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元ジュディマリTAKUYA、アメザリとバンド「第2のスタート」

元ジュディマリのTAKUYAさんが、「商店街バンド」というコミックバンドをアメザリと組んでいます。お笑いに込めた音楽への思いとは?

元ジュディマリTAKUYAさん。音楽を追究する中で「お笑いバンド」に行き着いた
元ジュディマリTAKUYAさん。音楽を追究する中で「お笑いバンド」に行き着いた 出典: 朝日新聞

目次

 元JUDY AND MARY(ジュディマリ)のTAKUYAさんが、アメリカザリガニとコミックバンド「商店街バンド」を組んでいます。ジュディマリ解散後も自らの音楽を追求してきたTAKUYAさんが、「お笑い」に見出したものとは何か。そこには、これからの音楽業界への思いがありました。

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【動画】「ジュディマリの時は、YUKIの歌をどう聴かせるかだった。今は、柳原の神のツッコミをいかに引き出せるか」と語るTAKUYAさん

「ケーキ入刀」で必殺仕事人「ちがーう!」

―「商店街バンド」とは?
 8年くらい前、アメザリの漫才の出囃子(でばやし)を作ったんです。それがきっかけで、自分の誕生日ライブで、アメザリに漫才をしてもらって。その時の打ち上げで、次からは一緒になんかやろう、という話になったんです。
 
 それから3人で、ネタ合わせやるようになりました。その時、バンドで演奏始めて、アメザリの柳原哲也が突っ込むとか、いろんなパターンを思いついて。「新郎新婦、ケーキ入刀です」っていうときに必殺仕事人のテーマをバンドが演奏、それで「ちがーう!」みたいな。
 
 ライブでやったら思いのほか好評で、来年もやろう、という流れになり。段々と1時間を超えるくらいになってしまって。そこで「本気でやる気ありますか」っていうのを各メンバーに確認を取って、誕生日ライブの中ではなく単独でもやっていこう、ということになったんです。

「商店街バンド」のライブ。漫才と生バンドのコラボで客席は笑いに包まれる
「商店街バンド」のライブ。漫才と生バンドのコラボで客席は笑いに包まれる 出典:アメザリ平井も所属『商店街バンド』PV - YouTube

大赤字だったけど「これはやれる」

―手応えはあった?
 2013年に単独でやり始めた時は、正直、知り合いの会社の人に頼んで、チケットを買ってもらったりしても大赤字だったんですけど、実際、来てもらうと、どっかんどっかん笑ってくれて。「これはやれるぜ」と思いましたね。ハイブリッドなコミックバンドショーというのは、今は無いジャンルで、僕もメンバーも、やってて楽しいんですよね。
 
 「商店街バンド」では、ありとあらゆる楽曲を演奏するんです。正直、今20代のバンドの子たちに、これやってみなさいって言っても、たぶんできないですよね。みんな相当キャリアあって、この年までやってきたからこそ、開けたドアだと思っています。

アメザリの柳原哲也(左)と平井善之
アメザリの柳原哲也(左)と平井善之 出典:アメザリ平井も所属『商店街バンド』PV - YouTube

YUKIのボーカルと、柳原のツッコミ

―アメザリとの掛け合いが息ぴったりです
 僕は神のツッコミと思っているんです。松竹芸能のお正月の番組で、大先輩がボケまくってるのを、柳原が一人で仕切ってしまう。

 ジュディマリの時は、YUKIがボーカルで、彼女の素晴らしい歌をどう聴かせるかだったんですけど、今は、柳原がボーカルで。あいつの神のツッコミをいかに引き出せるかっていうとこですかね。

 それが楽しいし、プロデューサーが僕だとすると、僕の使命だなって思ってるところもあるんです。

ジュディマリ解散について「やりきった感があっての解散です」と語るYUKIさん=2001年1月29日
ジュディマリ解散について「やりきった感があっての解散です」と語るYUKIさん=2001年1月29日 出典: 朝日新聞
アメリカザリガニの柳原哲也(左)と平井善之=2014年9月
アメリカザリガニの柳原哲也(左)と平井善之=2014年9月 出典: 朝日新聞

