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大阪じゃないのに…尼崎の市外局番「06」の理由 巨額費用で編入
尼崎市は兵庫県なのに、なぜか電話の市外局番が大阪市と同じ「06」です。そこには「06」にこだわった、地元産業界の陳情の歴史がありました。
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尼崎市は兵庫県なのに、なぜか電話の市外局番が大阪市と同じ「06」です。そこには「06」にこだわった、地元産業界の陳情の歴史がありました。
尼崎市は兵庫県なのに、なぜか電話の市外局番が大阪市と同じ「06」です。ひょっとして、尼崎は大阪の一部なの? そこには、半世紀以上前に繰り広げられた、日本電信電話公社(現NTT)にお金を払ってでも「06」にこだわった、地元産業界の陳情の歴史がありました。
兵庫県内の市外局番は、西宮市が主に「0798」、芦屋市が「0797」、神戸市が「078」……と、ほとんどが07系です。尼崎がなぜ、大阪市、豊中市、吹田市などで使われている「06」なのか、不思議に思う人は少なくありません。
明治時代から、多くの企業が工場を立地した尼崎にとって、取引先がある大阪との連絡は何より重要でした。
20世紀に入ると、尼崎にも電話が普及し始めますが、当時の市外通話(異なる電話局管内への通話)は、交換手に通話先を告げても、なかなかつながらないことが多く、大阪との連絡は大変不便だったようです。もちろん、料金も市内通話より高額でした。
さらに、町村合併を重ねた尼崎市の中には、尼崎局、伊丹局、西宮局など複数の電話局の管轄区域が混在し、市内から市内へ電話をかけるにも市外料金が必要という、ひどい状況に陥っていました。
このため戦後間もなく、「市内全域を一括して大阪局の管轄区域に編入させてもらおう」という声が地元で高まります。市や商工会議所による日本電信電話公社(現NTT)への陳情の末、編入は1954年に実現。その8年後、全国的に市外局番が整備され、尼崎を含む大阪局管内に「06」が割り当てられました。
1954年当時の新聞を見ると「市外通話の約6割を占めていた大阪との通話が従来の14円から7円になる」とメリットが紹介されています。1992年刊行の「尼崎商工会議所八〇年史」も「その後の尼崎の産業経済活動に大きく貢献した」と編入を高く評価しています。
もっともこの編入は、タダではありませんでした。電電公社は当時、条件として「2億円余りの電信電話債券の引き受け」を市側にのませました。管轄区域の再編などに伴う工事費の地元負担という意味合いです。
県内では異彩を放つ「市外局番06」。その裏には、阪神工業地帯の中核を担った「工都尼崎」の歴史が隠されていたのです。
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