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世界一貴重な「モヤシ」の謎 MoMAで展示、オノ・ヨーコ巡る秘話
MoMAで展示され、慶応大のアート・センターで保管されてるモヤシ。掛けられた保険金額は100万円。そんな超貴重モヤシの謎を追いかけました。
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MoMAで展示され、慶応大のアート・センターで保管されてるモヤシ。掛けられた保険金額は100万円。そんな超貴重モヤシの謎を追いかけました。
現代アートの殿堂・ニューヨーク近代美術館(MoMA)で昨年、あるモヤシが展示されました。掛けられた保険金額は100万円。移動はビジネスクラス。そんな激レア貴重モヤシの謎を解明すべく、収蔵されている東京・三田の慶応義塾大学アート・センターへ取材に向かいました。
アート・センターは1993年、慶応大に付属する研究機関として設立されました。「撥剌(はつらつ)とした文化環境の創出に寄与する」(公式サイト)ことを目的に、書簡や草稿といった文書類に加え、ポスターやチラシ、チケットなど大量の紙資料を保管しています。
「例のモヤシを見せてください」とお願いすると、奥にある資料保管室に通されました。温度変化による資料の劣化を防ぐため、室温は22度、湿度は55%に保たれています。担当者が棚から箱を取り出し、薄葉紙の包装を丁寧に解いていくと、ついに謎のモヤシが姿を現しました。
モヤシの正体は、1962年5月に東京の草月会館で開催された、「ワークス・オブ・ヨーコ・オノ 小野洋子作品発表会」の案内状。三つ折りにされた黄ばんだ上質紙に、オノ・ヨーコさんの作品タイトルが英語で、出演者予定者の名前が日本語で記され、中央より下寄りの部分に干からびたモヤシが貼り付けられています。
『輝け60年代―草月アートセンターの全記録』(フィルムアート社、2002年)に収録された、グラフィックデザイナー杉浦康平さんのインタビューにはこうあります。
「人間の生きた叫びと、透明な思考法。その新鮮な感じ方を、生きたもの、つまりモヤシで表現しようと思ったんです」「私は、ヨーコさんが日本に帰国した時からいろいろ話しあって、なんといったらいいのか、ようするにどろどろしたものでなく、生きた輝き、その痕跡を鮮やかに伝える……というつもりで、一つずつモヤシを貼った」
オノ・ヨーコさんと杉浦さんのコラボレーションによって生まれた、芸術的な案内状。いまはカピカピに乾燥してしまったモヤシも、当時はみずみずしく「生きた輝き」を連想させるものだったのでしょう。関係者らに送られたと案内状のうち、モヤシなしバージョンは複数残っていますが、モヤシ付きで現存が確認されているのはこの1通のみです。
ではなぜこの1通だけが、半世紀以上もの間、生き延びることができたのでしょうか。そこには、美術評論家の故・瀧口修造の功績がありました。瀧口は案内状をモヤシがついたままの状態で保存。1979年の死去後、2001年に遺族がアート・センターへ寄贈しました。
その後しばらくは、ほかのコレクションに埋もれて目立たない存在でしたが、2008年ごろにセンターのアルバイト職員が発見。翌年に慶応大で陳列されたのを皮切りに、千葉市美術館(2014年)や東京都現代美術館(2015~16年)で展示されました。
昨年には、ニューヨークのMoMAで開かれたオノ・ヨーコさんの個展で「国際デビュー」も果たしました。展示に際して掛けられた保険金は100万円。衝撃による破損などを避けるため、日本からの空輸にあたってはビジネスクラスを利用し、アート・センターの職員が機内に手荷物として持ち込みました。総額で250万円ほどの費用が発生したそうです。
瀧口の慧眼によって、後世へと受け継がれたモヤシ。アート・センターの担当者は「普通の人なら、捨ててしまってもおかしくない。色々な芸術があるが、『取っておく』というのも一つの芸術。このモヤシは瀧口さんのアートでもある、と言えるかもしれません」と指摘します。
余談になりますが、前掲の『草月アートセンターの全記録』で写真家の故・吉岡康弘は「確か陰毛を貼り付けた案内状が来た。ヨーコの詩が書いてあって、二つ折になった奴。他の連中もそう言ってたんで、随分探したんだけど、ねえんだよ」と証言しています。
後にジョン・レノンとの「ベッド・イン」まで披露したオノさんですから、この「陰毛説」も思わず信じてしまいたくなるようなリアリティーがあります。モヤシ付きの案内状の現物が残っていなければ、ひょっとして美術史の記述も変わっていたかも……と考えると、瀧口の「取っておく芸術」の偉大さがよくわかりますね。
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