日本を象徴する街、渋谷。
トレンドの発信地として、お祭り騒ぎが起こる場所として、時とともに変わり続ける場所として——渋谷を見れば日本の今が見えてきます。
一方で私たちは、渋谷のことをほとんど知らないかもしれません。トレンドの変遷、建築の歴史、メディアの発展。明治大学情報コミュニケーション学部准教授の南後由和先生がさまざまな視点から、渋谷がもっと「おもしろく」なる知識を教えてくれました。
そんな南後先生と渋谷の街を歩きながら、まっすぐな質問をしてくれたのは、YouTuberとして若者の人気を集めるゆきりぬさん。
知識が増えると、見える街の景色も変わる。南後先生やゆきりぬさんと一緒に渋谷を散歩する気持ちで、渋谷の新しい一面に出合ってみてください。(取材・文:りょかち 撮影:飯本貴子)
※新型コロナウイルス感染予防対策を実施のうえ、撮影を行いました
“渋谷=ギャルの聖地”はいつから? 若者の街から変わりつつある渋谷
南後:今日はよろしくお願いします。僕のゼミでは、どうやって都市が移り変わっていくのか、その背景や仕組みについて、メディアの変遷と関係づけながら研究しているんです。ゆきりぬさんは、渋谷によく来られますか?
ゆきりぬ:ファッションが好きなので買い物によく来ますね。コロナ前にハロウィンの様子を撮影しに来た時は、あまりの人の多さにもみくちゃにされました……! 渋谷はいつからこんなに人が集まる場所になったんですか?
南後:1970年代から、スクランブル交差点自体はあるんです。80年代後半に、109の大型ビジョンができたんですけど、今のような場所になったのは2000年代から。“映像の壁”と呼んでいるのですが、QFRONTの巨大サイネージができたり、渋谷マークシティができたり、四方八方から音と映像に囲まれるとともに、スクランブル交差点を見渡せるような形になりました。はじめて来た人は、人の多さはもちろん、音響や映像にも圧倒されて、どこかスタジアムに足を踏み入れたような気持ちになるんじゃないかなと思いますね。
世界的に有名な旅行ガイドブック『Lonely Planet』の表紙にもなったスクランブル交差点は、日本を代表する観光スポットでもある
ゆきりぬ:渋谷といえば、ギャルのイメージですよね! 私もギャルに憧れていた時代があったので、お洋服を買ったり新しい情報を手に入れたりしに来ていました。
南後:ギャルの聖地化となったのは90年代くらいからなんです。SHIBUYA109の「カリスマショップ店員」などのブームもあり、2000年代以降はアジアを中心に、海外からの観光客も増えるようになりましたね。
お天気カメラや人流観測で取り上げられがちなスクランブル交差点。それも、多様な人が大量に集まる場所であり、象徴的な造形を持つ場所だからこそ
ゆきりぬ:でも最近は、Forever21の跡地にIKEAができたり、ニトリができたり、「渋谷=ギャルの街」から少しずつ変わっていっている気がします。
南後:おっしゃるとおり。実は「渋谷=若者トレンドの発信地」という傾向は90年代後半から薄れてきているんです。その頃から、郊外にあるようなお店が渋谷にも増えるようになりました。その一方で、柏や町田などに渋谷にあるようなアパレルショップやカフェが出店し、「プチ渋谷」化するようになりました。それによって、人々はわざわざ渋谷まで行かずに、地元でまったり買い物しようとする傾向が強まったんです。
昔はゆきりぬさんのように「渋谷にしかないお店」を求めて多くの人が渋谷に来ていたのですが、今はSNSで話題になれば不便な場所でも人は足を運びますし、少しずつ渋谷の役割は変わりつつありますね。
ゆきりぬ:プチ渋谷現象って、戸越銀座や十条銀座など、日本中に“銀座”という地名がついている現象みたいですね! この“銀座”という地名は、みんなが憧れる上品な場所という意味で使われているイメージ。プチ渋谷と呼ばれる場所にも、“渋谷”をつけたらよかったのに。そうすれば、渋谷のブランド化にもつながったはずですよね。
南後:おもしろい、まさにそのとおりかもしれませんね。都市は渋谷だけを見ていても興味深いんですが、他のエリアと比べると、また違った発見があるんですよね。2010年代から始まった渋谷駅前の巨大再開発の背景には、新宿や池袋などの副都心、大手町・丸の内・有楽町など、他のエリアとの地域間競争があります。
これまでの渋谷には、広いオフィスが少ないという弱点がありました。最近の巨大再開発による超高層ビルの建設は、その弱点を補おうとする動き。渋谷は、“遊ぶ場所”というよりは“働く場所”、“若者”というよりは“大人”をターゲットとして変化しているんです。
西武・PARCO・MIYASHITA PARK。商業施設から見える渋谷の歴史
ゆきりぬ:それにしても、渋谷ってすごく道がくねくねしてますね。
南後:それは渋谷が、渋谷川や宇田川といった川によって削り取られた谷にできた場所だからなんです。宮益坂や道玄坂を下りて、その谷の底に当たる部分が、さっき歩いていたスクランブル交差点。だから、人が集まりやすい地形になっているとも考えられるんですね。
川に蓋(ふた)をして街を作った渋谷。西武渋谷店のA館とB館の間の地下には、実は宇田川が流れているという
ゆきりぬ:渋谷の街はたまたまこういう姿になったんですか? 誰かが渋谷の街を計画して作っているんですか?
