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「戦後に読者がいたずら書きを…」子ども向け雑誌、時代の変化
変わるものと変わらないもの
「少年倶楽部」や「少女クラブ」など、明治時代から1980年代までの子ども向け雑誌が、雑誌図書館・大宅壮一文庫(東京・世田谷区)で展示されています。すべて手にとって読むことができ、当時の雑誌文化に触れることができます。
展示されているのは、「少年倶楽部」(1914年創刊、戦後「少年クラブ」)や「少女倶楽部」(1923年創刊、戦後「少女クラブ」)「ジュニアそれいゆ」(1954年創刊)「セブンティーン」(1968年創刊)など、文庫が収蔵する約700冊。明治・大正期のものから、すべて手に取って閲覧できるようになっています。
中でも「少年倶楽部」は創刊が1914年。1962年に廃刊するまでの間の内容の移り変わりを、感じ取ることができます。
「少年倶楽部」の表紙は、一人の少年の表情をクローズアップした絵柄が特徴ですが、担当者は、戦時中にはその描かれ方に変化があると指摘します。「戦前は笑顔で遊んでいる姿が印象的な少年ですが、戦時中は『労働』する姿で、笑顔も少なくなっています」
さらに、戦時中は物資不足の影響か、ページ数も縮小していることがわかります。
さらに、同館で所有している1945年1月号は特徴的です。表紙に記されている「われらは皇国の子」という標語ですが、「皇国」に二重線が引かれ「敗戦国」と上書きされています。「古本屋で仕入れたと思われるもので、おそらく戦後に読者がいたずら書きをしたもの。時代を感じます」
戦時中に創刊した「航空少年」や「飛行少年」も展示されており、戦時中に使われていた戦闘機の性能の比較や、機体の構造の図解などの内容も盛り込まれています。
今回の展示内容を表す「展示雑誌創刊年表」によると、戦時中、雑誌の創刊は減っていましたが、1946年には一気に活況に。
1999年の文芸春秋別冊に寄せられた小説家・津村節子さんの「遅い青春」では、戦後すぐの出版活況について「活字に対する人々の渇仰(かつごう)は、凄(すさ)まじいものであった」としています。
子ども向け雑誌もその一つで、「銀河」や「赤とんぼ」も、戦後すぐに創刊しました。
「銀河」は、作家・山本有三が編集顧問を務めた総合雑誌。
1946年の創刊号では、「〝銀河〟のはじめに」が、「ヤマモト・ユウゾウ」の署名で掲載されています。
《みなさん、お元気ですか? みなさんのことだから、元気のない気づかひはありませんね。
しかし、うんと勉強をしたいと思っても、授業があったり、なかったりでは、さぞ張り合ひがないでせう。また、お友だちと野球をしようと思っても、ゴムまりが手にはいらなくては、なかなか野球もできませんね。》
その後も、時代背景のにじんだ文章が続きます。
同館によると、「銀河」には1949年の廃刊まで、壺井栄や椋鳩十(むく・はとじゅう)ら著名な作家による寄稿が掲載されました。
来館者からは、戦前の子ども向け雑誌の文字数の多さや知性に驚く感想や、実際に手にとっていた「かつての少年少女」からは懐かしむ声などが寄せられているといいます。
戦後に創刊された雑誌「ジュニアそれいゆ」は、同館によると「ティーンの興味がある内容がぎっしり詰まっています」。現在でも、デザイン性の高さから大学生に人気とのこと。
担当者は、今回の企画展を準備する中で「変わるものと変わらないものを感じました」と話します。「戦時中などで変わっていく内容はあるのですが、中を見ると明治からいまに至るまで変わらないものがあります。スポーツや漫画の人気は共通していますよね」
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「思い出の少年少女雑誌展」は、8月17日までだった会期を24日まで延長して開催中。11~15日は休館。
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