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芸人と髪形 あえて「はげ面」加藤茶 画期的だった紳助リーゼント
もじゃもじゃ長髪にモヒカン、きのこヘア……お笑い界には、まねしたくても出来ない個性豊かな髪形がいっぱい。昭和のお笑い芸人といえば、スーツに七三分けのイメージがあるけれど、今日までどう変化してきたのでしょうか? お笑い評論家で江戸川大学准教授の西条昇さんに、芸人ヘアスタイルの今昔を聞きました。(構成 朝日新聞統合編集センター記者・加地ゆうき)
2015年のM-1グランプリで優勝したトレンディエンジェルは、2人とも薄毛キャラ。本来なら気になる部分を、売りにして笑いに変えてしまう流れは、昔からあります。
最初に髪形を芸風に採り入れたのは、昭和初期に活躍した柳家金語楼さんです。バーコード頭で、顔をクシャクシャにしながら落語をしたり喜劇をしたり。当時の子どもたちが遊ぶメンコにはコメディアンや映画スターの似顔絵が描かれていましたが、髪と表情ですぐに「金語楼さんだ」と分かるんです。
薄毛じゃないのに、はげ面をかぶってまでキャラクターを作る人も出てきました。口の周りに真っ黒なひげを描いていたデン助さんや、メガネでちょびひげ姿の加藤茶さんがそうです。
一方で、髪形には「おしゃれ系」の流れもある。ビートルズの影響を受けて、ザ・タイガースやザ・スパイダースといったグループサウンズや、吉田拓郎さんらフォーク歌手が次々と長髪で人気を集める。1970年代に入るころです。
お笑い界でおしゃれ系長髪にし始めたのが、いまや、上方漫才のベテラン、中田カウス・ボタンさんでした。パーマをかけてジーンズをはいて、女の子にキャーキャー言われていた。初めて追っかけがついた大阪の漫才師は、中田カウス・ボタンさんと言われています。
大阪には、今でこそ関ジャニ∞やジャニーズWESTといった地元発のアイドルがいるけど、当時はみんな東京からデビューしちゃってた。アイドルのいない大阪で、面白くて流行ファッションをとり入れた漫才師は人気を集めました。もともとお笑いが根付いている土地で、「面白い人がもてる」文化があったことも影響しています。
画期的だったのは、島田紳助さんらのリーゼント。80年代の漫才ブームで登場します。それまで、おじさん世代の漫才コンビと言ったら七三分けだった。リーゼントは、一度見たら忘れられないほど強烈でした。当時は、映画化もされたツッパリ漫画「ビー・バップ・ハイスクール」のようなヤンキー文化が人気だった。時代の流行が反映されていました。
髪形がキャラクターとして確立すれば、長年変えないケースもあります。例えば、ウド鈴木さんがあのモヒカンのような髪じゃなかったら、「誰?」と思われるかもしれません。
逆にイメチェンしたのがタモリさん。82年に「笑っていいとも!」の司会を始めるまでは、真ん中分けのイメージを確立していた。イグアナの物まねなど、とんがった芸風だったんです。七三分けにして、薄めの色のサングラスに替えた時は驚いたのを覚えています。その後は、「昼の顔」として定着しましたよね。
「髪形芸人」は4月16日発行の朝日新聞夕刊紙面(東京本社版)「ココハツ」と連動して配信しました。
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