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「ボールだま、振っちょ!」意味は? 山梨の方言、県外出身者の誤解

道路の電光掲示板に表示される「あおっちょし!」。「ちょし」の意味、山梨県外出身者は知っていますか?=甲府市の国道20号
道路の電光掲示板に表示される「あおっちょし!」。「ちょし」の意味、山梨県外出身者は知っていますか?=甲府市の国道20号

「いっちょし」「にちょし」「みちょし」。山梨の郷土料理店で甲州方言を目にしました。方言の下には「行かないで」「煮ないで」「見ないで」と意味が添えられています。「ちょし」が「しないで」の意味で使われているのです。禁止表現とは思いもしませんでした。地元では「するな」という意味で「ちょ」と言うことが多いそうです。「しよう」「しなさい」と意味を取り違えれば、会話の内容と場面次第では一大事になりかねません。山梨に住む県外出身者が「ちょ」を含む表現を初めて聞いたとき、誤解はなかったのでしょうか。(朝日新聞校閲センター・佐藤司)

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「切っちょ」は「切れ」「切るな」どっち?

まずは県外出身で、山梨の役所や学校で働く3人の体験談から紹介します。

【体験談1】京都出身の50代男性職員の話

学生時代に山梨の当時強豪大だったソフトボール部に所属していました。

1年生で他大学との練習試合に臨み、バッターボックスに立ったとき、ベンチから先輩の声が飛んできました。

「ボールだま、振っちょ!」

「ちょ」は、なんやろか。たぶん「してちょうだい」の略語かも。もしそうなら「ボールだま、振ってほしい」になります。

おかしいなとは思いながらも「ストライクゾーンを広げていけ」という意味だと理解し、すべてのボールを打ちにいきました。結果は三振。

ベンチに戻ったら、先輩から怒られました。「だからボールだま、振っちょ!!」。

試合後にようやく意味が分かりました。「ボールだま、振るな」と言っていたのです。

【体験談2】広島出身の30代男性職員の話

山梨のスーパーでアルバイトをしていたときスーパーの責任者から言われました。

「値引きシール貼っちょな」

広島のことばに「ちょ」に似た「ちょる」があり、「貼っちょる(貼っている)」と使います。

そのため、「値引きシール貼っていてね」だと思って貼ったら、怒られました。「貼らないでな」という意味には捉えませんでした。

【体験談3】千葉出身の50代男性教員の話

運転免許を取るため、山梨の自動車教習所内のコースを走っていたときのことです。

教官に「急にハンドルを切っちょ」と言われたので、「はい」と勢いよくハンドルを回しました。

その直後、急ブレーキをかけられ「急に切っちょって言ったろうが」と怒られました。

「ちょ」の響きが「ちゃえ」のように聞こえたので「急にハンドルを切っちゃえ」と捉えました。「急にハンドルを切るな」という意味だったとは……。
甲州方言の「ちょし」が一から十まで調子よく並んでいます。まるで数え歌のようです=甲府市の郷土料理店
甲州方言の「ちょし」が一から十まで調子よく並んでいます。まるで数え歌のようです=甲府市の郷土料理店

ほかにも「行っちょ」の小さな「ょ」を大きな「よ」に置き換えて、「行ってよ」「行こうよ」と捉えた人、「行っちょし」の「ょ」と「し」から京ことばの「行きよし」を連想して「行きなさい」と捉えた人もいました。

話す人がその場面で望まない動作をしないように求めているのに、県外出身者はその人なりの解釈で動作をしてしまったようです。

古語の禁止表現「な…そ」に由来

文法的な表現について各地の方言が記された「方言文法全国地図」を開いてみました。その中に禁止表現の「行くなよ」を「やさしく」言う場合の分布図があります。

「ちょ」を含む表現を見てみました。すると「いっちょ」「いっちょー」が山梨だけにあります。「ちょ」は山梨独特の禁止表現のようです。

「地方別方言語源辞典」には、「ちょ」は古語の禁止表現「な…そ」の流れを引くとあります。

「な…そ」は奈良時代に編集された万葉集にもある表現です。

平安後期から「な…そ」の「な」を伴わない「そ」だけで禁止を表すパターンも登場。この系統の禁止表現が山梨で「ちょ」になり、今でもよく使われていると説明します。

「とばしちょし」は「スピードを上げて飛ばせ」ではなく「飛ばさないで」という注意喚起です=山梨県身延町の県道
「とばしちょし」は「スピードを上げて飛ばせ」ではなく「飛ばさないで」という注意喚起です=山梨県身延町の県道

