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#33 大河ドラマ「光る君へ」たらればさんに聞く

藤原道長のイメージが変わった?「一族の繁栄のため」というよりも…

藤原道長が描かれた国宝の「紫式部日記絵詞」(鎌倉時代)は今夏、藤田美術館(大阪市都島区)で展示されていました。展示物を紹介する冊子の表紙にもなっていました=水野梓撮影
藤原道長が描かれた国宝の「紫式部日記絵詞」(鎌倉時代)は今夏、藤田美術館(大阪市都島区)で展示されていました。展示物を紹介する冊子の表紙にもなっていました=水野梓撮影

紫式部を主人公とした大河ドラマ「光る君へ」。柄本佑さん演じる藤原道長は、これまで歴史で習ってきたイメージとは異なって描かれ、多くの反響を呼んでいます。平安文学を愛する編集者・たらればさんは「史実の道長の政への姿勢は、『自分の一族の繁栄のため』というよりも『皇室と皇威の最大化』と考えると、いろいりとしっくりくる」と話します。(withnews編集部・水野梓)

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まひろははばたき、道長は出家へ

withnews編集長・水野梓:ついに大河ドラマ「光る君へ」も残り3回となりました。

最新回「はばたき」は、旅立つまひろ(吉高由里子さん)がまさに自由にはばたく内容でしたが、道長は未練たっぷりのなか出家しましたね…!

たらればさん:道長がいそいそと御簾をおろして「行かないでくれ」ってまひろの手を掴んで頼んで、それでも「これで終わりでございます」と言われたシーン、最高でしたよね。

最高にみっともなかったし、最高にみっともない演技を完璧にこなした柄本佑さん最高だーーと思って見ていました。

史実によると道長の出家は寛仁三年(西暦1019年)、「胸病に苦しんだため」と言われていますが、とはいえ、この後もわりとパワフルに政治に携わります。
水野:ドラマでも公任や行成とも変わらずやりとりしていて、「あ、政への態度は変わらないんだな」と思いました(笑)。

たらればさん:それもそうなのですが、史実ではこの頃(西暦1019年頃)、彰子さまの元で紫式部の娘(大弐三位)と和泉式部の娘(小式部内侍)と清少納言の娘(小馬命婦)がそろって働いていて、母親の名作原稿と写本を管理しつつ、男性貴族(道長の子や公任の子)と丁々発止のやり取りを華やかに繰り広げていたはずで、ここ数回は「そっちも映して……!」と祈っております。

道長は「皇室への過大な愛」を抱いていた?

水野:とはいえ、「望月の歌」の解釈もそうですが、大河ドラマを通じて道長のイメージはかなり多様になったのではないでしょうか。

ドラマをきっかけにいろんな本を読んだり、たらればさんや研究者のお話を聞いたりするまで、わたしのイメージは「この世は我のもの」ぐらい栄華を極めた人、ぐらいだったので……。

たらればさん:そうですよねえ……。『御堂関白記』や『紫式部日記』、『大鏡』などを素直に読むと、藤原道長という人物は、豪放磊落(らいらく)で感激屋なわりに、「美」に対して陶然と我を忘れるような一面があったと言われています。

そのうえで改めて思うんですが、彼には「皇室」や「皇威」というものに強く敬虔な想いがあったように読めるんです。

大河ドラマ「光る君へ」で見せている「民のため」というような動機は史料からは見いだせませんが、いっぽうで「皇室のためにおれががんばらなきゃ…」という意志は端々で感じます。中関白家や三条帝に対する苛烈で冷徹な態度と政略は、「自分の一族の繁栄のため」というよりも、「皇室と皇威の最大化」と考えるといろいろとしっくりきます。

水野:な、なるほど…!
たらればさん:もう少し詳しく話すと、道長のロジックは「道隆や伊周や三条帝といった個々人の想いや願いよりも、皇室や皇威の安定のほうがよほど大切だ」というものだったのかな、と思うわけです。

だからこそ子孫を惜しみなく(おそらくは最大限の栄誉と喜びをともなって)宮廷へ差し出し、自らも昼夜区別なく身を粉にして働き、病や老いに取り憑かれてもなお忠勤を続け、同僚や部下や息子たちにもそうした態度を求めたのではないでしょうか。

なによりそういう素朴な信条と心情があったからこそ、「専横」と言ってもいい道長の皇室戦略に、当時多くの公卿が従ったのではないかなあと。

水野:すごく腑に落ちますね~。体を壊しながらも、最大の権力を得たと慢心しそうでも、政への関わりをやめるということもないですしね。

たらればさん:はい。「皇室への過大な愛」があったからこそ、道長はいろいろと「やりすぎること」があって、それが周囲に受け入れられてしまったのかもしれません。

これって、中規模の会社のめちゃくちゃ働く社長にたまに見かけるタイプですよね(笑)。

たとえば、道長は多くの政略を用いて三条帝を退位させ、自らの孫を即位させようとしましたが、「いっそ自分が帝に成り替わろう」と考えたことは一瞬たりともなかったように思います。

水野:そ、それはそうですね! 帝を思いのままに…とは思っていたかもしれませんが、革命を起こして自分が帝(支配者)に! みたいなことは全然思っていなさそうです。なるほど~。
道長の息子・頼通が建立した平等院=2024年11月、京都府宇治市、水野梓撮影
道長の息子・頼通が建立した平等院=2024年11月、京都府宇治市、水野梓撮影

