話題
斎藤元彦知事の〝素顔〟とは 告発文書で揺れた兵庫県、取材した記者
話題
兵庫県の斎藤元彦知事のパワハラ疑惑などを指摘した告発文書をめぐって、県政は1年半以上にわたって混沌としています。斎藤氏は県議会から不信任決議を受けて失職した後に再選した経緯などから、県庁内外では「鋼のメンタル」とも言われます。実際の「素顔」はどうなのでしょうか。記者としての実体験や関係者の証言をもとに考えました。(朝日新聞神戸総局・島脇健史)
私が斎藤氏に初めて会ったのは5年ほど前。当時は神戸総局の県政担当記者などを経て、大阪本社で勤務していました。
ある日、旧知の取材先から夜の会食に誘われました。「おもろい男がいるんです。一度会ってみませんか」
そこで「将来の兵庫県知事候補」として紹介されたのが、斎藤氏でした。当時、総務省からの出向で大阪府の財政課長を務めていました。
私の斎藤氏に対する第一印象は「無邪気で、素直な人」でした。
斎藤氏はこの席で、「元彦」の名は1962~70年に兵庫県知事を務めた故・金井元彦氏にあやかってつけられたこと、祖父は神戸市でケミカルシューズ工場を営んでいて阪神・淡路大震災で被災したこと、「いつかは兵庫県のために働きたい」と総務官僚を目指したこと、などをよどみなく語りました。
私の父は斎藤氏と同じ神戸市須磨区出身で、「同郷やん。実家は須磨のどこ?」などと聞かれ、和やかな会食でした。
後に知り合った斎藤氏の中学・高校時代の同級生は「斎藤は高校の体育祭で髪の毛をモヒカン刈りにしてふんどし踊りをするとか、当時からムードメーカーだった」と教えてくれました。
斎藤氏は2021年夏の知事選で初当選し、夢をかなえて知事になりました。県幹部の一人は「斎藤さんのまっすぐな性格なら、旧態依然の今の県政を変えられるかもしれない」と話していました。
2024年4月1日、私は人事異動で7年ぶりに神戸総局に赴任しました。
旧知の県幹部や県職員らを訪ねて回ると、その年の3月に県幹部の西播磨県民局長(当時)が作成・配布したという告発文書のことが話題に上がりました。
文書には、斎藤氏のパワハラや贈答品の受け取りなど七つの疑惑が記されていました。
斎藤氏は3月27日の会見で、この文書を「うそ八百」、県民局長を「公務員失格」と猛烈に批判しました。
私は、斎藤氏の第一印象との違いに、とても驚きました。
県幹部は当時、「知事は普段は柔和なしゃべりなのに、職員相手や会見では鎧を着たように厳しい態度を取る。どうも『なめられたらあかん』と思っているみたいだ」と話しました。
県の第三者調査委員会は後に、斎藤氏のパワハラについて、出張先の施設のエントランスが自動車進入禁止のため、20メートルほど手前で公用車を降りて歩いたことに、出迎えた職員を激しく叱責した▽机をたたいて職員に怒った▽幹部職員に対して夜間や休日、時間にかかわりなくチャットで叱責や業務指示を繰り返した――など、10件を認定しました。
斎藤氏は私に対しても、柔和な態度と、厳しい態度が行ったり来たりしました。
2024年7月、知事応接室で私が名刺を差し出すと、「あの時(会食で)会ったよね。改めてよろしく」と笑顔をみせていました。
私は、知事就任前に「斎藤さん」と呼んでいたことと、できるだけ斎藤氏に本音で語ってほしいという思いから、後に、記者会見で「斎藤さん」と呼びかけるようになります。
告発者が亡くなり、副知事が辞職するなど県政の混乱が続いていたことから、私は同年8月の記者会見で斎藤氏に「道義的責任はあると思いますか」などと質問しました。
会見後に斎藤氏に近寄ると、「個別取材は受けないから」と斎藤氏の表情はとても厳しいものに変わりました。
県関係者からは「斎藤知事は『辞職を求められた』と受け取ったのだろう」と伝えられました。
3度目に斎藤氏の柔和な表情を見たのは、失職後の2024年10月。私が街頭演説の予定を尋ねると、「どうやったかなあ。前の知事選と同じ場所でやろうと思ってるけど」と話すなど、優しい口調でした。
ところが、斎藤氏は知事選の序盤から「メディアの報道、政局にかたよった政治で、みなさんは判断するのか」などと既存メディア批判を始めます。
再選が決まった直後のインタビューで私が声をかけると、斎藤氏は「ああ」と言ったまま、無表情で宙を見つめていて、目が合いませんでした。
その後の記者会見でも1カ月ほど、斎藤氏と目が合うことはほとんどありませんでした。
斎藤氏は最近の記者会見で文書問題への対応を問われると、「適正、適法、適切」などと繰り返し、記者の質問に真っ正面から答えない姿勢が続いています。
県幹部の一人は「無表情で淡々と『適切』と繰り返す姿勢が、斎藤知事の支持者には『メディアに屈せず、頑張っている誠実な人』と映っているようだ」とみています。
斎藤氏は告発文書の作成者を元西播磨県民局長だと特定して、停職3カ月の懲戒処分としました。
県の第三者委は今年3月にこの告発者捜しを「違法」と認定しましたが、斎藤氏は第三者委のこの結論をいまも受け入れず、懲戒処分は撤回していません。
職員に対するパワハラは「認めていきたい」としましたが、自らの処分には触れていません。
パワハラを受けたと認定された複数の県幹部らは「知事から謝罪は受けていない」と取材に話しています。
一方、「斎藤知事は気さくな人。本当は話すとおもしろい人なんだけど」と語る県議もいます。実際、斎藤氏は出張先や県庁周辺で支持者らに接するとき、度々笑顔をみせています。
斎藤氏は、2024年秋の知事選の街頭演説で「耳の痛いことも聞く」と話していました。
でも現状では、自分を支持する人と支持しない人で自らの「顔」を使い分けているように見えます。そうだとしたら、県民の分断につながりかねません。
斎藤氏が、自身を批判する人たちを含め、すべての県民に広く心を開いて向き合うことが、文書問題の解決につながる一つの糸口になるのではないか――。私はそう感じています。