感動
北斗晶さん、家族のため選んだ鬼嫁キャラ 極貧支えた愛情レシピ
乳がんを公表した、タレントで元プロレスラーの北斗晶さん。女子プロのヒール役から「鬼嫁」キャラへの転身は家族のことを第一に考えての決断でした。
感動
乳がんを公表した、タレントで元プロレスラーの北斗晶さん。女子プロのヒール役から「鬼嫁」キャラへの転身は家族のことを第一に考えての決断でした。
乳がんを公表した、タレントで元プロレスラーの北斗晶さん。告知を受けるまでの経緯を説明し、検診の大切さを訴えたブログの文章に、共感と励ましの輪が広がっています。夫の佐々木健介さんや息子への思いがつづられたブログ。女子プロのヒール役から「鬼嫁」キャラへ転身も、家族のことを第一に考えての決断でした。
1967年生まれの北斗晶さんは、高校を中退し、女子プロの門を叩きます。女子プロ人気が全盛の時期、応募者が35000人いる中、合格者は北斗さん含めて10人しかいませんでした。難関をくぐり抜けた北斗さんは、1985年、女子プロレスラーとしてデビューします。
入門2年目で世界チャンピオンになった北斗さんですが、その後の試合で、首の骨を折り、「再起不能」の宣告を受けます。しかし、過酷なリハビリに耐え、8万人の署名を集めてリングに奇跡の生還を果たします。
1992年、北斗さんはメキシコへ派遣されます。「メキシコ行き」は「使えないプロレスラー」の烙印を押されたと考えた北斗さん。「見せるプロレス」を真剣に考えます。結果、般若の面に歌舞伎の衣装を身につけ、木刀を持つ「デンジャラス・クイーン」が誕生します。1993年、女子プロ最強と言われた神取忍さんを倒し、トップの座につきます。
そんな北斗さんですが、1995年、アントニオ猪木さんが北朝鮮の平壌で開催した「平和の祭典」でプロレスラー佐々木健介さんと出会い、半年後に電撃結婚をします。
結婚、出産後もレスラーとして活躍していた北斗さんは、2002年に引退をします。きっかけは、自分の息子と同い年の子を持つ友人の死でした。
2005年12月の記事では当時を振り返り、次のように述べています。「お葬式で、息子と同じ年の子どもが母親が死んだことがわからずに『抱っこ、抱っこ』と甘えていた。それを見たときに、もう引退しようと思ったんです。彼女の死に顔を見て無念だっただろうなと思った。その瞬間、子どもとプロレスをはかりにかけていた心の天秤が一気に動いたんです」(2005年12月12日アエラ)
引退後、専業主婦になるつもりだった北斗さんですが、けがをした佐々木さんが所属団体から解雇され、生活が苦しくなります。最悪だった時期、家中のお金を集めても6000円しかない日もありました。
北斗さんは、苦しい家計をやりくりし、夫を支えます。鬼嫁というキャラクターも、この時に生まれます。テレビで夫を罵倒する北斗さん。視聴者がそれを安心して見ていられるのは、夫や子どもへのあふれんばかりの愛情があってこそ。
極貧時代には、野菜を庭に植え、生ゴミをださないほどの節約で家族を支えました。しっかり者の嫁として認められた北斗さんは、「北斗晶の鬼嫁キッチン 食材根こそぎ 使いっきりレシピ」など、料理本も出してします。
かつて自らをヒール役に改革した北斗さんは、夫のプロデュースも成功させます。それまで黒いリングコスチュームだった佐々木さんに、派手な色を着させ、セコンドとして寄り添います。フリーランスのレスラーとして活躍できるよう、対戦データなど団体のデータを調べ上げて、試合の組み合わせを練りました。
佐々木さん、2004年にプロレス大賞を獲得。同じ年、北斗さんは話題賞を受賞しました。
テレビでおなじみの、夫を羽交い締めにした夫婦漫才をしつつ、北斗さんは、佐々木さんを立てることを忘れません。
「うちの旦那はすごく真面目で曲がったことが大嫌い。旦那に何かあったら、私が守る。私が食わせる」(2005年12月12日アエラ)
人生経験が豊富でトークの引き出しが多い北斗さんは、テレビでも人気キャラとして慕われています。ブログでのがん公表へは、プロレス界のみならず、芸能界からも励ましが寄せられています。
復帰を待ち望む声が広がる中、北斗さんはブログに次のようにつづっています。
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