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なぜ「渋沢栄一」の名が大正区に?〝沖縄ルーツ〟との意外なつながり

沖縄料理店や商店が並ぶ、大阪市大正区

大阪市大正区の「平尾本通商店街」にはシーサーがデザインされた旗が並びます
大阪市大正区の「平尾本通商店街」にはシーサーがデザインされた旗が並びます

目次

新1万円札の肖像画となった実業家・渋沢栄一の名前が、大阪市大正区のある公園に刻まれています。150年近く前、渋沢がここで紡績会社を設立したことが、この地域に沖縄出身者が集まるきっかけの一つになったと言われます。今も沖縄料理店や商店が並ぶ大正区。沖縄と日本の間で、アイデンティティーを考える人たちの姿がありました。

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「大阪紡績」で発展した大阪・大正区

「近代紡績工業発祥の地」

大阪市大正区の三軒家公園にある記念碑の説明には、こう記されています。

「明治16年7月に、東京・大阪の実業財界人渋沢栄一らが出資した大阪紡績会社が、当地『三軒家村』で操業を始めました」

「近代紡績工業発祥の地」と書かれた記念碑
「近代紡績工業発祥の地」と書かれた記念碑

大正区史には、渋沢が創設した大阪紡績は「大阪の紡績業を日本一にのしあげる原動力になった」と書かれています。

それから工業が発展し、工業地帯として造船業や製材業などの工場も集まりました。沖縄との間には定期航路もあり、働き口を求めて沖縄から移った人たちがいました。

いま大正区を歩くと、シーサーが置かれた家が立ち並び、商店街には「沖縄」と書かれたフラッグが掲げられています。コンビニにも沖縄食材が売られるコーナーが設けられていました。

デイリーヤマザキ大正店に並ぶ沖縄商品=2022年
デイリーヤマザキ大正店に並ぶ沖縄商品=2022年 出典: 朝日新聞

ただ、こうした街の姿の背景には、苦しい生活を強いられたひとたちの存在がありました。

「出身は沖縄」 静まるクラス

「職工募集 ただし朝鮮人、琉球人おことわり」

大正区で40年近く沖縄関連の資料や本を集めている私設図書館「関西沖縄文庫」の金城馨さん(71)は、そんな貼り紙があったことを親世代の大人たちから聞いたと言います。

金城馨さん
金城馨さん

沖縄から大阪へ。出稼ぎを目的に移り始めた戦前からそうした貼り紙はあり、就職のほかアパートに住むときも同様で、戦後しばらく続いたとされます。

金城さん自身は1953年に沖縄本島中部の沖縄市で生まれ、1歳の頃、兵庫県尼崎市に引っ越しました。

小学5年生のときにクラス替えがあり、自己紹介をしたときのことです。

「出身は沖縄です」

そう言うと、クラスは静まり、少しして、ざわめきが起きたといいます。仲間に入れないという不安が、金城さんを覆いました。

「沖縄とは言わず、だまっていたほうがいい」と思ったといいます。友人との会話で沖縄の話になりそうになると、自ら話題を変えたそうです。

そうしているうちに沖縄の食や文化、生活スタイルを続ける沖縄出身の大人たちに嫌悪感を抱くようになりました。

そこで自分自身が、クラスで自己紹介をしたときのクラスメートと同じ立場になっていることに気がついたといいます。

「恥さらし」の意味を考えた

高校卒業後、しばらくして大正区に住み始めました。

自身の揺れるアイデンティティーを考える中、大阪市で同年代の沖縄出身者と出会い、関西沖縄青少年の集い「がじゅまるの会」に参加します。

沖縄出身の人たちが癒やされる空間が大切だと考えるようになりました。

沖縄が日本に復帰した3年後の1975年、同会は大正区でエイサー祭りを開きます。

エイサー祭りの様子=2010年
エイサー祭りの様子=2010年 出典: 朝日新聞

しかし、当日、会場からは「恥さらし」といった怒鳴り声が聞こえてきました。

石を投げられたという人もいました。親世代の沖縄出身者からでした。

なぜ同じ沖縄出身者が「恥」と言ったのかわからず、金城さんは考え続けたと言います。

親の世代は、表には出さずにエイサーを踊り、三線を弾き、文化を守ってきました。「どうして沖縄を表に出すのか」という思いだったのではないかと考えるようになりました。

「恥さらし」という言葉は、親の世代の人たちが大阪で受けた苦しみの現れだったのではないかとも考えたといいます。

「傍観」「沈黙」が支えているもの

そうした沖縄に対するまなざしは、いまも続いていると金城さんは言います。

沖縄には米軍基地が集中し、負担が強いられる状況は変わっていません。

金城さんは「押しつける側、押しつけられる側、それを見ている側の人がいる」と語ります。「押しつける側を、多くの人が『傍観』や『沈黙』で支え、同意している現状がないでしょうか」と問いかけます。

自身のアイデンティティーを問い続けてきた金城さんは、多くの人にも「自分が〝どの側〟にいるのかを考えてみてほしい」と語ります。

「沖縄を知って、自分を理解する。そんなひとが少しずつでも増えれば、今の沖縄の置かれた現状が変わっていくかもしれない」

関西沖縄文庫には今、沖縄を通して自分を知ろうとする学生たちが集まっているといいます。そんな考え続ける若い人たちに、金城さんは希望を抱いています。

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