お金と仕事
ガリガリ君、なぜ売れる? 若手を活用、予想裏切って攻め続ける
今年で発売から33年を迎えたロングセラー「ガリガリ君」。販売本数は増え続け、今年は年間5億本超えを見込んでいます。とぼけたキャラクターで、ちょっと「外した」感じがウリのガリガリ君。その人気を支えているのは、ウケ狙いの姿勢とは対局にある、手堅いマーケティング戦略です。
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今年で発売から33年を迎えたロングセラー「ガリガリ君」。販売本数は増え続け、今年は年間5億本超えを見込んでいます。とぼけたキャラクターで、ちょっと「外した」感じがウリのガリガリ君。その人気を支えているのは、ウケ狙いの姿勢とは対局にある、手堅いマーケティング戦略です。
今年で発売から33年を迎えたロングセラー「ガリガリ君」。販売本数は増え続け、今年は年間5億本超えを見込んでいます。とぼけたキャラクターで、ちょっと「外した」感じがウリのガリガリ君。その人気を支えているのは、ウケ狙いの姿勢とは対局にある、手堅いマーケティング戦略です。
ガリガリ君をつくっている会社は「赤城乳業」です。1961年設立で、本社は埼玉県深谷市にあります。赤城といえば群馬県の山の名前ですが、なぜ埼玉の会社が? 「赤城山の裾野のように広く大衆に好まれる商品をつくろう」と名付けたそうです。
ちなみに「乳業」とありますが、牧場はありません。こちらは「当時、社名に乳業とつけるのが流行していたのと、いずれは牧場もやってみたいという希望が込められていたそうです」とのことでした。
店頭でかき氷をメーンに販売していましたが、1964年にカップ入りのかき氷「赤城しぐれ」を発売。予想を超える売れ行きで、今度は「子どもが手に持って遊びながら食べられる商品をつくろう」と棒タイプにして発売しました。これがガリガリ君の前身です。
ガリガリ君が発売されたのは1981年。子どもに人気の炭酸飲料のソーダ味、コーラ味、そしてグレープフルーツ味の3種類でスタートしました。
ネーミングは、かじった時の音に由来していて、当初「ガリガリ」という名前で出す予定でした。当時の専務が「音の響きはいいんだけど、どこか寂しい感じがする」と「君」をつけることにしたそうです。
ガリガリ君といえば、パッケージにある大きな口に、いがぐり頭のキャラクターが印象的です。もちろん、発売当初から載っています。中学3年生という設定(現在は小学校低学年)で、口元からはヨダレを垂らしています。結構怖い顔をしています。絵が上手な社員が描いたものだそうですが、現在とは雰囲気が異なります。
ガリガリ君を発売したものの、当初は思ったほど販売本数が伸びませんでした。その原因は販路にありました。当時の小売店は、お店ではなく大手メーカーがアイスを入れるショーケース(冷凍庫)を設置して販売していました。ガリガリ君は売り場を確保できなかったのです。
そこで目をつけたのがコンビニ。続々と店舗数が増え続けているのに着目し、コンビニ専門の営業チームを新設。各チェーン店ごとにオリジナル商品を販売するなどして、売り上げを伸ばしたのです。
90年には他社が商品を10円値上げしましたが、ガリガリ君は追随しませんでした。
かつて第二次オイルショックの影響で「赤城しぐれ」を値上げしたところ、大手が価格を維持したために売り上げが落ちた経験があったからです。
91年に値上げしましたが、1年間我慢したことで売り上げを維持しました。
2006年のガリガリ君発売25周年に向けて、赤城乳業はいろんな販売戦略で「種まき」をしました。当時の販売本数は1億本ほどでしたが、こうした戦略が次々に花開き、現在の5億本に迫る勢いを生んだそうです。
99年には3万人規模の消費者調査を実施し、ガリガリ君についてのイメージを調べました。その結果「歯ぐきや汗が汚い」「パッケージが恥ずかしくて買えない」といった否定的な意見が多かったそうです。そこで翌年にはキャラクターを刷新。外部からデザイナーを招いて、現在の姿になりました。
