話題
錦織圭の96年前に4強 熊谷一弥もすごかった 軟式出身、初メダル
全米オープンで快進撃中の錦織圭選手が、戦後の4大大会で日本男子初の4強入りを決めました。では戦前に4強入りした人はどんな人だったのか。彼の名は熊谷一弥。軟式テニス出身ながら、硬式テニスに転向しオリンピックで初のメダルを獲得したすごい人でした。
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全米オープンで快進撃中の錦織圭選手が、戦後の4大大会で日本男子初の4強入りを決めました。では戦前に4強入りした人はどんな人だったのか。彼の名は熊谷一弥。軟式テニス出身ながら、硬式テニスに転向しオリンピックで初のメダルを獲得したすごい人でした。
全米オープンで快進撃中の錦織圭選手が、戦後の4大大会で日本男子初の4強入りを決めました。では戦前に4強入りした人はどんな人だったのか。彼の名は熊谷一弥。軟式テニス出身ながら、硬式テニスに転向しオリンピックで初のメダルを獲得したすごい人でした。
熊谷さんは、軟式(ソフトテニス)からの転向組でした。硬式テニスに移ってからも、ラケットの握り方は軟式のままを貫きました。それによって独特のドライブがかかり、海外の強豪を悩ませたそうです。
テニスの4大大会がプロに門戸が開かれたのは1968年のこと。熊谷さんは銀行員としてニューヨークに駐在しながら試合をするアマチュアでした。
熊谷さんの指導を受けたことのある鳥羽貞三さんの証言によると、熊谷さんは花粉症だったようで、「試合中に涙が出てハンディになっていた」そうです。
96年前、準決勝進出を決めた時は当時の新聞も「熊谷氏優勢 国際テニス選手競技會に於いて(中略)勝利を博したり」と伝えています。
熊谷さんは、オリンピックで日本人として初めてメダルを獲得した選手でした。しかも二つ。シングルスとダブルスでともに銀でした。
負けん気の強い性格だったようで、長男の一夫さんによると、オリンピックで金メダルが取れなかったことをいつも悔しがっていたそうです。
錦織圭選手の活躍で、熊谷さんの出身地である福岡県大牟田市では「すごいテニス選手が大牟田出身だった」と話題になっているそうです。
熊谷さんがテニスを始めたのは旧制宮崎中でした。それを記念したテニス大会「熊谷杯」もあります。1975年に始まった大会では、九州各県から選手たちが集まります。