南後:これは日本の都市の特徴なのですが、街の開発の多くは鉄道会社が行っているんです。最初にそのモデルを作ったのは、関西の阪急電鉄株式会社。大阪梅田と、神戸、宝塚を結ぶ路線を開通した際に、沿線上に宝塚大劇場を作ったり、大阪梅田をターミナルとして百貨店を作ったり、総合デベロッパーとして活躍したんです。その方法が東京で主流になるきっかけを作ったのが、東急なんですね。
ゆきりぬ:たしかに渋谷って東急のイメージ! あれ、でも渋谷に西武の百貨店はあるけど、渋谷って西武鉄道は通ってなくないですか?
南後:気になりますよね。西武って池袋とか埼玉を中心とした路線なのに、いわば東急の陣地である渋谷に殴り込みをかけてきたわけです。
ゆきりぬ:『信長の野望』みたい!
LOFTやクラブクアトロなど、かつては西武(PARCOを含むセゾングループ)を中心に、渋谷という街がつくられていた
南後:百貨店やPARCOによって、70年代に「渋谷=若者」のイメージの土台を作ったのは実は西武なんですよ。
ゆきりぬ:へえ! 知らなかった……!
南後:西武は挑戦的なことをたくさん手掛けていて、女性の社会進出という社会背景のもと、自立した女性をテーマにしたポスターを一流クリエイターと共に作ったり、PARCO劇場で前衛的な公演をしたり。
ゆきりぬさんの「渋谷は街中に大音量で音楽がたくさん流れているのはどうして?」という質問に「その視点はなかった!」と南後先生。渋谷と音楽の関係、今後の研究で明らかにされるかも……?
南後:西武が画期的だったのは、建物をつくるだけじゃなくて、道に西洋風の電話ボックスを置いたり、道に名前をつけたりしたんです。公園通りとか、スペイン坂とか、オルガン坂とか。建物だけでなく周辺も整備することで、“点”としてのスポットだけでなく、“線”としての道、それらをつなげた“面”を開発して、“歩いて楽しい渋谷”にしていったところがすごいですよね。
PARCOはイタリア語で“公園”という意味。「区役所通り」だった通りの名称もPARCOの開店に伴い、「公園通り」に変更された
ゆきりぬ:最近、PARCOはリニューアルしましたよね。最先端のブランドが入っていると思ったら、地下のフードエリアは昭和レトロな雰囲気でびっくりしました。
南後:国内だけじゃなくて、海外からの観光客に日本を発信する作りにもなっているんです。1階と2階に並んでいるお店はYOHJI YAMAMOTOやCOMME des GARÇONS、UNDERCOVERといったジャパンブランドです。
海外で人気のあるゲームや漫画のフロアを6階にしているのも、よくできています。商業施設は、人を下から上に流す「噴水効果」、その逆で上から下に流す「シャワー効果」を使って、人々がいろんなお店を見て回れるようにしているのですが、まさにPARCOも上階に集客力のあるコンテンツを持ってきているんですね。ただし、渋谷駅前の巨大再開発と同じで、PARCOが入っている建物も上半分はオフィスなんです。
ゆきりぬ:そういえば、MIYASHITA PARKはどこの会社が計画した施設なんですか?
