お金と仕事
バチェロレッテで注目の長谷川惠一さん バスケを休んで起業した理由
セカンドキャリアの選び方
恋愛リアリティーショー『バチェロレッテ・ジャパン シーズン2』で注目を浴びた、元プロバスケットボール選手の長谷川惠一さん(37)。いまはトレーニングジムの経営者ですが、これまでに保険の営業や未体験の職種への転職、大好きなバスケを休むといった、さまざまな「決断」を重ねてきました。そんな長谷川さんが大切にしてきたこととは? 話を聞きました。(ジャーナリスト・小野ヒデコ)
長谷川惠一(はせがわ・けいいち)
身長190センチ、筋肉質ながらすらりとしたスタイルが印象的な長谷川惠一さんは、Amazonプライムで配信中の恋愛リアリティーショー『バチェロレッテ・ジャパン シーズン2』に参加した、元プロバスケットボール選手です。
女性の「バチェロレッテ」が選ぶ男性候補者に応募した理由をシンプルに「結婚したかったからです」と言います。
女性に真摯に向き合う姿と、男性参加者からも好かれる裏表のない飾らない態度、そして男性陣がバチェロレッテに振られていくなかで番組の後半まで残り続け、人気を集めました。
現在、インスタグラムのフォロワー数は11万人を超え、街で声をかけられる機会も増えたそう。
全国各地で「トレーニングイベント」を開催したり、都内で経営するパーソナルトレーニングジムの体験予約も埋まっていたりと、忙しくも充実した日々を送っている長谷川さん。
「結婚したい気持ちはもちろんありますが、今は新事業のことで頭がいっぱい。結婚はもう少し後になりそうです」とはにかみます。
そんな元バスケ選手の長谷川さんが最初に始めたスポーツは、実はサッカーでした。
小学2年生の時にJリーグが開幕したことが影響し、友人たちと地域の少年団に入団してキーパーとして取り組んでいました。
一方で小学校では、全生徒がクラブ活動に入る取り決めがあったそうです。選択肢は、ミニバス(ミニバスケットボール)、野球、吹奏楽の三つでした。
「仲のいい友達がバスケを選んだので、『俺も』という感じで始めました。バスケはめちゃめちゃ下手でしたが、小学校高学年の時点で身長が160センチ後半だったので、試合には出させてもらっていました」
親から「どっちかにしたら?」と言われてバスケを選んだときも、「単純に、『仲の良い友達がいるから』という理由でした」と振り返ります。
しかし、元NBA選手のマイケル・ジョーダンのプレーをテレビや雑誌で見てからハマっていきました。
「全身がバネのようで、『何だこれは!?』と思って。身体能力をはじめ、プレーの技術など何から何まで異次元なことに衝撃を受けました。ジョーダンが当時所属していたシカゴ・ブルズというチームにも夢中になり、自分ももっと上手くなりたいと思って練習を熱心にしていくうちに、バスケが好きになっていきました」
さらに身長が伸び、中高でぐんぐんとチームの中心プレーヤーとして存在感を高めた長谷川さん。高校では新潟県の選抜メンバーとなり、バスケ強豪の法政大学に進みました。
卒業後も、バスケ選手としてプレーしたいと漠然と思っていました。でも、「『何が何でもバスケ選手になる』と思えなかった」と振り返ります。
大学卒業の2008年当時、男子バスケ界は実業団リーグとプロリーグが混在していました。
実業団への入団は各チーム1、2人しか採用されないレベルの高さ。プロ選手はバイトをしながら練習や試合に出る現実があると知りました。
経済的な安定を考え、バスケをしながら働ける環境のある会社を探し、最初に声がかかった三井住友海上保険への入社を決めました。
「新入社員時代、マナー研修を通して社会人の基本を学び、営業の仕事を通して相手に伝えることの楽しさを知ることができたことは、その後のキャリアにおいてめちゃめちゃ役立っています」と振り返ります。
平日は損害保険の営業として働き、帰宅後の夜10時から午前1時ごろまでバスケの自主練習やトレーニングに励み、土日は試合という日々を7年間送りました。しかし、ハードな日々をこなせたのは「何となくだった」と思い返します。
「この7年間で、私は1度に1つのことしかできない人間だということに気づきました。仕事もバスケも頑張っていたけど、どこか中途半端だったと感じています。小学生の時、親が『サッカーかバスケかどちらかにしたら』と言ったのは、私がどういった性格か、すでに分かっていからだと思いました」
