話題
30歳を超えて、女性用風俗へ 求めたのは「自己肯定感」だった
「最初はとにかく感動したんです」性を取り巻く生きづらさ露わに
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「最初はとにかく感動したんです」性を取り巻く生きづらさ露わに
女性用風俗――、略して女風。私が女風を取材するようになって数年が経つ。女性用風俗を巡っては、大きな地殻変動が起きている。大手店舗がネット動画で有名なインフルエンサーとコラボしたり、SNSでセラピストが積極的に発信するなどして、女風の店舗は、めきめきと店舗数を伸ばしているのだ。(ノンフィクション作家・菅野久美子)
かつては男娼と呼ばれていた女性用風俗の従事者は、今はセラピストと名前を変え、より「癒し」を前面に打ち出すようになった。そんな事情に呼応するかのように、利用者側も大学生からOL、主婦といった一般の人たちへと間口を広げている。
令和という時代は、女性たちの様々な欲望が具現化しつつある時代といえる。女性たちは女風という新世界を発見し、思い思いに冒険に乗り出し始めている。
しかし、そんな昨今の女性用風俗の活況は、果たして手放しで喜べることなのだろうか。そこには、現代を生きる女性たちの「性」を巡る生きづらさが隠れているのではないか。
最初に出会った女性のことに触れたい。彼女は、都内の企業に勤める黒髪のショートカットの会社員のAさんである。初対面にも関わらず、鼻炎で鼻をすする私を心配してくれる心優しい女性――。それがAさんの第一印象だ。
なぜ女性用風俗を利用しようと思ったのか。その動機を単刀直入に尋ねた。Aさんの口から返ってきたのは「自己肯定感を上げたかったからなんです」。
性欲の解消でもなく、イケメンとの癒しのひと時でもなく、「自己肯定感を上げること」――。私はAさんの口から出たその意外な答えに驚いた。
Aさんは長年処女であることをコンプレックスに思っていた。ある日、SNSの漫画で『女性用風俗で自己肯定感が上がった』という記事を目にする。それを読み、勇気を振り絞って女性用風俗の利用を決めたのだという。
女風を利用して男性と接触すれば、自己肯定感が上がるかもしれない。そんな切実さこそがAさんの女風の利用動機だった。そこには私が勝手に夢想していた、めくるめく「性的快楽」の追求なんてものは微塵もなく、より深刻なものだった。
聞くと、Aさんは幼少期から「ブス」「太った女」などと容姿をからかわれ、男子たちにいじめに遭っていた。
それから大人になっても自分は誰からも相手にされないんじゃないかという思いに支配されるようになったという。異性にも積極的になれず、自分に自信がないため自己肯定感が低いのだという。
「こんな私が男性に好きだなんて言ったら迷惑だろう」
そんなコンプレックスを抱き、好きな異性が現れても自分の感情を押し殺して生きてきた。それでも性欲は人並みにあるから自慰はする。気がついたら30歳を超えていた。
Aさんの独白には私自身とても共感するところがあった。
私も彼女と同じく中学時代に容姿をからかわれ、同級生からいじめに遭った経験があるからだ。だからAさんの気持ちが痛いほどによくわかる。幼少期に受けた傷は、ボディブローのように、じわりじわりと後からも効いてその後の人生をがんじがらめにする。
性的な事柄なら、なおさら誰にも言えず自分の心の奥底に、そっと封印しがちだ。しかし古傷は癒えることなく疼き、永久的にその人の尊厳を傷つける。そんな自縄自縛の苦しさは味わった本人にしかわからないものだ。
それを現すかのように、Aさんの口からはしきりに「自分なんて」「自分にも」という自己を卑下する呪いの言葉が飛び出す。それが自分事のように私の心に深く突き刺さった。
とにもかくにも、Aさんは『自己肯定感』の無さから脱するために、女風の利用を決意した。
Aさんはそのときの情景を反芻しながら赤裸々に語る。
