話題
退会したユーザーさんからの取材リクエスト
江戸時代の相撲の巡業で、大勢の力士と付き人は、どのように大井川を渡ったの?
【お答えします】江戸時代の力士、川を渡る時に誰が担いだ?
「その昔、巨体の力士はどうやって大きな川を渡っていたの?」。取材リクエストを頂いたので、調べてみました。
話題
江戸時代の相撲の巡業で、大勢の力士と付き人は、どのように大井川を渡ったの?
「その昔、巨体の力士はどうやって大きな川を渡っていたの?」。取材リクエストを頂いたので、調べてみました。
相撲の巡業は、江戸時代にも行われていたと聞きますが、当時の大井川には、橋がありませんでした。大勢の力士と付き人は、どのように大井川を渡ったのでしょう。川越人足が担いで渡ったのでしょうか。体が重いため馬や牛で渡ったのでしょうか。フカボリをお願いします。 退会したユーザー
相撲の巡業は江戸時代も盛んに行われていました。でも、大きな川を渡るには人足に担いでもらっていた時代。力士の巨体を誰が担いでいたのか? そんな力持ちなら自分が力士になった方がいいのでは? 東京・両国の相撲博物館に聞いてみました。
相撲の巡業は、江戸時代にも行われていたと聞きますが、当時の大井川には、橋がありませんでした。大勢の力士と付き人は、どのように大井川を渡ったのでしょう。川越人足が担いで渡ったのでしょうか。体が重いため馬や牛で渡ったのでしょうか。フカボリをお願いします。
相撲博物館によると、力士は板に棒をくっつけた輿に乗っかり、それを15人ほどの人足が担いで川を渡ったそうです。ただしこれは大関のような、上位の番付の力士の話。今で言うとビジネスクラスのようなものだったそうです。
下の番付の力士はどうしていたのか。騎馬戦のように数人が1人の力士を担いで渡っていたようです。これはエコノミークラスといったところでしょうか。
今も人気のエンターテインメントである地方巡業ですが、江戸時代も盛んだったようです。年4回、東京と京都・大阪で開かれる大きな場所以外は、北は東北、南は九州まで全国を回っていたそうです。当然、交通手段は徒歩でした。