連載
#57 イーハトーブの空を見上げて
中尊寺金色堂、建立900年法要 「兵ども」に思いを馳せる鐘の音
岩手県平泉町の世界遺産「中尊寺金色堂」が建立から900年を迎えた。
天治元年(1124年)8月20日に上棟されたことが棟木の墨書銘に記されており、900年目にあたる当日は気温30度を超える暑さの中、本堂で建立900年を祝う慶讃法要が執り行われ、その後、僧侶らが金色堂へと続く境内を練り歩いた。
金色堂では春先まで、中央壇に鎮座している国宝の仏像11体が東京国立博物館での特別展示に貸し出されていたが、その仏様たちも無事「出張」から戻り、これまで通り、慈しみ深い表情で参列者らを迎えた。
行列の最中、普段は撞(つ)かれることのない、境内の旧鐘楼につるされた古い梵鐘(釣り鐘)が特別に撞かれ、参列者らは立ち止まって耳を澄ませた。
グゥーンという、どこまでも響いていきそうな、柔らかな低音。
奥山元照貫首が法要後の記念シンポジウムで話したところによると、康永二年(1343年)に鋳造されて県の有形文化財に指定されているその古い梵鐘には「関山の暁に響く鐘の音は、私たちの迷いの心を晴らしてくれる」と銘記され、その後半部には「鯨音無辺(げいおんむへん)」という言葉が刻み込まれているという。
クジラの「鳴き声」が何百キロの先の海中まで届くように、この鐘の音も平和への願いとともに遥か遠くまで届いていくということだろうか。
金色堂は平安末期、東北地方の二度にわたる大きな戦いで家族を亡くした奥州藤原氏初代清衡が、戦死した人々やすべての生き物を極楽浄土に導くために建立された。
内外に金箔の押された金色堂の内陣部分は、シルクロードを渡ってもたらされた夜光貝を使った螺鈿細工や象牙で飾られ、初代清衡をはじめ、毛越寺を造営した二代基衡、源義経を奥州に招き入れた三代秀衡、そして四代泰衡の亡骸が金色の棺に安置されている。
その約半世紀後に平泉を訪れ、俳聖・松尾芭蕉が綴ったあまりにも有名な句。
〈夏草や兵どもが夢の跡〉
グゥーン、グゥーンと境内に響き渡る「クジラの鳴き声」を聞きながら、金色堂に眠る「兵」たちに思いを寄せると同時に、果たして900年先の未来にはどのような風景が広がっているのだろうか、と夢想してみる。
(2024年8月取材)
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