駅でイケメンのセラピストと落ち合って、初めてラブホテルに足を踏み入れたという。これまで自分には縁のないと思っていた世界。そこは未知のワンダーランドだった。ガラス張りの浴室に、巨大なベッド、そして大きなバスタブ、生涯縁がないと思っていた世界の手触り――。
お互いシャワーを浴び、セラピストが全身を揉みほぐすところから、施術が始まった。緊張で体はガチガチだったが、セラピストは慣れている様子でAさんを安心させ、「痛くないようにするから」と言って、ゆっくりときわどい部分に手を伸ばしていった。そしてセラピストの指がAさんの中に入った瞬間、温かな感動に包まれたという。
「最初はとにかく感動したんですよ。それまで性的なことって、美女にしか許されない行為だと思っていたから。私にもこういう行為ができるんだと思ったんです」
Aさんは、人生で生まれて初めて骨ばった男性の体に触れた。男性にしてあげたり、してもらったりという経験もした。それはこれまでの人生では味わうことのない、体に起こったとてつもなく劇的な体験だった。そこでわかったのは、性的なことは何も特別ではなく自分にも普通にできることなのかもしれない、という感触だった。
それは、生身の男性を通じて初めてわかった「発見」で、そのリアルな感覚は、「性的なこと」を遠ざけてきたAさんの気持ちをフッと楽にした。
しかし、良いことばかりではない。Aさんは女風を通じて、ちょっぴり辛い思いもした。ふとした瞬間、浴室の鏡の前に立ったときのことだ。セラピストと共に鏡に映っていたのは、「やっぱり可愛くない」コンプレックスまみれの自分自身の姿だった。
その瞬間、頭を掴まれて現実に引き戻されたような感覚に陥った。その後、Aさんは別の男性とワンナイトのセックスをして、処女喪失した。
「女風が教えてくれたのは、コンプレックスは自分自身の問題だということ。処女喪失が遅かったからこそ、女風に飛び込んでそんな自分のコンプレックスとようやく向き合えたんだと思います」
Aさんのまっすぐなまなざしが私を捉えた。
当初期待したように自己肯定感が爆上がりすることはなかったが、それよりもずっと大切なことを女風は教えてくれた。
それは女風を通じて、コンプレックスまみれの自分自身と向き合い、そんな自分をまるごと受け入れようと決意を新たにしたことだ。それはAさんが自分で自身の手で得た気づきだった。そして、自分で自分を抱きしめてあげること、そして自分を慈しむこと、その大切さをAさんは知ったのだ。
昨今SNSなどでは、ルッキズムがしきりに叫ばれている。
しかし現実社会を見渡してみると、人々が容姿でジャッジされる世の中の風潮は、まだまだ変わっていないと感じることの方が多い。私の周囲にもAさんのように幼少期からルッキズムに晒され、心無い言葉によって長年心の傷を抱えた人たちも数多くいる。
何気ないトラウマの亡霊は、生涯を通じてその人の目に見えない重しとなりその人を苦しめる。私たちの社会はそんなリアルな人の痛みに、もっと敏感になるべきだと強く感じずにはいられない。
日本社会の水面下で活況を呈する女性用風俗という現象と正面から向き合っていると、そこにはAさんのように女性たちの「性」を取り巻く深刻な生きづらさが露になる。
性とは生そのもので、私たちの実存や社会の在り様と決して切り離せない。女性用風俗の台頭には、夫婦やパートナー間の深刻なセックスレスや「愛」の貧困、性経験年齢の高齢化、生涯未婚率の上昇など、日本が抱える様々な社会的背景が横たわっている。
そんな荒野を生きる女性たちが、時には葛藤したりサバイブしたりしながら、自分の心や体と向き合うのか。
女風を利用する女性たちの口から語られる「性」の物語は、傷を受け、数多き困難が待ち受ける自分の人生と対峙し、どうブレイクスルーしたらいいのか、それを私たちに教えてくれる気がするのだ。
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