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耳が聞こえない議員の10年 「当事者だからこそ気付けることある」

兵庫県明石市議・家根谷敦子さんのインタビューです

当選を決めて花束を受け取る家根谷敦子さん=2015年4月26日
当選を決めて花束を受け取る家根谷敦子さん=2015年4月26日 出典: 朝日新聞

目次

11月15日に東京2025デフリンピックが開幕します。聴覚障害のある選手たちの活躍に注目が集まりますが、兵庫県には10年にわたり活躍している耳が聞こえない議員がいます。明石市議の家根谷(やねたに)敦子さん(65)に議員になった経緯ややりがいを手話通訳者を通して取材しました。(朝日新聞withnews編集部・川村さくら)

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工場で10年勤務

家根谷さんは2015年の市議選で初当選。現在3期目で、議員歴は10年を超えました。

明石市の漁師町出身で、生まれたときから耳は聞こえませんでした。

幼稚部から高等部まで神戸市のろう学校で過ごし、卒業後はメーカーの工場で部品を組み立てる仕事をしていました。

結婚や出産をはさみながら10年働いたころ、2歳になった長女から「仕事をやめて」と手話でせがまれました。

「当時は育休の制度もなく、毎朝6時半に娘を連れて家を出て、職場の近くの保育所に預ける生活をしていました。それが娘にはしんどかったのだと思います」

本当は定年まで働き続けたいと思っていましたが、娘の気持ちを優先しようと退職しました。

阪神・淡路大震災

それからは3人の娘の子育てのかたわら、手話の講師や地元のろうあ協会の会員としての活動を始めました。

その間に起きたのが1995年の阪神・淡路大震災でした。

家根谷さんが住んでいたアパートも半壊して住めなくなりましたが、近隣に親戚が多かったことで情報のなさに困ることはありませんでした。

配給には被災者たちが長い列を作った=1995年1月18日
配給には被災者たちが長い列を作った=1995年1月18日 出典: 朝日新聞

一方で周囲から聞かれたのは、避難所などでのろう者への情報保障の不足でした。

停電でテレビは消え、目から入る情報は遮断されました。残る情報源としてのラジオは、ろう者には聞こえません。

どこで何が起きていて、どこへ避難すればいいのかも分からない。避難所へ行ってもアナウンスが聞こえず、物資をもらいそびれる。

そんなことが起きていたことを知り、行政がろう者に無関心であることに問題意識を持つようになりました。

行政との「壁」

その後、明石ろうあ協会の役員として、協会の事務所設立や手話通訳者養成の方法などについて市へ要望を出しましたが、当時は聞き入れてもらえませんでした。

壁は分厚い――。そう感じていた家根谷さんにとって転機となるのが「手話言語条例」についての検討会でした。

2013年、手話を福祉ではなくひとつの言語として認め、尊重する条例が全国で初めて鳥取県で制定されました。

明石市でも制定してほしいと要望したところ、市の検討会が開かれることになり、家根谷さんは委員として出席しました。

「やってみたら?」

市議選を数カ月後に控えたタイミングでもあり、家根谷さんの活動を見ていた周囲から「障害のある議員は明石市にいない。あなたがやってみたら?」と声をかけられました。

議員ってどんな仕事なの?どうやって立候補するの?

不安が大きかったといいますが、家族からも「やったほうがいいよ!」と背中を押され、立候補を決めました。

演説するときには、耳が聞こえる娘たちや手話サークルのボランティアが通訳を担い、当選することができました。

当選証書を手にした家根谷敦子さん(中央)と次女の智美さん(左)、三女の明美さん=2015年4月27日
当選証書を手にした家根谷敦子さん(中央)と次女の智美さん(左)、三女の明美さん=2015年4月27日 出典: 朝日新聞

10年での変化は

手話通訳を置いて市職員からの説明を受けられるのは月に2回だけで、他の議員より情報を得るのが遅くなってしまう。

運動会など地元のイベントに参加するときの、手話通訳者の派遣費用が議員活動費として認められない――。

最初のころは様々な場面で困難がありました。

しかし、家根谷さんの活動が実を結び、やがて手話通訳者の費用も議員活動費として認められるようになりました。

さらには手話通訳の資格を持つ専門職員が市に雇用されるなど、徐々に環境は変わっていきました。

「初めは私にどう対応すればいいか分からずおどおどしていた職員さんも、10年経った今では自然に手話であいさつしてくれるようになりました」

市が開く手話入門講座には定員を大幅に超える応募があったそうで、「自分の存在が聴覚障害に興味を持つきっかけになっていたらうれしい」と話します。

障害ある議員は全国に46人

家根谷さんは障害のある議員たちの全国組織「障害者の自立と政治参加を進めるネットワーク」などに参加して、障害のある議員たちと情報交換をしながら政策を練っています。

同団体によると、障害のある議員は全国に46人。そのうち聴覚障害のある議員は家根谷さんを含めて5人います。

障害者の自立と政治参加を進めるネットワークの大会で話を聞く議員たち。手前の家根谷さんのほか、その奥の愛知県豊田市議の中島竜二さん、埼玉県戸田市議の佐藤太信さんは発表者の隣の手話通訳者を見ている=2024年1月15日、群馬県伊勢崎市、川村さくら撮影
障害者の自立と政治参加を進めるネットワークの大会で話を聞く議員たち。手前の家根谷さんのほか、その奥の愛知県豊田市議の中島竜二さん、埼玉県戸田市議の佐藤太信さんは発表者の隣の手話通訳者を見ている=2024年1月15日、群馬県伊勢崎市、川村さくら撮影 出典: 朝日新聞

「障害当事者だからこそ気づけることがある」という家根谷さん。1人の市民として行政に掛け合っていたころに比べて、市議になってからは行政の対応が「びっくりするほど変わった」そうです。

行政と対等に向き合える立場にいるからこそ、実現できたことが多くあります。

やること、まだたくさん

手話や聴覚障害の認知向上や制度の充実に取り組んできただけではありません。

聴力が低下した高齢者も補助できるように補聴器の購入費用の助成や、災害時に障害のある人を支えるサポーター役の研修を実現するなどしてきました。

地元の港町を子どもたちが訪れるイベントを発案して、豊かな海づくりへの取り組みも進めているといいます。

「まさか(議員を)10年もやるとは思っていなかったですが、まだやらなければいけないことがたくさんあるんです」。家根谷さんは手話でそう語りました。

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