二・二六事件で通信死守した「電話交換嬢」 防毒マスクの作業風景
二・二六事件の反乱部隊に襲撃・包囲された警視庁内で、事件の一報を受けてから不眠で数十時間、交換業務を続け通信を守った警視庁の電話交換手たちとその職場=1936年3月
二・二六事件当時の警視庁の電話交換手・青木梅代さん=1979年4月
1940年、防空訓練で防毒マスクをつけた電話交換手
1951年9月のサンフランシスコ講和会議を目前にひかえ、回線の増設、人員増員、ベテラン交換嬢の配置などに総力を挙げる=1951年8月
多忙の118番の電話交換手=1950年9月
元日の電話局。日本髪を結った交換手たちが次々にかかってくるお祝い電話をつないだ=1957年1月
真夜中に超多忙な国際電話の交換嬢=1961年9月
東京市外電話局の仕事始めに、日本髪の和服姿で臨む交換嬢たち=1966年1月
東京市外電話局の「100番交換台」で働く女性たち=1966年12月
紺の制服姿でキビキビと交換業務にあたる女性交換手
福岡市外電話局の市外交換室=1969年9月
真剣に交換機に向き合う東京市外電話局の交換手=1977年6月
日本で最高齢の電話交換手と言われた榊チズ子さん=1980年9月
休憩中は受話器をかけておく。マスコットで区別する=1983年11月
民営化一カ月のNTT。電話の応対をする女性交換手=1985年4月30日