育成を捨てはじめた時、デビュー

―アイドルのプロデュースもされてます
 業界の流れを自分なりに見てみると、まず予算が削られてアイドルの曲で生バンドが消えた。そして、歌って練習しないと上手くならないんだけど、それもしにくくなって。1人だとちょっと歌が厳しい…みたいな時は、2人だったらいいんじゃないか、3人だったらいいんじゃないかって、もっと大勢で、そういう歴史をたどってきたんじゃないかと。

 僕がジュディマリの前のバンドでデビューした25年前にソニースタジオっていうのがあって。そこの地下にリハーサルスタジオがあったんですね。毎日そこで頑張って練習してて。

 当時、隣のスタジオで練習してたのは、ドリカム。同じ建物の上は、ちゃんとしたスタジオで「食堂に南野陽子がいるぞ」って、サインもらいに行ったりとかして。俺らももっと頑張って地上に上がろうみたいな、そういうのがあったんです。
 
 その3年くらい後にジュディマリでもう1回デビューした時はなかったんですね、リハスタが。そのころから、(音楽業界が)育成を捨てはじめていて。僕はあれがきっかけの一つだったなって思うんです。

「商店街バンド」のステージに立つTAKUYAさん
「商店街バンド」のステージに立つTAKUYAさん 出典:アメザリ平井も所属『商店街バンド』PV - YouTube

「何もなくなって、これはまずいぞ」

―一方で「今、折り返しの地点に来ている」と発言されています
 「ブルーハーツ」の結成30周年のアルバムが、ネットで話題になっていたんです。彼らのような昔のバンドが、今、ネットで注目を集め始めているんですね。それで、自分のツイッターで「折り返したな」と投稿しました。

 音楽業界が、予算を削られてめんどくさい部分を捨てていったら、何もなくなってしまった。これはまずいぞ、という動きになってきている気がして。それで、たぶんまた逆流してくるというか、そういう時間軸にいるなって思ったんです。
  

「ジュディマリやり遂げて、見つけた行き先」

 ジュディマリを29歳のとき、東京ドーム(でのコンサート)までやって、完全にやり遂げて終わって。その後、エンジニアの勉強だったり、プロデューサーの勉強だったり、コツコツ十何年間やってきたんですけど、絶対あそこにいくみたいな目標に出会えていたわけではなくて。

 それが、ここ最近、急に行き先が見えたというか、なかなか人生2回もこんなふうにいける人少ないだろうし、僕はそれがすごいラッキーだったなと。楽しもうって思って。頑張ろうという気持ちでいっぱいですね。

「商店街バンド」のちょうちんを持つTAKUYAさん
「商店街バンド」のちょうちんを持つTAKUYAさん

生バンド、スリリングなすごさ

―生バンドのよさとは?
 昔のテレビ番組も研究してるんですけど、やっぱり生バンドでやってた時代すごいなあって。同じジングル(番組内に挿入される音楽)のように聴いてたけど、毎週キーがちがったとか。あの手この手で新鮮なことやってて、なんかスリリングというか。
 
 時には生バンドだからこそ間違える、だから面白い。予定調和で安全安全みたいな、事故のないように、用心し過ぎると何もできない。楽しいこともなくなって、逆にそのすばらしさに気付いて、だからハイレゾ(高音質の音源)とか誰かが言い出したんだと思ってるんです。

 ジュディマリの時も、最後まであまり照明とか凝らずに、バンド4人でロックするっていうスタイルで、それ以外のものを盛らずにやってたんです。僕がやりたいのは、人間でできる芸術で、そこは昔から一貫してますね。

