お金と仕事
15歳でホステスに、どん底からドバイで起業 「運ではない。欲」
15歳でホステスになった谷口愛さん。どん底からはい上がり、今はドバイで活躍する起業家に。いつも大事にしていた信念がありました。
お金と仕事
15歳でホステスになった谷口愛さん。どん底からはい上がり、今はドバイで活躍する起業家に。いつも大事にしていた信念がありました。
中東ドバイで商社を経営する谷口愛さん(47)。中卒でホステスになり、親の借金を返しながら働いていた異色の経歴を持つ社長です。つかんだチャンスを逃さずアメリカに留学。猛勉強の末、ドバイで起業し現在の成功を手に入れました。「運が強かったといわれますが、そうではない。どん欲なんです」。そんな谷口さんに、大逆転の人生を歩む心得を聞きました。
「WinWinという言葉が嫌いなんです。お互い利益を得られる、利益分配できてよかったねというのは2人の間ではいいのかもしれませんが、ここからこぼれ落ちる人がいると思うんです」
谷口愛さんは、月一回ドバイをビジネスクラスで往復する起業家だ。
谷口さんは、15歳から17歳までは関西方面でホステスをしていた。店からはきらびやかなドレス、客から高級な食べ物をあてがわれた。店の稼ぎ頭だった。だが、その仕事は望んだことではなく、両親の借金を返すためだった。
高校に進学する中学の同級生を横目に、夕方4時に髪を整え、大人っぽくするために化粧を厚塗りする。アフターで客をうまく処することができず、失敗することもあった。三駅分泣きながら歩き、自分はなぜこうなのか、と涙で前が見えなかった。
「どん底だった。ここからなんとかはい出したいと思っていた」そのために、何が必要か。
「絶対に勉強だと思った。みんなのように高校に、大学に行きたかった」。だが、中学時代の友人も「ソープ嬢」になり、自分も売れっ子ホステス。「中卒で落ちるところまで落ちてしまうと、こうした世界からはい出せない」。進学の機会はないように思えた。
ただ、気持ちは強く持っていた。「母は高卒で父は中卒の家庭で育ちました。子供は親の格差を引き継ぐという言葉がありますが、私はこの負の連鎖を絶対に切ってやると思っていました」。
17歳の頃、ある人とつきあうようになった。谷口さんは6月に出版した自著「どん底からでも人生は逆転できる。」(世界文化社)に書いているが、ヤクザの親分と知らないままつきあっていたという。その「親分」が「学校に行けるように」と1000万円出してくれたという。このおかげで、借金は完済。夜の仕事から離れることになった。
18歳で昼間の仕事につき、大手製造業の東京大学出身の男性と結婚した。あとで離婚することになるのだが、当時の夫が、米フロリダに異動すると、フロリダのステッソン大に進学するため、猛勉強をした。何度も入学事務所に通っては、アドバイスをもらい、合格を手にした。入学時は34歳になっていた。
授業の内容をボイスレコーダーにとり、学生の面倒をみてくれるチューターに、録音したものを一緒に聞いてもらい、自分で取ったノートと照らし合わせて、どこが聞き取れなかったのかを拾ってもらう作業を毎回やってもらった。ちゃんと聞き取れるようになるのに1年半、自分の意見を言えるようになるまでさらに半年かかった。
ノートをとれなかったら代わりにノートを取ってくれる生徒を探してくれたりしてくれたのは、ベイリー教授という大学入学前から相談をしていた先生だった。
メンターとなってくれたベイリー教授は、悩みを聞いてくれ本のアドバイスなどもくれた。その教授が名付けたあだ名は「ハリケーン愛」。「何か言い出すと、それが片付くまで引かないから」だったという。「押しが強い」のだが、それがバイタリティーがあるとアメリカでは認めてもらえた。
卒業式は、成績優秀者として表彰されたのを、夫と日本から駆けつけた夫の両親が祝ったという。
インタビューのこの日は、プラダの靴を履き、エルメスの新作バーキンとエルメスの名刺入れを持つ。「ドバイは見かけが大事な国だから」ブランドにはこだわる。住居は芦屋に月30万円のマンションを賃貸で借りている。
だが、不動産については「土地は、神様から人間に与えられているものだから、自分のものだと誇示したくない」と買いたいとは思わない。
今、起業家として中東の商品を日本に紹介するなどの商社として活躍する。2009年、株式会社エー•アイ•クリエーションを設立。2013年に現地法人を設立した。そもそものきっかけは、たまたまパーティーで知り合った大学時代の友人からの紹介だった。
「運が強かったといわれますが、そうではない。どん欲なんです」
「日本だと、この年齢で何何をしていなきゃいけないという画一的な道しかない。中卒だったらこの仕事、などと決まっている。現に中卒の友達は黒服になったり、組員になったり、ソープランドにつとめている。でも私が他の人と違ったのは教育。普通に勉強したかった。その思いを実現させただけ。出自は自分で選べないけれど、今の地位は自分でつかみ取った」。
親の借金でホステスを15歳で始めたが、今は親を恨んでいないという。「妹と自分を五体満足に生んでくれたことに感謝している」。
若い人が甘えた考え方を言うと、辛辣(しん・らつ)な言葉が口をつく。
「今、自己破産をすればいいじゃないと軽くいう人がいますが、社会的抹殺を受けるということ。ソープ嬢でもなんでもして自分のケツは自分でふきなさい、ということですよ」
「男の人に迎えにきてもらって、食事をおごってもらって当然という考え方はしてはだめよ。乞食(こ・じき)じゃないんだから」
時間は平等に与えられていると信じて、一生懸命生きてきた。「なんとかなるというか、なんとかする」気持ちでがんばってきたら、「明けない夜はなかった」。
人生まだ5合目だという。「今からが本当の勝負よ」。
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