山梨県立大名誉教授の秋山洋一さん(日本語学)によると、長野で「ちょ」と同じ系統とされる禁止表現「なな…と」が使われていたと言います。

「なな…と」に「よ」を添えた「なな…とよ」と、類似の「なな…ちょ」の表現もあったそうです。

方言研究者の間では、最後の2文字の「とよ」が「ちょ」に変化したとする説が有力視され、山梨との関係についても注目していると話します。

ところで「な…そ」と聞いて、平安前期の菅原道真の和歌を思い浮かべる人はいませんか。

「東風(こち)吹かば」の最後の句「春な忘れそ」(宝物集など)です。実は、もう一つ「春を忘るな」(拾遺和歌集など)もあります。和歌研究者の間では、文献によって最後の句の表現が二つに分かれた理由は分からないそうです。

菅原道真が詠んだ和歌でよく知られているのが「東風吹かば」です。最後の句が「春な忘れそ」と「春を忘るな」の二つ伝えられています=東京都
菅原道真が詠んだ和歌でよく知られているのが「東風吹かば」です。最後の句が「春な忘れそ」と「春を忘るな」の二つ伝えられています=東京都

最後の句を古語辞典は、こう現代語訳しています。「春な忘れそ」は「春を忘れてくれるなよ」、「春を忘るな」は「春を忘れるな」。

「な…そ」は柔らかく穏やかな禁止で、文末につく「な」は強い禁止を表すと説明します。

「ちょ」は「やさしく」言う場合の分布図にあり、「な…そ」の柔らかな語感と一致。ただ、「きびしく」言う場合にも数は減りますが分布図にあります。どちらにも響く禁止表現なのかもしれません。

語尾に「し」がつくと優しい響き

山梨出身者は「ちょ」を含む表現に、どのような印象をもっているのでしょうか。こちらも役所の職員や学校の教員に尋ねてみました。

40代男性教員は「『行くな』はきつい感じ。同じ意味の『行っちょ』は少し柔らかめの印象」と言います。

50代女性職員は「『ちょ』は身内や親しい間柄で使います」とのこと。50代男性職員は「厳しくも優しくも伝えられる万能な表現が『ちょ』です」と話します。

語尾に「し」がついた「ちょし」は響きがより優しい印象になると言います。

50代女性教員は児童にやんわり注意するときに「もう、やっちょし(もう、やってはいけないよ)」と諭すそうです。

啓発や注意喚起を促す表現にも使われています。

禁煙週間のポスターに「もう吸っちょし(もう吸っちゃだめだよ)」、道路の電光掲示板に「あおっちょし(あおらないで〈ください〉)」。

「ちょし」の表現を目にすると、知人からお願いされている感じになるそうです。

禁煙週間のポスターにある「もう吸っちょし」の表現。山梨の高校教員(50代)は「病気になったら困るだろう。家族が悲しむぞ」という心情まで伝わってくるそうです=山梨県健康増進課提供
禁煙週間のポスターにある「もう吸っちょし」の表現。山梨の高校教員(50代)は「病気になったら困るだろう。家族が悲しむぞ」という心情まで伝わってくるそうです=山梨県健康増進課提供

山梨ことばの会顧問の小林是綱さんは、「ちょ」は男女ともに使うのに対し「ちょし」は女性がかつて好んで使っていたと考えています。

江戸時代、幕府直轄の天領だった甲斐(現在の山梨)の中心部には遊郭が多くあったそうです。

そこの遊女が使った「いっちょんせ」「みちょんせ」のことばが一般の女性に広まり、「いっちょし」「みちょし」に変化したのではないかと推測しています。

最後に紹介するのは、教員の一人から聞いた話。「ちょ」には言い伝えがあると言います。幼い頃に聞いたという「信玄公の逆さことば」です。

戦国武将・武田信玄が敵を欺くために意味を反対に言うことばを作り出したのだとか。逆さことばの一つとして方言に残っているというのです。

小林さんに尋ねると、こう答えました。「信玄公をあがめる甲州人が作り上げた都市伝説です」。江戸後期から語り継がれてきたのではとみています。

山梨のサッカーのチーム名「ヴァンフォーレ甲府」にはフランス語で「風」と「林」が入っています。今でも武田信玄を愛する風土があるようです。

では「ちょ」や「ちょし」が今でも山梨県民に親しまれているのは、なぜでしょう。それは、人の思いと優しさが込められた禁止表現だからではないでしょうか。

Typoless

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