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水没して手放した亡き息子の「Z」 6年後、よみがえって両親の元へ

1台のフェアレディZにまつわる物語です

ガレージに戻ってきたフェアレディZを見つめる山本富美枝さん(右)と、夫の晃さん
ガレージに戻ってきたフェアレディZを見つめる山本富美枝さん(右)と、夫の晃さん 出典: 日産京都自動車大学校提供

目次

 23歳の若さで亡くなった男性が大切にしていた愛車「フェアレディZ」。両親が20年にわたって保管してきたが、豪雨被害で水没してしまう。「整備士さんたちの教材になれば」と手放してから約6年が経った今月1日、まさかの再会が待っていた。

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教員の井上恵太さん(左)からZの説明を受ける山本晃さん(右)と、妻の富美枝さん
教員の井上恵太さん(左)からZの説明を受ける山本晃さん(右)と、妻の富美枝さん 出典: 日産京都自動車大学校提供

真っ赤なフェアレディZ


 「エンジンの調子が悪いから、しばらくガレージに置いといて」

 今から30年ほど前、岡山県倉敷市の実家に帰省していた山本晃司さんは、そう言って赤い車を置いていった。

 中古で購入したという、真っ赤なフェアレディZ(S130型)。

 バイト代をためて買ったもので、これから友人たちと手を入れていくそうだ。

 当時、四国で大学生活を送っていたが、駐車場代がもったいないので実家に置きたい、とのことだった。

 それからしばらく経った1997年11月、高松市にある病院から電話がかかってきた。

 「息子さんが事故で運ばれてきたのですが、亡くなられました」

 青信号で交差点を直進していたら、右折してきた対向車にはねられて、全身を強く打ったのだという。

 父・晃さん(82)と母・富美枝さん(81)は、急いで病院に駆けつけた。

 体は包帯でぐるぐる巻きにされていたが、顔はきれいで、まるで眠っているようだった。

23歳で亡くなった山本晃司さんと愛車「Z」
23歳で亡くなった山本晃司さんと愛車「Z」 出典: 家族提供

西日本豪雨で家も車も被害


 晃さんと富美枝さんは、ガレージに置かれたままのZを手入れし続けた。

 定期的に洗車してワックスをかけ、はずれかかった部品を接着剤やビスで固定。

 車内には、晃司さんの写真や愛用していたブーツやリュックなどを並べていた。

 ところが、亡くなって20年ほど経った2018年7月、自宅が水害に見舞われる。

 河川の氾濫や土砂災害などが発生し、230人以上の死者がでた「西日本豪雨」だ。

 山本さん宅も1階の天井近くまで浸水し、Zは水没してしまった。

 自宅の復旧作業を手伝ってくれたボランティアの中に、トヨタ系の自動車整備専門学校の学生がいた。

 「いつか、こんなカッコイイ車をいじってみたいな」

 Zを見てそう話すのを聞き、晃さんと富美枝さんは決断した。

 「この車は、自動車整備を学ぶ学生さんたちに教材として使ってもらおう」と。

 学校に申し入れたところ、「そういう事情であればぜひ日産の学校へ」ということに。

 紹介されたのが、京都府久御山町にある「日産京都自動車大学校」だった。

西日本豪雨で水没した、山本晃司さんの愛車「Z」
西日本豪雨で水没した、山本晃司さんの愛車「Z」 出典: 家族提供

2年後に届いた手紙


 それから約2年後、日産京都自動車大学校の指導教員・井上恵太さん(58)から手紙が届いた。

 書かれていたのが「Z復活プロジェクト」について。

 コロナ禍で窮屈な思いをしている学生たちに呼びかけて、有志による課外活動としてZを復活させるという。

 手紙を受け取ってから3年半ほど経った今年1月、教員から富美枝さんのスマホに電話がかかってきた。

 「復活のめどが立ちましたので、Zをお返しします」

 えっ、だってあの車は差し上げたものですよ?

 そう伝えると、教員は言った。

 「我々は走れるようにするという目標を達成できました。このZはご両親のもとにあるのが一番幸せです。だからお返ししたいんです」

3月に開かれた「Z復活プロジェクト完成車両報告会」の様子
3月に開かれた「Z復活プロジェクト完成車両報告会」の様子 出典: 日産京都自動車大学校提供

戻ってきたZ


 今月1日、倉敷の山本さん宅に、新品同様に生まれ変わったZが戻ってきた。

 井上さんや学生たちが、京都からキャリアカーの荷台に載せて運んできてくれたのだ。

 晃さんがエンジンをかけると、ガレージに「ブロロロー」と音が響く。

 それを聞いた富美枝さんは、涙をこらえきれなくなった。

 「こみあげてくるものがあって……。お恥ずかしいところを見せてしまい、すいません」

 その様子を見ていた井上さんは「やっぱり、この車はここにあるのが一番だ」と思った。

 Zとの別れを惜しむ声も聞こえてくるが、井上さんはそうは思わない。

 「このZはちゃんとゴールにたどり着いたんです。いろんな人の思いが詰まったこの車の記録に、自分たちもページを記すことができただけで十分です」

復元されて岡山県倉敷市に戻ってきたフェアレディZ
復元されて岡山県倉敷市に戻ってきたフェアレディZ 出典: 日産京都自動車大学校提供

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