「商店街バンド」で演奏するTAKUYAさん
「商店街バンド」で演奏するTAKUYAさん 出典:アメザリ平井も所属『商店街バンド』PV - YouTube

ホリエモン、あの人はパンクロッカー

―「商店街バンド」には堀江貴文さんも登場しました
 彼、ブルーハーツが好きなんですけど、「あれも欲しい、これも欲しい」って歌ったら、「君の歌?」っていうくらいはまるんで、凄いですよ。僕は、あの人をパンクロッカーだと思ってます。ツイッターでのやり取り、生き方、今そんなに不満をもってやってるミュージシャンいないよって。

東京高検に出頭する前に報道陣に囲まれる堀江貴文氏=2011年6月
東京高検に出頭する前に報道陣に囲まれる堀江貴文氏=2011年6月

―音楽プロデューサーとして今後は
 10年くらい前に自分のスタジオを作りました。作る前に、いろんな世界中のスタジオへ行って、レコーディングして。その時から、コンピューターとかインターネットとかがだんだん流行り出していました。
 
 そういう技術の進化とともに、大きいスタジオがアメリカでも潰れ始めたんです。その時、僕は、放出された今ではもう手に入らない機材を手に入れていった。ハイレゾと言われるようになった今に向けての訓練、実験とかは10年前から積み重ねていて、僕には「さあいらっしゃい」って感じですね。

「佐久間後」の世界を作っていける

―バンドをする若い人が増えています
 彼らがそれをやろうって思ってるってことは、生バンドを練習してたら、この先、絶対いい予感がするから始めてるんだと思うんですよ。音楽業界は、こんなに荒れ果てて、全部、野っ原になってしまったけれど、そこから、また作れたりもすると思うんです。

 音楽プロデューサーの佐久間正英さんが亡くなる前のブログで書いて、結構、話題になった「音楽家が音楽を諦める時」は、今も時々読むんです。僕はとても賛同できるんですけど、こうして一度全部だめだね、終わったね、みたいな感じから「佐久間後」の世界が始まる。

関連リンク:音楽家が音楽を諦める時 - Masahide Sakuma
日米混合バンド「NiNa」の佐久間正英さん(後列左)=1999年11月
日米混合バンド「NiNa」の佐久間正英さん(後列左)=1999年11月 出典: 朝日新聞

 僕らや、もっと若い奴らだったりが、新しいやり方を考えていくべきだと思うし、実際に作っていくのだと思う。意外と、今の10代の子達の未来は明るいんじゃないかなって思ってますね。
 
 今度、「商店街バンド」のライブをやる渋谷のeggmanは、ジュディマリの最初のステージでもあるんです。一緒に「商店街バンド」をやっている元ジュディマリのドラムの五十嵐公太さんと「また渋谷のeggmanからスタートですね」って2人で冗談で言ってたんです。

 僕は、「商店街バンド」がすごい流行って、老後もやれてたらすごい楽しいなって思っているんです。

TAKUYAさんのスタジオの機材には、もう手に入らないものも。「ここ最近、急に行き先が見えた」
TAKUYAさんのスタジオの機材には、もう手に入らないものも。「ここ最近、急に行き先が見えた」 出典: 朝日新聞

TAKUYA(タクヤ) 1971年生まれ、京都市出身。2001年に解散したロックバンド「JUDY AND MARY(ジュディ・アンド・マリー)」(ジュディマリ)のギタリスト。現在はギタリストとしての活動のほか、ボーカリストや作詞・作曲、他のアーティストのプロデュースなども手がけている。
     ◇
商店街バンド 商店街にできたバンドという設定のコミックバンド。TAKUYAさん、アメザリのほか、元ジュディマリの五十嵐公太さん、元REBECCA(レベッカ)の友森昭一さん、VANILAの坂巻晋さん、音楽プロデューサーのnishi-kenさんらが参加。2月24日の渋谷「eggman」でのライブには、ムッシュかまやつさん、元五輪バレーボール代表の大林素子さん、ものまねタレントの葉月パルさん、175RのSHOGOさんも出演。

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