譲位した三条天皇が残した歌

たらればさん:ドラマでは、三条天皇が譲位する直前に詠んだとされる歌が出てこなかったのは残念でした。百人一首にもとられている有名な歌です。
 
<心にも あらで浮世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな>

もしもわたしが心ならずも生きながらえてしまったならば、この夜の月をきっと恋しく思い出すだろう、という意味です。

このときには三条天皇はもうだいぶ目を悪くしていて、月はぼんやりとしか見えていなかったと言われています。

自分の人生って何だったんだろうな、という切なさとか後悔だとか、悔しさとか、恨みだとかが、そういう現世への想いを月の光が優しく包んでくれているという解釈ができる歌です。

わたくしはこの歌がとても好きなんですけど、作中では詠まれませんでしたね。

水野:三条天皇はかわいそうでしたね…。ドラマでは「闇でなかったことなどあったか」という苦しい最後の言葉を残して去っていったので…。残り放送回が数回しかありませんし、泣く泣くカットだったのかなと思いました。

赤染衛門が書いた?道長の栄華を記す『栄花物語』

たらればさん:この「光る君へ」というドラマは、史実や研究を大胆に逸脱した一面と、最新の研究や知見が積極的に盛り込まれる一面が共存しているなと思います。

たとえば実資の『小右記』に記されている「望月の歌」については、これまであまりスポットが当たってなかった実資の性格や言動が丁寧に描写されていたからこそ、「これまで文句や批判ばかり日記に書いていたあの実資が、望月の歌については特に文句も嫌味も書いていない」という演出がすっと頭に入ってきます。
たらればさん:この時の実資は、この歌については素直に記録描写に徹していて、(たとえば「ひどく傲慢な内容だったのでここに残してやろう」というような)嫌味で書いたとは思えないんですよね。

もちろん受け取り手の数だけ解釈があるので、いろいろな印象があっていいとは思うのですが、わたしも「なかなか優美な歌であるなあ、ただこの状況で返歌は無理だから、故事にちなんでみんなで唱和する、という切り返しは我ながら上手くいったし、その提案がみんなにも道長卿にも受け入れられて、よかったよかった」くらいの印象を受けました。

そもそもの話として、「望月の歌」は、和歌としてはあまりデキがよくないですよね。三十一文字しかないなかに、「思う」が2回も出てくるし。

水野:た、たしかに。酔っ払いながら詠んだ、みたいな説もみたことがあります。

たらればさん:本人(道長)も自分の日記には書きとめていないほどですから、ちょっと詠んでみようと思った程度の歌だったのかもしれません。それが千年後に残るとは。
平等院の近くを流れる宇治川。上流には天ケ瀬ダムがあり、さらに上流は瀬田川と呼ばれ、滋賀県大津市の石山寺のそばを流れています=京都府宇治市の宇治橋
平等院の近くを流れる宇治川。上流には天ケ瀬ダムがあり、さらに上流は瀬田川と呼ばれ、滋賀県大津市の石山寺のそばを流れています=京都府宇治市の宇治橋 出典: 朝日新聞
水野:筆まめな実資が『小右記』に残してくれたから、わたしたちは今でも「あの歌が!」って騒げると思うと、ほんとにすごいことですね。

ちなみにドラマ最新回では、道長の妻・倫子さまが「殿のすばらしさを輝かしき物語にしてほしいの」「衛門の筆で、殿の栄華を」と赤染衛門に依頼する、という流れがありましたね。これは『栄花物語』ですよね?

たらればさん:そうでしたね~。はっきりと執筆者がわかっているわけではありませんが、『栄花物語』は彰子さまの女房・赤染衛門が書いたと言われています。

実は『栄花物語』の中には、敦成親王(後一条天皇)誕生の部分など『紫式部日記』がまるっと使われている部分があって、おそらく女房同士で参照しあったんだろうな、と言われています。

道長の若い頃のエピソードも記されますが、ハイライトは藤原道長の栄華を、『紫式部日記』とパラレルなかたちで記しています。
京都府宇治市にある紫式部像=水野梓撮影
京都府宇治市にある紫式部像=水野梓撮影
たらればさん:時代を伝える貴重な資料にもなっていますし、『紫式部日記』や『枕草子』、『栄花物語』もふくめ、あの時代の要素がいろんな角度でいろんな人の手で残っているのはありがたいことですし、残してくれた人々に感謝ですよね。

実は道長は、自分の日記『御堂関白記』に、「(子孫は参考にするだろうけど)これは読んだら捨てるように」みたいなことを書いているんです。

水野:そうなんですか!?

たらればさん:それが今も、(誤字や取り消し線もそのままの)直筆が千年残ってて、国宝や世界遺産になっちゃってて、本人の立場を考えると、ちょっとかわいそうな話ではありますね(笑)。
 
◆これまでのたらればさんの「光る君へ」スペース採録記事は、こちら(https://withnews.jp/articles/keyword/10926)から。

次回のたらればさんとのスペースは、12月15日21時から。最終回にあわせて、「光る君へ」で印象に残ったシーンを尋ねるアンケート(https://forms.gle/PnCrn2uKnjAnjXKC9)を実施しています。ぜひご協力ください。

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