自身の10年、20年先を考えて「スポーツに関わる仕事をしてみたい」という思いが芽生え、30歳で当時スタートアップ企業だった健康事業を展開するライザップに転職しました。
未経験のトレーナー職で、顧客はゼロ、雇用形態はアルバイトからのスタート。「最初は不安だった」という長谷川さんですが、研修を終えて正式にデビューすると、人気No.1トレーナーへと駆け上っていきます。
「何かを始める時は、1つのことに集中」。前職で中途半端になってしまった失敗を生かし、バスケのプレーを2年間休んでトレーナーの仕事に専念していたことが功を奏したそうです。
トレーナーとしての長谷川さんの理念は、「お客さんにトレーニングの大切さを知ってもらい、一生トレーニングの習慣を身に付けてもらうこと」。
しかし長谷川さん自身は「トレーニングはキツイので好きとは言えません」と苦笑いします。
「最初のレッスンで、『私はトレーニングが苦手ですが、いっしょに頑張りましょう』と伝えます。そして、理想の体になったからとやめてしまうのではなく、その体をキープするためにトレーニングは続けてほしいということを伝えます。その結果、私が担当したお客さんのリピート率は100%近くとなりました」
トレーナー業が軌道に乗り、将来は独立することを考え始めた長谷川さん。そして、休んでいたバスケのプレーを再開します。
3人制のバスケで試合に出場していると、プロ選手へのスカウトの声がかかりました。
この時も「1度にひとつのことに集中」のモットーに従い、プロバスケ選手の道を選びました。ライザップを退職、34歳でプロ選手としてのキャリアをスタートしました。
約3年間、3人制バスケの3×3.EXE プレミアリーグのチームでプレーして、2021年に現役を休むことに。次の目標に据えていた「起業」への道を進み始めます。
「起業して経営に専念するため、バスケ選手としての活動を休むことを決めました。振り返ってみて、トレーナーになった時、そしてプロバスケ選手になった時、1度にひとつのことに集中したことで、結果を出せたと感じています」
トレーニングジム「& keiichi Training-Gym」の経営をスタートさせ、今年8月末、会社を法人化し、会社名を2ndROUND(セカンドラウンド)と命名しました。
「バチェロレッテから次のステージを進む“第2章”の意味を込めました」
トレーニングの価値や重要性の発信に加え、アスリートのキャリアを支援したいという目的もあります。
「私自身、スポーツに生かされてきたので、恩返しをしたい思いがあって。私のジムに所属している4人のトレーナーのうち、3人が現役のプロバスケ選手です。今後、アスリートのセカンドキャリアだけではなく、プロ選手やトレーナー職との兼業を目指すアスリートの受け口になれたらと思っています」
バチェロレッテに参加したことで一気に知名度が上がり、タレント業をはじめとする多方面から「何かいっしょにしませんか」と声をかけられる機会も増え、「『やってみようかな』と自分を見失いそうになることもあります」と話します。
しかしいま長谷川さんが目指しているのは、「健康事業の道を突き進み、起業した会社を軌道に乗せ、経営者として成功すること」。
「その志がぶれそうになると、私の志に賛同してくれているプロバスケ選手の弟をはじめとする家族や、支えてくれる方たちが『お前の本当にしたいことは何だ』と問いかけ直し、元の道に引き戻してくれます。本当に周りの人に恵まれていると感じています」
会社員からプロバスケ選手、バチェロレッテの出演から起業へとキャリアを重ねてきた長谷川さん。
現役アスリートへ、「引退後に監督になったり、個人名で生きていけたりする人は、ほんのわずか。社会に出て、競技外の世界や環境に身を置き、『自分は特別じゃない』という現実を一度味わうことは大切だと思います」と伝えます。
「自分と向き合って、自分は何が好きか、引退後は何をしたいかなどを感じ取ることができたら、アスリートではなく、人としてステップアップできるチャンスではないでしょうか」
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