00年には初めてテレビCMを展開。ポカスカジャンが歌うおなじみの「♪ガーリガーリ君、ガーリガーリ君♪」という曲が生まれました。
スーパーでの販売も増やすべく、異なる7種類のフレーバーを虹に見立てて販売する「レインボー売場」も実施。ゲームやマンガにガリガリ君を登場させるなど、売り場の外にも展開し、文具や入浴剤、歯磨き粉といった他ジャンルとのコラボに至ります。
近年、ガリガリ君で最も話題になった商品は12年に発売された「ガリガリ君リッチ コーンポタージュ」です。あまりの人気で発売から3日で店頭から消えた伝説の味です。
実は、この商品、入社4年目の若手社員が中心になって企画したものでした。赤城乳業では、看板商品であるガリガリ君のプロジェクトメンバーに必ず若手を登用しています。
現在のプロジェクトメンバーで、開発部門から唯一参加している海野裕貴さん(25)は入社3年目。コンポタ、クレアおばさんのシチュー味の続編として発売された「ナポリタン味」の開発担当者です。詳しく話を聞きました。
コンポタ、シチューとヒットが続くなか、自分も世の中をびっくりさせる商品を生み出そうと、日々考え続けたそうです。パンケーキがはやっていると聞けば原宿で食べ歩きをするなど、常に新商品につながるアイデアを求め続けました。
「コンポタ、シチューと汁系が続いたから次はカレーでしょ、といった声が聞こえてきて、絶対違う味にしようと決意しました」と海野さん。みんなの予想通りのものをつくったら、それはガリガリ君ではない、という信念があったそうです。
ナポリタンに決めたきっかけは、テレビで見た「ナポリタンスタジアム」という、国内外の店が横浜市で味を競うイベントでした。「ナポリタンのもつ懐かしい感じが、ガリガリ君にピッタリ」と開発を始めました。
プロジェクトメンバーで試作品をつくって食べた時の大方の感想は「まずい」。味を強く出しすぎてケチャップ味のアイスになってしまったのです。当初はナポリタンをうたうなら麺は外せない、とパスタを入れてみましたが、固くなって食感を損なうことに。ピーマンも入れてみましたが、やっぱり子どもは嫌いだろうとやめました。
麺の代わりにトマトゼリーを入れて食感を再現、ピーマンそのものは入れずに風味だけ残すなど改良。社長も参加するプレゼンに臨みました。
試食した社長から一言。「この味でやりたいのか? いけると思うか?」。熱意を伝えると「じゃあ、行け」とOKが出たそうです。
いざ発売してみると、人気はコンポタ、シチューには及びませんでした。消費者からは「3部作で最もダメ」といった声も聞こえてきましたが、「味がリアルに表現されている」という評価の声もありました。
「正直、落ち込んだ面もありましたが、挑戦してよかったと思っています。次は自分が新しいレールを敷けるような商品をつくりたいです」と海野さん。
赤城乳業の開発部に配属された新人には「2週間100本ノック」という試練が課せられます。文字どおり2週間で新商品のアイデアを100本出し、そのうち1本に絞ってプレゼンするというものです。その後には「1年間1000本ノック」というさらに厳しい試練も。
海野さんはアイデアに困ったとき、新入社員の頃を思い出しながら100本ノックのノートを見返しているそうです。
「今ではできること、できないことを考えて新商品を考えてしまいがちです。学生に近い感覚でやりたいことを書いたものを見ると、結構ヒントが隠されているんですよ」
かつてガリガリ君の開発に携わり、今ではマーケティング部にいる先輩の船木恵介さん(35)はこう話します。
「細かいミスは上司がちゃんとフォローしてくれます。過去にはラーメンアイスやカレーアイス、イクラ丼アイスなど、きわどい商品も出してきたので、『ここまでやっても大丈夫』という安心感もあります。若手の熱意や柔軟な発想を生かす環境が整ってるんです」
マーケティング戦略だけでなく、商品開発にも赤城乳業の強みはありました。
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