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退会したユーザーさんからの取材リクエスト

江戸時代の相撲の巡業で、大勢の力士と付き人は、どのように大井川を渡ったの?



【お答えします】江戸時代の力士、川を渡る時に誰が担いだ?

「その昔、巨体の力士はどうやって大きな川を渡っていたの?」。取材リクエストを頂いたので、調べてみました。

曙と貴ノ花の錦絵=2014年8月7日、稲敷市立歴史民俗資料館
曙と貴ノ花の錦絵=2014年8月7日、稲敷市立歴史民俗資料館 出典: 朝日新聞

目次

取材リクエスト内容

相撲の巡業は、江戸時代にも行われていたと聞きますが、当時の大井川には、橋がありませんでした。大勢の力士と付き人は、どのように大井川を渡ったのでしょう。川越人足が担いで渡ったのでしょうか。体が重いため馬や牛で渡ったのでしょうか。フカボリをお願いします。 退会したユーザー

記者がお答えします!

相撲の巡業は江戸時代も盛んに行われていました。でも、大きな川を渡るには人足に担いでもらっていた時代。力士の巨体を誰が担いでいたのか? そんな力持ちなら自分が力士になった方がいいのでは? 東京・両国の相撲博物館に聞いてみました。

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自身がモデルになったお姫様抱っこのパネルから顔を出す遠藤=2014年4月25日
自身がモデルになったお姫様抱っこのパネルから顔を出す遠藤=2014年4月25日 出典: 朝日新聞

【質問】江戸時代、橋のない大井川をどう渡った?

相撲の巡業は、江戸時代にも行われていたと聞きますが、当時の大井川には、橋がありませんでした。大勢の力士と付き人は、どのように大井川を渡ったのでしょう。川越人足が担いで渡ったのでしょうか。体が重いため馬や牛で渡ったのでしょうか。フカボリをお願いします。


【答え】15人がかりの輿で渡ったそうです

相撲博物館によると、力士は板に棒をくっつけた輿に乗っかり、それを15人ほどの人足が担いで川を渡ったそうです。ただしこれは大関のような、上位の番付の力士の話。今で言うとビジネスクラスのようなものだったそうです。

神輿洗いの儀式に荒川の清流を歩く若者ら。力士もこんな風に担がれていた?=2012年7月20日、秩父市
神輿洗いの儀式に荒川の清流を歩く若者ら。力士もこんな風に担がれていた?=2012年7月20日、秩父市 出典: 朝日新聞

普通の力士は3人一組の騎馬戦スタイル

下の番付の力士はどうしていたのか。騎馬戦のように数人が1人の力士を担いで渡っていたようです。これはエコノミークラスといったところでしょうか。

高校生による騎馬戦の様子。エコノミークラスです=2013年10月12日
高校生による騎馬戦の様子。エコノミークラスです=2013年10月12日 出典: 朝日新聞

当時から盛んだった巡業

今も人気のエンターテインメントである地方巡業ですが、江戸時代も盛んだったようです。年4回、東京と京都・大阪で開かれる大きな場所以外は、北は東北、南は九州まで全国を回っていたそうです。当然、交通手段は徒歩でした。

小学生2人を相手におどけて見せる琴勇輝。地元のファンは笑顔を見せた=2013年10月22日、丸亀市民体育館
小学生2人を相手におどけて見せる琴勇輝。地元のファンは笑顔を見せた=2013年10月22日、丸亀市民体育館 出典: 朝日新聞

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