MIYASHITA PARKの飲食街「渋谷横丁」は、若者で大賑わい。実はその隣には、古くから常連客に愛される、ディープな雰囲気の飲み屋街「のんべい横丁」もある
南後:MIYASHITA PARKは渋谷区が三井不動産を事業者に指定してリニューアルしました。三井不動産は、ららぽーとなどのショッピングモール事業でも知られている会社です。MIYASHITA PARKは、3階までは商業施設で、最上部の4階に公園がある造り。この公園は、深夜から早朝は閉まるなど普通の公園とはなにかと違うんですが、手入れの行き届いた芝生やベンチなどもあって、多くの人がくつろいでいます。TikTokの撮影をしている若者も多いですよね。
ゆきりぬ:たしかに動画映えしそうな雰囲気です。
南後:渋谷の駅近に、これだけ広くて、お金を使わずにゆっくりできる場所をつくることもそうですが、きちんと管理して運営するのも行政だけでは難しい。それができているのは、下に商業施設が入っていて、民間企業が事業者だからなんです。
南後先生は壁のグラフィティに関するリサーチも実施。90年代のネット黎明期に“匿名文化”が盛り上がるとともに、アーティスト名を記すグラフィティが出てきたというお話に、「(壁の使われ方が)ネットの掲示板みたい!」とゆきりぬさん
街を読み解く多角的な視点が、世の中を楽しく生きる糧になる
多様な表情をもつ街の隣には高級住宅街・松濤がある。近接する土地に異なるカルチャーを持つエリアがあるのも、日本の都市の特徴だそう
ゆきりぬ:時代によって、渋谷の街が新しくなっていくのがよくわかりました。ギャルの時代を経て、渋谷にまた新しい時代が来ようとしているんですね。
南後:若者のあり方とともに、渋谷の街も変わってきています。今はInstagramのハッシュタグなどを起点に、興味を持っている人を集めやすくなったので、渋谷の街全体というよりは、お店ごとに似たような人が集まりやすい動きができていますよね。
ゆきりぬ:SNSが登場したことで、また街のあり方が変わってきたんですね。
南後:スマホが出てきたことで、人々の歩き方も変わりました。先ほどお話したように、一度はPARCOを中心に“歩いて楽しい渋谷”を作ったのですが、スマホを持って歩くのが一般化したことでGoogleマップなどで場所を調べて、点から点に移動するように歩く人が増えましたよね。だけど、最近は動画系のソーシャルメディアが流行して、再び点と点のあいだの道や移動自体を楽しむ文化が現れてきたのではないかなと思います。
ゆきりぬ:たしかに最近は私のようなYouTuberだけじゃなくて、一般の人も動画で思い出を残しますもんね。
都会に潜むひとり空間も研究している南後先生。カプセルホテルなど極端に狭い空間を楽しめるのは、日本人特有の価値観だという
南後:実は、ゆきりぬさんのように映像で街の姿を記録してくださるのは、研究資料としても貴重なことなんです。あいみょんさんが『さよならの今日に』という曲のMVを桜丘の再開発地区で撮影したんですが、「この場所は日々変化していく場所で、もう一度この景色で撮りたい!だなんて我儘(わがまま)言っても、もう撮れないです」とコメントされていて。
ゆきりぬ:素敵。
南後:物理的に消えてしまった街の歴史は、その後、映像などのメディアから知るしかないんですよね。だから、ゆきりぬさんのYouTubeの「ひとりでどっか行く」シリーズもいつか資料として研究の対象になるかもしれませんよ。
ゆきりぬ:えー! 歴史博物館とかで流されちゃったらどうしよう(笑)。
ゆきりぬ:これまで、街のことをこんなに考えながら渋谷を歩いたことはなかったです。だけど、南後先生と一緒に歩いてみて、いろんな視点で街を見ることができるんだなということを感じました。ファッションやSNS、建物など、自分が好きなモノの知識が都市の見方につながっていて、すごくおもしろかったです。
南後:モノの見方を学んで知識をつなぎ合わせることで、普段何気なく訪れていた渋谷が、これまでと違った姿として見えてくる感覚を味わってもらえたのならうれしいです。都市って当たり前の風景とされがちですけど、さまざまな意図や欲望が反映されていて、それぞれになんらかの理由があるんですよね。なので、当たり前の風景も「どうしてこうなっているんだろう」とツッコミを入れる癖をつけると、見え方が変わってきます。
物事に対して多角的な視点から観察する姿勢を身につけることで、世の中で起こる正解のないことにも、一つの角度だけじゃなくて、いろんな角度から考えられる想像力を養えます。このことは、学生のあいだはもちろん、その後の人生においても続けてほしいんですよね。だから大学では、卒業後も学びつづけるための学びをぜひしてほしいと思って、学生たちと接しています。
数え切れないほど訪れたことがある街も、新しい知識とともに多角的な視点で見つめることで、何度も出合い直せるのかもしれません。行き慣れた街にもきっと、まだまだ知らない一面があるはず。
南後先生が歩きながら、「大学は4年間だけど、手に入れた知識や多角的な視点でものを見る好奇心は一生モノ」とお話されていたのが印象的でした。皆さんもぜひ、一生モノの知識と好奇心を持って、渋谷も、渋谷以外の街も、たくさん歩いてみてください。